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68_ティンダロスからの怪物

「正面からぶつかればそうだろうな。だが、何も私自身が直接相手をする必要もあるまい。ここで切り札を切らせてもらおう。お前たち全員を葬ることができる切り札をな」


 お祖母さんはそういうと、邪神に呼びかけるための呪文を唱え始める。


「イグナイイ イグナイイ トゥフルトゥングア。イブトゥンク ヘフイエ ングルクドルウ。オング ダクタ リンカ オング ダクタ リンカ。ヤール ムテン ヤール ムテン。ベナティル カラルカウ デドス ミゼーア!」


 お祖母さんは呪文を唱え終えると、尖った金属片を投げ捨てる。それと同時にお祖母さんが使役していた怪物たちが皆息絶えていった。おそらくは、お祖母さんが使用した魔術のための贄とされたのだろう。

 金属片の先端から次元に小さな穴が開き、スコルの子が出現するときに生じる青黒い煙と良く似たものが這い出てくる。


「穴は開けてやった! あとは自由に暴れろ、ミゼーア! ヨグ=ソートスの内部で暴れるまたとない機会だぞ!!」


 青黒い煙は刺激を伴った悪臭と共に凝り固まっていき、青みががかった脳漿のような実体を次第に形成していく。次元の穴から顔をのぞかせているのは怪物のごく一部だけ、人間に例えるならば小指の先にも満たない僅かな部分のみだ。しかしそれでも、怪物はスコルの子とは比較にならないほどの、圧倒的な存在感とおぞましさを放っていた。


 ヨグ=ソトースと同様の高次の存在であるが故に、その怪物は人間が正しく認識できるようなものではなく、人の眼からは仮のものとして狼に似た姿を幻視してしまうのだった。


「これフェンリルだよ!? 北欧の神々を殺戮した3匹の化け物の1匹! レギンレイヴの記憶で見たやつと特徴が一致してるの!!」


 怪物を見たヒカちゃんがそう叫ぶ。


 フェンリルはオーディンを食い殺したと言われる巨狼だ。オーディンは空間転移で無事だったというのが事実らしいが、それでもオーディンを殺せると当時の人々に信じられていたのは間違いない。フェンリルの正体は、ティンダロスと呼ばれる角度の時空に潜む主であるミゼーアの一部だったのか……。


 この宇宙にはヨグ=ソトースが支配する曲線の時空と、ミゼーアが支配する角度の時空が存在する。要するに、ミゼーアはヨグ=ソトースと同等の力を持った外なる神なのだ。お祖母さんは時空に小さな穴を開けて、ミゼーアを呼び寄せたらしい。


 今はまだミゼーアの先端部分しか権限していないにも関わらず、今まで僕たちが相対したことのない威圧感を感じる。これでもまだ、人間に例えるなら小指の先にも満たないのだ。


 ロキもこの事態に思わず感嘆の声をあげる。


「本当に切り札ね。私も昔、同じことをやったのが懐かしいわ。人間なのにここまでできるなんてね」


 数秒ほどロキは思案顔になる。そして結論が出たのか、僕たちに告げて踵を返した。


「残念だけど今回は諦めるわ。こんなのまともに相手なんてしてられないもの。この先端部分だけなら勝てないとは言わないけど、私も怪我しちゃうしね。また今度遊んであげるわ」


 ロキは隠し持っていた薄手の外套を取り出して深く被る。瞬く間にロキの姿が鷹に変わったかと思うとすぐさま飛び立っていった。


 何かの魔道具だろうか? 北欧神話に伝わる品だったようで、季桃さんが教えてくれる。


「鷹の羽衣だ! 元々はフレイヤが持っていた鷹に変身できる道具だよ! 何度かロキに貸していたらしいけど、そのまま借りパクしてたんだ!」


 ヴァーリとヒカちゃんがロキを追おうとする。


「待ちやがれロキ!! てめぇはここで殺してやる!!」

「どうしようユウ兄、ロキを逃がしていいのかな!? 私も白鳥の羽衣を持っているから、空を飛んで追えるよ!」


 白鳥の羽衣というのは、戦乙女に伝わる神具だ。ヴィーダルが暮らしていた住処に保管してあったそうで、ときどきヒカちゃんは白鳥の羽衣を使って空を飛ぶ練習をしていた。

 ロキが使った鷹の羽衣は完全に鷹の姿に変身するのに対して、ヒカちゃんが使う白鳥の羽衣は人の姿のまま翼が生える状態になる。


 もし空中戦を想定するなら、人の姿のまま飛べる方が有利だ。手足を自由に使えるというだけで、行動の幅が広がる。


 鷹の姿をしたロキなら、通常の状態よりも倒しやすいのでは……? そんな考えが頭をよぎるが、さすがに甘すぎるだろう。


 魔力の都合で短時間しか無理だけど、中級ルーン魔術の『障壁を張る』魔術や時空操作魔術で空中に足場を作れば空中戦はできる。ヒカちゃんが空中戦を練習するときは、僕がそうやって相手をしているのだ。


 僕にできるのだから、ロキだってそれくらいの対処はしてくるはず。お祖母さんが呼び出したミゼーアの対処もしないといけないし、戦力を分散してロキに勝てるとは思えない。今はミゼーアに注力するべきだろう。


「待ってヴァーリ、ヒカちゃん。今はこっちが優先だ! ミゼーアを放置できない!!」

「くそが……!!」


 ヴァーリは悪態をつきながらも従ってくれる。声をかけたことで一度冷静になり、ミゼーアの危険度を認識してくれたようだ。ヒカちゃんも僕の言葉に従ってくれる。


 今度は季桃さんが僕に訪ねてきた。


「ミゼーアっていったい何!? そもそも転移とか召喚って、今は封じられているんじゃなかったっけ? なんでお祖母ちゃんはミゼーアを召喚できたの!?」


 転移と召喚が封じられているのに、というのはとても着眼点が良い。もちろん今も封じられている。だからこそ、ロキは空間転移ではなく、鷹の羽衣を使って逃げたのだ。


 季桃さんの疑問に答えるためには、まずはミゼーアとヨグ=ソトースについての知識が必要となる。ミゼーアとヨグ=ソトースはお互いを敵対視しているようで、非常に仲が悪い。スコルの子――もとい、ティンダロスの猟犬が角度の時空からこの時空にやってくるのも、ヨグ=ソトースが管理する時空で暮らしている者を害しようとしているからだ。


 厳密な条件は不明だが、パラレルワールドを移動したり、時間を超えたりするとティンダロスの猟犬に見つかりマーキングされることがある。マーキングがついた状態だと、時空を超えて対象を殺しに来ることが可能らしい。


 以上のことを前提にすれば、転移と召喚が封じられているのに、お祖母さんがミゼーアを呼び寄せられた理由は簡単に説明できる。


「お祖母さんは時空に小さな穴をあけて、ミゼーアが自発的にヨグ=ソトースへ攻撃を仕掛けるように誘導したんだよ。だから召喚したわけじゃないし、制御下にも置けてないんだ」

「えぇ……何それ! じゃあ私たちはミゼーアとヨグ=ソトースの喧嘩に巻き込まれているだけってこと!?」

「そういうことだね。ミゼーアはただひたすら、この時空そのものであるヨグ=ソトースに傷を付けるために暴れまわるだけだよ。僕たちはただ、その余波に晒されているに過ぎないんだ」


 不意に転移封じが解除された。気がつくとお祖母さんも姿を消している。


 ロキがこの場を離れたため、お婆さんも転移封じを継続する必要が無くなったのだろう。今はミゼーアの破壊活動に巻き込まれないために、どこかへ避難したに違いない。


「ミゼーアはヨグ=ソトースと同等の存在なんだろ? 俺たちも逃げた方がいいんじゃねぇか?」


 周囲の状況を見て、ヴァーリがそんな提案してくる。僕たちの安全だけを考えるならそれでいい。だけど僕はそれに賛成できない。


「いや駄目だ! 放っておくと多くの被害が出てしまう!」


 僕がそう言うと、ヒカちゃんと季桃さんが心配そうな顔をしながら聞いてきた。


「被害ってどのくらい……?」

「少なくとも明日軽市や春原市は跡形もなく消滅するだろうね。影響そのものはもっと遠くまで及ぶだろうから、死傷者で言えば数千万人を優に超えるかもしれない」

「えぇ、マジ!? お祖母ちゃん、本当に何してくれてるの……。勝算はあるんだよね……?」

「もちろんあるよ」


 勝算も無く避難を反対するはずもない。僕は今の状況について、詳しい説明を始める。


「開けられた次元の穴はヨグ=ソトースが閉じようとしてるんだけど、それをミゼーアが無理やりこじ開けようとしているんだ。穴そのものはとても小さいからヨグ=ソトースが優勢で、放っておいてもいずれは閉じられるはずだし、ミゼーアも人間で言えば小指の先程度も出てきてないけどね」

「要するに、ミゼーアはほとんど力を発揮できないってことだよね? ヨグ=ソトースが次元の穴を閉じるまで、被害が拡大しないように抑え込めばいいってこと?」

「そうだね。むしろいっそのこと、ミゼーアを次元の向こう側に押し込んでしまうこともできるかもしれない。お祖母さんが開けた穴はそれほどまでに小さいんだ。その程度が限界だったんだろうね」


 銀の鍵を持っている僕なら、ヨグ=ソトースに力を借りることができる。みんなで頑張ってミゼーアを押し込んで、僕が銀の鍵でヨグ=ソトースの代わりに穴を閉じてしまえば解決する。


 問題は僕たちに本当にそれができるのか、ということだけど……。


 ミゼーアは先端だけとはいえ、洞窟で戦ったヨグ=ソトースの娘よりも強い。おそらくは封印が解けたヨグ=ソトースの娘と同格だろう。


 ヨグ=ソトースの娘と戦った時に主戦力となってくれた優紗ちゃんはもういない。だけど、今はヴァーリという新たな仲間もいるし、僕も記憶を取り戻して銀の鍵を自在に扱えるようになった。


 だからこの戦いは、きっと勝てる。


 僕たちはミゼーアの先端と向かい合った。


 次元の穴のせいか、ミゼーアが穴から這い出る余波によるものなのか。周囲の気圧に乱れが生じ、いつしか周囲は嵐となっていた。


「僕も戦います。エインフェリアじゃないとか、そんなことは言ってられません」

「心子さん!? もう大丈夫なの?」


 倒れていた心子さんが立ち上がる。ロキの内側に潜むナイアラトテップの神性を直視して、精神を乱していた彼女だったが、どうにか回復したらしい。しかし、大丈夫だろうか?


 トートの剣と銀の鍵を持っているとはいえ、心子さんは普通の人間だ。エインフェリアですら命が危ないこの状況で、彼女は無事で済むのか?


 心子さんを見ていると、毒の洪水に沈んだ優紗ちゃんを思い出してしまう。心子さんまで失うことになったら……。そんなことを考えてしまうけれど、今は少しでも戦力が欲しいところだ。


「エインフェリアにならずとも、戦い方はあるのです。僕もお役に立ってみせますよ」


 心子さんの意思は固いように見える。それなら一緒に戦ってもらおう。


 今回は誰一人犠牲は出さない。その決意の下、僕は次元の穴から這い出そうとしているミゼーアを睨みつけた。


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