38_銀の鍵について
「一言で言えば、銀の鍵とは外なる神であるヨグ=ソトースとの交信端末なんだ。外なる神というのは、地球の神――例えば北欧の神々とは比べ物にならないほど、大きな力を持っている神だと思ってほしい」
僕の言葉を聞いた雫は不機嫌そうな顔をする。
「北欧の神々より偉大ってわけかい? それはかなり心外だな」
「事実だからね。スケールが違い過ぎる。北欧の神は地球規模の神だけど、外なる神は宇宙規模の神だからさ。ヨグ=ソトースはその中でも別格で、宇宙全ての物事・時間を内包している神性なんだよ。この宇宙だけでなくあらゆる宇宙、パラレルワールドもヨグ=ソトースの一部なんだ」
概念的で理解しにくいが、ヨグ=ソトースとはそういった存在だ。
しかし確かに意思や思考を持つ生命でもある。人間がヨグ=ソトースの全てを窺い知ることはできないけれど。
一方で、北欧の神々は比較的人間に近い。
神話に語られるエピソードからも、人間的な行動や感情を読み取ることができる。
「宇宙全てを内包している……か。本当に格が違うんだな」
雫も納得した様子を見せてくれた。
北欧の神々は死んだり老いたりするから、そういった面でも人間に近いだろう。
それに対してヨグ=ソトースは不滅だ。宇宙全ての物事・時間を内包しているから、寿命といった概念とは無縁の存在だ。
もしかすると宇宙の熱的死のような滅びはあるのかもしれないが、僕たちに推し量ることはできない。
「それで、交信端末というのはどういうことなんだい? ヨグ=ソトースは超常的な存在すぎるし、会話が成立するとは思えないんだけど」
「それは雫の言う通りで会話なんかはできないよ。文字通り、存在する次元が違い過ぎるからね。でも、ヨグ=ソトースという存在を利用することはできる」
「その方法が銀の鍵というわけか」
雫がにやりと笑う。
彼の言う通り、銀の鍵を使えばヨグ=ソトースの力を少しだけ引き出すことができるのだ。
引き出せる限度はヨグ=ソトースが持つ力の一兆分の一にも全く満たないが、それでも僕たちのスケールでは超常の力に違いない。
ちなみに銀の鍵はヨグ=ソトースと使用者を繋ぐだけだから、銀の鍵そのものは大して魔力を帯びていなかったりする。
ヒカルが銀の鍵を見たときにそれほど関心を示さなかったのも、帯びている魔力が弱かったからに他ならない。
関心を持たれないというのは非常に重要な特徴だ。
相手を警戒させないから、初見の相手に滅法強いと思う。
エインフェリアになる前、元いたパラレルワールドの幻夢境で活動していたときも重宝していた。
「1つ聞きたいんだけどさ、キミが持っている銀の鍵を使えば、俺もヨグ=ソトースの力を扱えるのかい?」
雫が笑みを深めて言う。
おそらく、雫が一番知りたいのがそこなのだろう。
だけど、雫にとっては残念な話がある。
「僕以外には無理だね。銀の鍵は、ヨグ=ソトースが所有者として認めた者にしか扱えないんだ」
「……さっきはヨグ=ソトースと会話は無理だって言っていたよね。どうやって所有者として認めさせるんだ?」
「代理人がいるんだよ。人と言っていいのかわからないけどさ」
目的も手段も僕は知らないけれど、ヨグ=ソトースは人間の女性を妊娠させて子を設けることがある。
そうして生まれるのが、ヨグ=ソトースの子供と呼ばれる怪物だ。僕が優紗ちゃんたちと一緒に倒したヨグ=ソトースの娘もその1匹だ。
「銀の鍵を扱うためには、ヨグ=ソトースの娘のような怪物から承認を受ける必要があるんだよ。ヨグ=ソトースが代理人として認めているのは、自分の子供だけだからね」
「怪物から承認って受けられるものなのか? キミはどうやって承認を受けたんだい?」
「ごめん、それは知らないんだ。気づいた時には使えるようになっていたんだよね」
雫に言いたくないから知らないと言ったのではない。
僕は本当に知らないのだ。
僕が銀の鍵の扱い方を知ったのは、ここ2年以内の話だ。
おそらくだが、承認自体は幼い頃に銀の鍵をもらった時点で受けていたんだと思う。
僕の手に銀の鍵が渡るように仕向けた人物。そいつがヨグ=ソトースの子供に承認させたに違いないが、僕は心当たりがなかった。
雫は僕に食い下がってきたが、知らないものは答えようがない。
「そうか。残念だな……。そもそもヨグ=ソトースの娘は既に君たちが殺した後だから、方法がわかったとしても承認は受けられないか」
雫は自分で銀の鍵を扱えないと理解すると、酷く苦々しい表情を浮かべた。
「一応、心子さんのように魔術だけでもヨグ=ソトースの力を引き出すことができるよ。残念ながら、銀の鍵と比べるとかなり劣ってしまうんだけどさ」
「具体的には何が違う? 銀の鍵でないとできないことは何だい?」
「例えば時空操作で作る障壁の強度だね。僕単独の力で作った障壁だとルベドの攻撃に耐えられないけど、銀の鍵を介して作った場合は問題なく耐えられる」
「へぇ、それはすごいね。ルベドのルーン魔術に耐えるのは俺でも難しいのに」
雫は素直に感心しているようだ。
だが聞きたいことはそれでは無い、といった圧力を感じる。
他にもいくつか説明すると、雫はその都度好意的な反応を返すものの、それは表面上だけだった。
痺れを切らしたのか、雫が口元だけ笑いながら問いかけてくる。
「……成大心子が空間転移をしていただろう。あれを銀の鍵で行った場合はどう変わる?」
「銀の鍵があればパラレルワールドへの転移が可能になるよ。銀の鍵が無い場合は基本的に無理だね」
「なぜだ?」
「単純に出力が足りないからだよ。膨大な魔力があれば強引にできるけど、非現実的だと思う」
例えばヒカルが持っていた黄金の首飾りで魔力を補えばできる。
ただし、それでも片道分の魔力にしかならない。
そう考えると、選定魔術はどうやってパラレルワールドから拉致しているのだろうか?
銀の鍵以上にヨグ=ソトースから力を引き出すことができなければ、成立しないはずだ。
僕にはわからないが、オーディンは何か知っていたのだろう。
「銀の鍵が使えなければ非現実的か……。そうなのか……」
そう呟いて、雫は何かを考えこみ始めた。
雫は僕から何を聞き出したかったのだろうか?
雫の様子から察するに、パラレルワールドへ転移する方法に興味があったのは間違いないが……。その意図がわからない。
雫の正体はパラレルワールドから拉致されていることに気づいているエインフェリアで、元のパラレルワールドに帰りたがっているとか……?
始めはそう思ったが、やっぱり違う気がする。そもそも雫の強さから考えると、彼の正体はエインフェリアじゃなくて北欧の神だろうし。
彼には何か別の目的がありそうだ。