59_意見交流_その1
離れていた距離を埋めるように、僕はヒカちゃんとたわいもない会話を続けていた。
「私、こう見えて鉄棒とかすごく得意なんだよ! 逆上がりから連続回転でぐるぐるーってするのが結構好きなの。1人でもできる遊びだから、いつの間にかうまくなっただけだけどね。呪いがあったから、誰かと一緒に遊んだりできなくて」
「ヒカちゃんはそうなんだ!? ヒカルはどうだったかな。確かリフティングが上手なんだよね」
「ええー! すごい! 私は全然やったことないなー。ユウ兄はどう? 何か得意なことある?」
「得意ってほどじゃないけど、お菓子作りとか割と好きだよ。一番よく作るのはクッキーかなぁ。ヒカルがよく食べるし」
「ユウちゃんはゼリーをよく作ってたかも。私が美味しいって言ってから凝り始めちゃって」
改めて話してみると、ヒカルとヒカちゃんは異なることも多い。例えば、好きな食べ物や日々の習慣、得意なことや苦手なものが少しずつ違う。パラレルワールドの同一人物だからか、系統は似ていてるけど。
そういったことを1つ1つ話して確かめていくことで、僕たちは初めて本当の意味で交流を深められた気がした。
そんなとき、扉をノックする音が響く。そして僕たちの返事も待たずに、慌てた様子で心子さんが入ってきた。
「すみません! 大事な話があるんです! タウィル・アト=ウムルとはいったいなんですか? 結人さんはどこでそれを!? とりあえず向こうの部屋に来てください! 全体で情報共有をしたいです!」
普段の心子さんからは考えられないほどの慌てようで、嵐のように去っていく。おそらくは他の人を呼びに行ったのだろう。
「ねぇユウ兄、そのタウィ……なんとかってそんなに重要なことなの?」
「どうだろう。心子さんは重要だと判断したみたいだけど。ひとまず行ってみようか」
もう僕の体調もほとんど回復している。このままベッドに寝かされているよりは、有益なことができるだろう。
僕はヒカちゃんと一緒に広間の方へ向かった。
◇
「お恥ずかしいところをお見せしました……。あまりにも衝撃的だったもので、気が動転して……。紳士的ではありませんでしたね……」
心子さんは突然押しかけてしまったことに恐縮していた。
彼女は普段から紳士的な振る舞いを心がけているので、返事を待たずにドアを開けてしまった自分を悔いているのだろう。
全員が広間に集まってきたので、情報共有を始めることにする。
「集合と聞いて集まったわけだが、何の話だ? タウィ……なんだっけか。よくわからねぇんだが」
「タウィル・アト=ウムルですよ。極めて重要なお話だと判断いたしましたので、皆さんにも聞いていただきたいのです」
心子さんが場の進行を担当してくれるようだけど、詳しい話は僕に任せるつもりのようだ。といっても、僕も季桃さんに話した以上のことは知らない。
「タウィル・アト=ウムルはヨグ=ソトースの使者とか代行者と言われている存在のことだよ。銀の鍵よりも上の権限を持つこと以外は正体不明なんだけどね」
「結人さんはどこでタウィル・アト=ウムルを知ったのですか? 僕もヨグ=ソトースには詳しい方だと自認していますが、聞いたことがありませんでした」
「ヒカルの呪いを解くためにいろいろ調べているうちに、魔道書を偶然手に入れてね。僕はそれを使って独学で魔術を学び始めたんだけど、タウィル・アト=ウムルについてもその魔道書に書いてあったんだ」
このパラレルワールドの僕は婚約者の祈里さんから魔術を学んでいたらしいが、僕がいたパラレルワールドに祈里さんはいない。だから僕は魔術師と接点を持っておらず、独学する以外の道はなかった。
「魔術師にとって、魔道書は門外不出の代物です。そんな貴重なものを結人さんはどこで入手したのですか?」
「それが……明日軽市にある古本屋で見つけんだよね。特に変哲もない普通の書店なんだ。僕が書店に訪れる少し前に、遺品整理か何かで段ボールいっぱいに本を売りに来た人がいたらしくてさ。僕はそれを丸ごと買い取ったんだよね。中身はほぼ全部魔道書だったよ」
「魔術師が死んだ後、何も知らない遺族が売ってしまったということでしょうか」
タウィル・アト=ウムルについて知るためには、僕が読んだ魔道書の持ち主を探す必要があるだろう。
僕の出身パラレルワールドでは持ち主が既に亡くなっていたかもしれないが、このパラレルワールドならまだ生きている可能性がある。
僕と心子さんが魔道書の持ち主を突き止める方法について議論していると、そこに季桃さんが口を挟んできた。
「結人さんがその本を買ったのはいつ頃なの?」
「去年の夏頃だけど、まさか……!?」
「それを売った人って、絶対私だよ。お祖母ちゃんが持っていた本を、段ボールにたくさん詰めて売りに行ったもん」
話を聞いてみると、僕が魔道書を買った書店と季桃さんが売った書店は一致していた。パラレルワールドの差異があるから参考程度の話ではあるが、時系列的にも問題なかった。
そうなるとやはり、魔道書の元々の持ち主は、季桃さんのお祖母さんがだったに違いない。
季桃さんはお祖母さんが持っていた本を売却した経緯を話してくれる。
「私のお祖母ちゃんは、私が生まれるずっと前から行方がわからないの。神社が嫌になって逃げ出したって言われてるんだ。お祖母ちゃんがそうして晴渡神社を放棄して失踪したから、私は逃げ出さないようにって両親からの圧力がすごかったんだよね」
でも今まで話に聞いていたように、季桃さんは神社の跡継ぎになることを決めた。そして季桃さんのその決断がきっかけとなり、お祖母さんの失踪に関するあれこれを整理することになったらしい。お祖母さんの私物の整理もその1つだ。もう25年以上は帰ってきていないということで、お祖母さんは法的にもとっくに死亡扱いになっていた。
「ねぇ心子さん。このパラレルワールドでは季桃さんのお祖母さんはまだ生きていて、晴渡神社で暮らしているんだよね?」
「ええそうです。お祖母さんはずっと昔に神社を飛び出して、そのときに知り合った魔術師と共に魔術の研究を始めたそうです。このパラレルワールドでは戻ってきましたが、季桃さんがいたパラレルワールドでは研究中の事故などで命を落としたのではないでしょうか」
完全に余談になるが、お祖母さんが知り合った魔術師は僕も名前を耳にしたことがあるくらい高名な人物だった。ミスカトニック大学といえば、魔術をかじっている人間には通じるだろうか。簡単に説明すれば、世界最高峰とされる魔術結社だ。
まあ、お祖母さんが当時研究していたのは時空操作魔術とは別の魔術らしいので、ミスカトニック大学が今回の件に関わってくる可能性はないだろう。
とにかく、季桃さんのお祖母さんは世界最高の魔術結社に所属していた。きっと彼女自身も、人類最高の魔術師の1人と言えるはずだ。
ヒカちゃんが僕に訪ねてくる。
「ユウ兄、魔道書ってそもそもどういうものなの? 魔術師向けの教科書みたいなもの?」
「そういうものもあるけど、自分用の研究ノートみたいなものかな。タウィル・アト=ウムルについて書いてあった魔道書は、お祖母さんが自分で書いたものだと思う」
「っていうことは、ユウトが読んだのは20年以上も前の研究成果なんだろ? 今だったらもっと詳しいことがわかってるんじゃねぇのか?」
僕の返事にヴァーリが反応してきた。順当に考えれば、彼の言う通りだ。おそらく季桃さんのお祖母さんは、タウィル・アト=ウムルについて知っているはずだ。
心子さんも僕と同意見のようで、意見を補強してくれる。
「季桃さんのお祖母さんは存命する魔術師の中で、最もヨグ=ソトースに詳しいと言っても過言ではありません。他のパラレルワールドのお祖母さんが20年以上も前に知っていたことを、このパラレルワールドのお祖母さんが知らないとは考えにくいです。僕が知らなかったのは、弟子にも秘匿したいと思うほどの重要事項だからなのでしょう」
「じゃあさっそくカチコミに行くか! ムスペル教団と戦うにしても、リモモが元のパラレルワールドに帰るとしても、良い情報がありそうだしな!」
「待って、その前に話したいことがあるんだ」
僕は景気よく襲撃を提案したヴァーリを止めた。確かにお祖母さんの研究成果を調べてタウィル・アト=ウムルについて知ることは、僕たちにとって重要だ。
でもその前に、他の情報についても精査したい。僕がタウィル・アト=ウムルについて話して新たな発見があったように、他にも新たな発見がある事柄があるかもしれない。
心子さんも僕と同じ気持ちのようで、追従してくれる。
「僕も結人さんに賛成です。と言いますか、全員集めたのはそれがしたかったのもあるんですよね。当たり前だと感じるようなことでも、1つずつ精査を改めるのは捜査の基本でもあります。発見とまでは行かずとも、新たな視点から物事を見ることができるかもしれません」
僕を含めて、ここには様々な背景を持った人物が5人もいる。きっと何かが見つかるはずだ。
僕たちはこれまでに知ってきたことについて、改めて確認しあうことにした。