42_元いた世界で起きたこと_その4
僕がクルーシュチャに連れてこられたのは、ムスペル教団のアジト内にある小さな礼堂だった。
「待たせちゃったかしら。ごめんなさいね、ルベド」
「遅い。待ちくたびれて、危うくお前が来る前に始めるところだった」
「ひどーい。私、そんな子に育てた覚えはないんだけど?」
「お前が育てた結果だ。文句を言うな」
ルベドがクルーシュチャに軽口を叩く。ナイアラトテップにそんなことを言えるのか。まあ、クルーシュチャは純粋なナイアラトテップではないというものあるけれど。
オーディンを殺すために2人でやってきただけあって、気安い関係のようだった。
ルベドは杖を掲げているが、おそらくはそれがレーヴァテインなのだろう。レーヴァテインの先端からは炎のようなものが燃え盛っていた。
「炎……? いや、炎じゃない。魔力が小さく爆発して炎のように見えているのか」
僕がそう呟くと、クルーシュチャが答えてくれる。
「正解よ。大気中に漂っている極々微量の魔力と反応してるの。酸素と反応して燃えているわけじゃないのよね。だから魔力の塊に押し当てると、大爆発を起こすのよ」
ルベドの前には、黄金に輝く林檎型の置物が鎮座していた。あれがクルーシュチャの言っていた、黄金の林檎なのだろう。
黄金の林檎も北欧神話に纏わる神具なのだろうか? 黄金の首飾りと同等以上の魔力を含有していた。その魔力が一度に爆発してしまえば、とてつもない破壊力が生み出されることは容易に想像できる。
「もう満足したか、クルーシュチャ。私は早く復讐を完遂させたいんだ」
「これで終わりかと思うと寂しいけど、仕方ないわね。いいわよ、やっちゃって」
ルベドがレーヴァテインで黄金の林檎に火をつける。すると、途轍もない轟音と共に膨大な魔力が弾け飛んだ。
僕とヒカルもそれに巻き込まれて死に至る。
……そのはずだった。
爆発で目が眩んだその直後、僕の意思とは関係なく銀の鍵が動き出し、僕とヒカルを守ったのだ。
これは僕の推測なのだが、あまりにも爆発が凄まじいために、時空そのものとも言えるヨグ=ソトースが自身への攻撃だと勘違いしたのだろう。ヨグ=ソトースが自身の身を守るために防御行動を取った際、銀の鍵からその力の一端が漏れ出したのだ。
それによって、生命が死に絶えて灰の塊のようになった地球に、僕とヒカルはただ2人だけ残されたのだった。
◇
レーヴァテインによって灰の塊となった地球には、酸素などが残されていた。あくまで魔力の爆発であり、炎のように見えても炎とは性質が異なっていたのだろう。
また、魔力を含まないものに対しては影響が少ないようだ。例えば石礫や砂など、魔力の含有量が少ないものはほとんどそのまま残っていた。
ヒカルが僕に話しかけてくる。
「誰もいないし、何もないね。草も木も、動物も何もない……」
あれからしばらくして、ヒカルは目を覚ましたのだ。僕たちは今、何かを探して、何もない荒野をひたすら歩き続けている。
空間転移で地球上のあちこちを探し回ったが、数日経った今も生き物を発見することはできていない。
それは地球上だけでなく、幻夢境でも同様だった。
幻夢境は僕たちが普通に暮らしている空間とは異なる空間に存在するが、レーヴァテインはその断絶を超えて破壊をもたらしたらしい。
「やっぱり、みんな死んでしまったのかな。これから私たちはどうしたらいいんだろう」
ヒカルは酷く暗い面持ちで僕に尋ねる。
世界を滅ぼしたのはルベドやクルーシュチャだが、自分にも責任の一端があるとヒカルは感じてしまっているのだろう。自分がさっさと死んでしまえば、こうならなかったと。
ヒカルの心が少しでも軽くなるように、僕はある提案をすることにした。
「他のパラレルワールドへ行こう。そこならレーヴァテインの影響もないと思う。それに他のパラレルワールドも、その世界のムスペル教団が滅ぼそうとしているはずなんだ。だから、僕たちが他のパラレルワールドの破滅を防ぎにいこう」
ヒカルは俯いていたが、しばらくして顔を上げてくれた。
「……ユウ君が使ってる魔術を私にも教えてくれる? 私、ユウ君と一緒に戦いたい」
「もちろんいいよ。僕はいつでもヒカルの味方だから。何があっても傍にいるって、約束したからね」
ヒカルは銀の鍵の使い手ではないため、銀の鍵を使わない通常の時空操作魔術しか扱えるようにならない。それでも何もできないよりはずっといい。
いずれは別の世界のルベドやクルーシュチャと戦うときに、力になってくれることだろう。
あいつらと戦うためには僕一人では力が足りない。ムスペル教団に立ち向かうには仲間が必要だが、その1人目としてヒカルが立候補するなら、協力を惜しむつもりはなかった。
僕はパラレルワールドへ転移するために準備を始める。
…………そのときだった。
「な、なんだ!? まだ転移魔術を発動していないのに!?」
なぜか僕がまだ魔術を発動させていないにも関わらず、パラレルワールドへの転移が始まってしまったのだ。
引きずり込まれようとしていると表現した方が適切かもしれない。僕が銀の鍵の所有者でなければ、一瞬で転移させられていただろう。
強制的な転移に対して僕は全力で抵抗する。なぜなら、この転移は僕だけを対象にしていたからだ。
このままでは何もかも失われたこのパラレルワールドに、ヒカル1人だけを置き去りにしてしまう。
「くそ、あっちの方が出力が強い! 銀の鍵じゃ抵抗しきれない!!」
銀の鍵は他のパラレルワールドへ転移することはできるが、転移先のパラレルワールドを指定することはできない。
ここでヒカルと引き離されてしまったら、このパラレルワールドへ僕は戻って来られない。二度とヒカルと合流することはできないだろう。
「ユウ君! 私を一人にしないでっ!!」
ヒカルが泣きそうな声で叫ぶ。
だが、これ以上の抵抗は無理だ。相手の方が出力が大きいため、単純な力比べでは勝てるはずもない。
僕は転移への抵抗を中断し、ヒカルへ魔術を行使する。そうしてヒカルも無理やり転移に引き込んだ。
パラレルワールドを越える転移は、銀の鍵を用いた上でも難度が高い。自分が強制的な転移に巻き込まれている最中なら尚更だ。
僕は制御に全ての神経を集中させる。ここで魔術に失敗してしまった場合、ヒカルは僕が行きつく先とは別のパラレルワールドに一人で漂着してしまうだろう。
そうなってしまえば、ヒカルを探し出すことは不可能だ。
「絶対に、ヒカルを一人になんてしない!!」
不安な心を押し殺し、僕は魔術を成功させた。
そのはずだった。
僕は転移の衝撃で気を失っていたようだ。
どのくらい時間が経過したのかはわからない。
「ここは……? ヒカル、ヒカルはどこだ!? ……どうしてヒカルがいない!? 制御は完璧だったはずだ!!」
僕がいたのは春原公園だった。
しかし、どこにもヒカルがいない。
「そうだ、探知魔術! あれがかけっぱなしになっていたはずだ!」
ヒカルがムスペル教団に連れ去られる直前、僕はヒカルに探知魔術をかけていた。
探知魔術とは、あらかじめ対象にかけておくことで、対象がどこにいるのか察知することができる魔術だ。
僕がムスペル教団のアジトを突き止められたのも、ヒカルに探知魔術をかけていたおかげだ。
ヒカルを同じパラレルワールドに連れ込むことができているなら、探知魔術で居場所を特定できるはず。一縷の希望をかけて、僕はヒカルの居場所を探る。
「なんだこの反応!? 同じパラレルワールドにいることは確かなのに……。ヒカルはどこにいるんだ!?」
次元の向こう側とでも表現すべきなのだろうか。
探知魔術はこのパラレルワールドのどこでもない場所を示していた。
僕はその後、北欧の神々の使い魔であるカラスに発見される。
そして大切なものとしてヒカルと接していた約2年間の記憶を奪われ、今に至る。