61_意見交流_その3
次に話すべきことは何だろう。そう考えたとき、戦乙女について曖昧にしか知らないことに気づいた。
戦乙女はパラレルワールドから同一人物を呼び出して、エインフェリアに作り替えることができるのはわかる。その辺りは時空操作魔術に詳しい、僕の領分だ。
しかし、どういう目的でオーディンは戦乙女を作り出したのか。現在はどういう運用をされているのか。そういったことはよくわからない。
僕が尋ねると、まずは伝承について季桃さんが説明してくれる。
「神話で語られている内容としては、戦乙女は巨人との戦争に備えて戦力を集める役割を持つ女神のことだね。ただ……伝承によって結構食い違いが大きいんだよ。例えば人数が全部で9人だったり12人だったり。血筋的にもばらつきがあって、純粋な神だったり半神だったりするの」
季桃さんの疑問にヴァーリとヒカちゃんが答える。
「人数が違うのは、単純に戦争中に死んでいったからだな。具体的な人数は知らねぇけど、最初はもっと多かったんだよ。9人っていうのはかなり最後の方の人数かもな」
「半神だったり純粋な神だったりするのは、半神くらいまでなら単独で戦乙女の力を持てるからだね。単独で力を持てる戦乙女は初代扱いされて名前が残っているんだと思う。例えばレギンレイヴの子供は単独で戦乙女の力を持っていたから、レギンレイヴ2代目じゃなくて別の戦乙女として扱われたみたい。だから2代目のレギンレイヴは、初代の子供じゃなくて孫が就任したらしいよ。私も2代目と同じように、レギンレイヴの本体から力をもらってるの」
レギンレイヴの本体というのもよくわからないんだよな。本体という概念はいつ生まれたもので、どんなもので、どこにあるのだろうか。2代目以降に力を貸しているとのことだが、初代との関係もよくわからない。
「レギンレイヴの本体について、何かわかることはある?」
ヒカちゃんにそう尋ねてみたが、良い返事はなかった。
「うーん、全然わかんないなぁ。ヴァーリ君は何か知ってる?」
「魔術的なことは俺にはわかんねぇよ。どうせオーディンしか知らない場所にあるんだろうしな」
「そうだよねぇ……。一応、レギンレイヴの本体には人格があるみたいだよ。知識と感情が流れ込んでくるって言えばいいのかな。私を戦乙女にするために力を流し込んでもらっているんだけど、そのときに本体の考えていることの一部が私にも伝わってくるの」
「本体はどんなことを考えてるの?」
「戦争は嫌いとか、平和な世の中にしたいとか、そんな感じかな」
そういえばレギンレイヴは似たような子を依り代に選んでいる、とクルーシュチャが言っていた。その方が戦乙女として覚醒させたときに同調させやすいのだとか。
「本体から力を流してもらうのって、ヒカちゃんに負担は無い?」
「力や記憶を定着させるために、睡眠時間が長くなっちゃう以外に不都合はないかな。あくまでエインフェリアとしては長いってだけで、普通の人間と比べるとすごく短いし。どちらかというと、レギンレイヴの本体が私にうまく力を流せてないらしくてさ、そっちの方が心配なんだよ」
「そういえば偽バルドルも言ってたな。そのせいで新しくエインフェリアを作るのは難しいって」
「そうそう。本来の半分未満しか引き出せてないんだよね。ユウ兄をエインフェリアにした後くらいから引き出せなくなってきたの。優紗ちゃんと季桃さんをエインフェリアにしたタイミングではまだギリギリいけたけど、今はもう全然ダメ」
僕をエインフェリアにした後くらいから……? 偶然だろうか。それとも何か関係が?
……ダメだ。考えても原因に心当たりは無い。残念ながら、戦乙女についてこれ以上の情報は出てこなかった。
最後に話題に挙がったのは、ムスペル教団についてだ。
まずはヴァーリが前にコールドスリープから目覚めたときについて話してくれる。
「ムスペル教団は俺が前に目覚めたときには無かったから、ここ数百年の間で作られた組織だと思うぜ。でもクルーシュチャは生き残った北欧の神の1人なんだろ? そう考えると、神話時代の戦争が終わった直後からこっそりと準備を始めてた可能性があるかもな」
「構成員の大多数はオーディンへの復讐を目的にしているんだよね。オーディンへの恨みって何があるのかな」
「そりゃいくらでもあるだろ。オーディンは全方位に恨みを買う天才だからな」
ヴァーリが言うと説得力がある気がする。少し前に話したように、神話時代のオーディンは非道な行いを繰り返していたようだ。
現代に至っても間接的ではあるものの、被害を振りまいているのは変わっていない。オーディンはヒカちゃんのような戦乙女の候補者を呪いで苦しめる仕組みを構築した神であり、エインフェリアをパラレルワールドから拉致する仕組みを構築した神でもある。
心子さんが僕に確認してくる。
「組織の運営はルベドという男性と、クルーシュチャという女性が行っているんですよね。特にクルーシュチャは時空操作魔術を習得している上に、ナイアラトテップの化身でもあるとか」
「そうだね。化身にもよるだろうけど、ナイアラトテップは相手を言葉巧みに操って破滅させる手段を好むと聞いたことがあるよ。ムスペル教団に所属しているエインフェリアには、そうやって集められた人もいるだろうね」
季桃さんが憤慨したような様子で、ムスペル教団に寝返ったエインフェリアを非難する。
「クルーシュチャにそそのかされて、オーディンを恨んで、それでヤケになってオーディンごとこのパラレルワールドを滅ぼしてやろうってことだよね。もう滅茶苦茶じゃん」
「まあね。でもエインフェリアはそうだとしても、ルベドはクルーシュチャに言いくるめられているだけには見えなかったな。どちらかと言えば、オーディンを殺すという一点で目的が一致している同志に見えたよ」
ルベドはオーディンを憎んでいるから殺したい。クルーシュチャは戦争が大好きなオーディンを満足させるために、オーディンに挑んでいる。
2人の動機は完全に真逆だが、オーディンを殺すというところだけは同じだった。
「そういえばクルーシュチャの正体って、北欧の神々を惨殺した3匹の怪物たちの母、巨人アングルボザなんだっけ?」
「一応、偽バルドルはそう推測していたね。正解かはわからないけど」
「結人さんの証言を元に似顔絵でも描いてみましょうか? それをヴァーリさんが見せて正体を特定できないでしょうか」
僕と季桃さんの発言に対して、心子さんがそんな提案をしてくる。心子さんは非常に多彩な人だけど、そんなことまでできるのか……。
心子さんは僕の証言を元に、クルーシュチャの似顔絵をさらっと描いてくれた。非常に特徴を掴めていて、クルーシュチャが描かれたものだと一目でわかる出来栄えだ。
クルーシュチャは北欧の神の1人なのだから、ヴァーリが見れば正体がわかるはず。そう思ったが、残念ながらヴァーリの反応は芳しくなかった。
「認識阻害魔術のせいだろうな。この似顔絵と同じ顔をしたやつを1人も思いつかねぇ……。エインフェリアに自動でかかっているやつは俺には効かねぇようになっているけど、自前で用意した認識阻害魔術は俺にも効くんだよな」
「心子さんならトートの剣で認識阻害魔術を突破できるんだっけ?」
「そうですね。それではヴァーリさんには思いつく限り、女神や女巨人の顔を証言してもらいましょうか。それを元に書いてみて、僕が同一人物だと思える人物がいれば、それが正体かもしれません」
「俺が生まれた時には既に死んでたやつも多いから、あまり多くは知らねぇんだよな……」
ヴァーリと心子さんは近くにあった紙とペンで似顔絵の作成作業に移った。その間、手持ち無沙汰になった僕は認識阻害魔術についてヒカちゃんに尋ねる。
「認識阻害魔術ってどのくらい元と違って見えるの?」
「同じだって理解できないだけで、違って見えてるわけじゃないんだよ。似たような特徴を持った別人だと思っちゃう感じかな。身体的な特徴はそのままわかるから、クルーシュチャの場合は片目が抉られていることと、女性ってことは断定していいと思う」
認識阻害魔術が発動している感覚は、実際に体験してみないとなかなかわからないと思う。
自分の容姿がわからないはずないのに、僕は別世界の僕を見たときに、容姿から正体に気づくことはできなかった。
しばらくして心子さんとヴァーリの作業が終わる。ヒカちゃんもレギンレイヴの本体から得た知識で多少は協力できるらしく、ヴァーリの後で何人か証言していたけれど、結果は芳しくなかったようだ。
ただ……ヒカちゃんが容姿を証言した女神の中に、初代レギンレイヴが含まれていたのが少し興味深かった。
血縁的に遠すぎるため、子孫とはいえヒカちゃんと初代レギンレイヴはほぼ赤の他人だ。それにヒカちゃんは日本人とアイスランド人のハーフなので、人種的にも初代レギンレイヴと顔立ちは異なる。
けれど纏っている雰囲気とでもいうのだろうか。ヒカちゃんと初代レギンレイヴはどことなく似ているような気がした。
「クルーシュチャの正体を容姿から絞り込むのは難しそうですね。アングルボザとも顔が違うことがわかったのは収穫ですが……。でも変えようと思えば、外科手術で顔は変えられるんですよね」
確かに心子さんのいう通り、顔は変えられるんだよな。まあ、普通の人間では北欧の神にメスを入れられないから、クルーシュチャの場合は変えるに変えられない可能性もあるんじゃないかと思う。絶対無理とまでは言えないけど、片目が抉られている以外はおそらく元のままだろう。
ちなみに季桃さんによると、北欧神話には片目を代償に知恵を得る伝承があるらしい。もしかしたら関係があるのかもしれないが、それ以上のことはわからない。
ヴァーリがぼやく。
「そもそも片目が抉られている女神に心当たりがねぇんだよな。男神を含めてもオーディンくらいか隻眼の神はいねぇしよ。たぶんクルーシュチャは戦争が終わった後の潜伏中か、戦争終結の直前くらいに片目を抉ったんだろうな」
「外見から絞り込むのが難しいとなると、クルーシュチャの発言から考えるのがいいのかな。クルーシュチャの今までの発言から考えてみようか」
クルーシュチャの正体を絞り込む上で、参考となる発言は3つある。
1つ目は、ヨグ=ソトースの子供を産んだことがあること。2つ目は、北欧の神々の中でオーディンの次に強いらしいこと。そして3つ目が、オーディンを病的なまでに慕っていることだ。
この議論については、神話の時代を実際に経験していたヴァーリが牽引してくれる。
「ヨグ=ソトースの子供を産んだことがあるから、クルーシュチャの正体はアングルボザって話だったよな。でもアングルボザはそんなに強くねぇはずだ。俺が生まれる前に死んだらしいから直接見たわけじゃねぇけど、強い奴は死んだ後もしばらく語り草になるものだからな」
「死んだ後も語り草になるってどういうこと?」
「俺はあの有名なあいつを倒したんだ! みたいな名乗りを挙げる奴が出てくるんだよ。大体は虚偽なんだが、自分に箔をつけて味方を増やしたり敵の戦意を挫いたりするためにな。でもアングルボザを倒したことを自慢してた奴はいなかった」
ヴァーリの証言が正しいなら、アングルボザは人々の記憶に残るほどの強さは持っていなかったのだろう。そうなると、クルーシュチャが北欧の神々の中で2番目に強いという証言と矛盾する。
ヒカちゃんもクルーシュチャの正体がアングルボザという説には懐疑的らしい。
「オーディンに心酔しているのもよくわかんないよね。レギンレイヴの本体から流れ込んできた記憶を思い返してみたけど、アングルボザってオーディンと接点が無いみたい。レギンレイヴの本体が知らないだけかもしれないし、私にその記憶がまだ流れ込んでないだけかもしれないけどね」
やはりアングルボザ説は間違いなのか? ここまで乖離していると、アングルボザが3匹の怪物を産んだという伝承のほうが、事実と異なっている可能性を疑った方が良い気がしてくる。
そんなとき、季桃さんが何かに気づいた様子で顔を上げた。