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72_悪夢_その2

 数日後。僕はヒカルに無理を言って、少しだけ祈里さんに会ってもらった。といっても僕の家の玄関で数分だけ話をしたくらいだ。


 祈里さんはヒカルを見て一瞬表情を強張らせたが、すぐに優しげな様子でヒカルと話し始めていた。


 それからさらに数日が過ぎた頃。祈里さんが真剣な様子で「私の家に来てほしい」というので、僕は彼女の家にやってきた。しかし、祈里さんの様子がおかしい。


「祈里さん、いったいどうしたの?」


 僕が声をかけても、祈里さんは静かに目を伏せたまま動かない。今ならまだ引き返せる……。そんなことを考えているように見える。


 だが、祈里さんは決心を固めて話し始めてくれた。


「……結人さんは魔術って信じる?」

「ま、魔術?」


 ヒカルの呪いのことも僕は半信半疑だ。魔術なんて突然言われても、戸惑うしかない。


「ごめん、信じるとかそんな曖昧なことを言うべきじゃなかった。今、実例を見せるね。オング ダクタ リンカ オング ダクタ リンカ。ベナティル カラルカウ デドス ヨグ=ソトース」


 祈里さんの口から不気味な旋律が流れ出る。彼女がいつも発している可愛らしい声からは想像もつかない異様な詠唱に、僕はおぞましさを感じていた。


 詠唱を終えると、何でもないような様子で祈里さんは声をかけてきた。


「ほらここ。何も見えないと思うけど、魔術で障壁を張ったから触ってみて」


 祈里さんが障壁がある場所へ僕を誘導してくれる。魔術のことなど何も知らない僕は、恐る恐る手を近づけた。


「本当だ。何もないところに壁がある……」

「他にも魔術はいろいろあるけど、とりあえずはこれで理解してもらえたかな」

「理解は……した……。祈里さん、キミはいったい何者なの?」

「魔術師だよ。今はもう、元々いた魔術結社からも抜けて、完全に足を洗ってるから元魔術師だけどね」


 祈里さんは魔術師としての来歴を話してくれた。


 彼女は代々魔術師の家系……というわけではなく、祈里さんの祖母が海外で魔術を学んできて生まれた新興の魔術結社の一員だったらしい。

 お祖母さんの弟子として、祈里さんは幼い頃から魔術を習っていたそうだ。


 祈里さんは成大心子という妹弟子と、祈里さんの母親に協力してもらって晴渡神社から脱走し、ひっそりと普通の暮らしを送っていたという。


「本当はこんな晴渡神社の近場じゃなくて、もっと遠くで暮らしたかったんだけどさ。遠くの土地で生活するための基盤を整える余裕がなかったんだよ。お金も全然持ってないから、もう1年くらいここで働いて、ある程度溜まったらもっと遠くへ行くつもりなんだ」

「そんな重要なことを僕に話してよかったの?」

「よくはないけど、話さないと本題に入れないし。……このことは誰にも話したら駄目だからね」

「わかってる。絶対に言わないって約束する」


 僕は約束を必ず守る。一度たりとも破ったことはない。祈里さんは僕を信頼して秘密を打ち明けてくれたのだから、それを裏切ることができるはずもない。


 それから祈里さんはヒカルの呪いについて、魔術的な見地から意見を述べ始めた。

 ヒカルの内部には異常な量の魔力が存在しているとか、その強すぎる魔力が呪いとなって漏れ出している可能性が高いとか。


 まだまだ確認しなければならないことは多いらしいが、魔術のことなど何もわからない僕は驚くばかりだった。


「そういうわけで、ヒカルちゃんの中に潜む膨大な魔力を何とかすれば呪いは解決すると思うよ。具体的にどうすればいいのかはまだわからないけど、じっくり調べて行こうか」

「ありがとう、祈里さん。僕1人じゃ今までどうにもならなくて。自分なりに調べたりはしていたんだけどね……」

「一般に出回るような知識じゃないし、仕方ないよ。魔術について書かれた本なんて、秘匿してるのが普通だもん。師匠が弟子にすら隠してる、みたいな話もよく聞くしね」


 それからは祈里さんと共に、ヒカルの呪いを解く方法を模索する日々が始まった。


 といっても、僕は魔術については何もわからない素人だ。調査はほぼ全て、祈里さんに任せっぱなしになっている。


 祈里さんは「結人さんはヒカルちゃんのメンタルケアをしてくれていれば十分」と言うけれど……。僕はそれで満足できていなかった。


「祈里さん、もしよければなんだけど。僕にも魔術を教えてくれないかな」

「使っている私が言うのもなんだけど、いいものじゃないよ。慣れないうちは気分が悪くなることも多いし、最悪の場合は精神に異常をきたすような人もいるもん。それでも学びたい?」

「うん。任せきりというのは嫌なんだ。それにヒカルの兄は僕だからね。祈里さんに頼ってばかりというのは違う気がする」

「そっか。じゃあ何から教えようかな」


 季桃さんは紙と鉛筆を取り出して、何やら呪文のようなものを書き記す。さらに魔力の使い方や発動時の注意点などを書き足すと、僕に渡してくれた。


「簡単にだけど、障壁を生成する魔術の使い方を書いたよ。まずはそれを読んでもらって、理解できたら実践してみようか」

「ありがとう。でも障壁の魔術って、最初に見せてもらったやつのこと?」

「そうそう。時空操作魔術の中では比較的簡単な割に効果も高いの。身を守るのに使えるから、ヒカルちゃんの呪いで何かあったときも安心でしょ? 障壁を張っておけば、車に一度撥ねられたくらいならほとんど無傷でいられるよ」


 あの見えない壁にそんな強度があったのか。自分で自分の身を守れるようになれば、呪いが発動してもヒカルを悲しませずに済むかもしれない。


 祈里さんが示してくれた希望を掴めるように、僕は魔術の習得に挑戦する。


「ヨグ……ソトース? 邪神……?」

「その辺りも追い追い教えてあげる。障壁の魔術は半年くらいで使えるようになるよ」



 さらに3か月が経過した頃。


 僕には時空操作魔術の才能があったらしく、半年かかると言われた障壁の魔術も既に使えるようになった。


 術者の技量によって障壁の強度には差があるらしく、今の僕では車の衝突を無傷で防げる気はしないけど、それでも鍛錬は順調に進んでいる。


 ここまですんなりと習得できるのはとても珍しいそうで、祈里さんはとても驚いていた。


 しかし一方で残念ながら、ヒカルの呪いについての調査は困難を極めていた。


「どうやって分離したらいいんだろう。無理やり分離しようとしたら、ヒカルちゃんが耐えられなくて死んじゃうなぁ……」


 祈里さんはぶつぶつと呟きながら、調査結果を紙にまとめている。僕が見ても1割も理解できないが、やたらと複雑そうだ。


「ヒカルちゃんの呪いは、ヒカルちゃんと同化してる魔術的なアイテムが原因なのは間違いないんだよね。自然に同化したわけじゃなくて、人為的に埋め込まれてるっぽいんだけど……。でもこんなに複雑な魔術を組めるなんて、実力の底が見えないや」

「人為的ってことは、どこかの魔術師の仕業ってことだよね。じゃあ不用意にヒカルの呪いを解いたら、そいつが襲い掛かってくる可能性もあるんじゃ……?」

「まあそうだね。あと……これって人間に可能な魔術なのかな。人間にこんな強力で複雑な魔術が可能なのかって思わなくもないんだよね。もっと上位の存在の仕業……かも」


 僕は季桃さんに魔術を教えてもらったおかげで、神などの上位存在についても理解を深めていた。


 人間は神には勝てない。指一本で人間を軽々と殺すことができるような神だっていくらでも存在する。


「祈里さんはここで手を引いてくれ。そんなに危険ならこれ以上は巻き込めないよ。魔術の基礎はもう教えてもらったし、あとは僕が何とかしてみせるからさ」

「ううん、私も続けるよ」

「どうして……? 祈里さんは魔術が嫌になって、それで魔術結社を抜け出してきたんじゃなかったの?」


 祈里さんは善意から僕に協力してくれているが、もともとは魔術を一度捨てた人間だ。

 ヒカルの呪いを仕込んだ人物が神でなかったとしても、このまま調査を続ければ、魔術師同士のいざこざに巻き込まれる可能性は高い。


「祈里さんはヒカルの呪いとは何の関係もないじゃないか。それなのに、本当にいいの?」

「関係ないのは結人さんもそうでしょ。呪い自体はヒカルちゃんの問題なんだから。引き取ったのは祖父母だし、結人さんはヒカルちゃんを置いて一人暮らしを始めたらいいじゃん。結人さんこそ、出会って1年にも満たないヒカルちゃんのためにどうして行動してるの?」


 祈里さんは半ば睨みつけるような視線で僕を見つめる。その瞳には強い怖れと希望が入り混じっているように見えた。


「ヒカルと約束したんだ。何があっても傍にいるって。僕とヒカルって結構似ててさ、幼い頃に両親がいなくなったとか、それにまつわるトラウマがあるとか……。僕もまだ自分のトラウマを乗り越えられたとはいえないけど、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに助けられて、生きてこれた。だから今度は僕が助ける番だって、そう思うと放っておけないんだよね」


 僕がそう答えると、祈里さんはとても柔らかい笑みを浮かべた。


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