36_白い男
僕は邪神ヨグ=ソトースの力を引き出して戦う時空操作魔術師として、それなりに優秀なつもりだ。
幻夢境と呼ばれる場所で怪物や他の魔術師を打ち倒した経験も豊富だし、実はムスペル教団のエインフェリアと戦ったこともある。
だけど白い男――もとい、雫は、そんなやつらとは比べ物にならないほど力を持っていた。雫の正体は北欧の神だと考えた方がしっくりくるほどだ。
まあでも、僕だってエインフェリアに詳しいわけじゃない。
僕が今まで見てきたエインフェリアは、ヒカル、季桃さん、優紗ちゃん。あとは元いたパラレルワールドで戦った、ムスペル教団のエインフェリアくらいだ。
もしかすると雫のような力を持つエインフェリアだって実在するのかもしれない。……だとしても、新人というのはありえないけど。
一応、念のために確認しておこう。
エインフェリアはパラレルワールドから召喚されている。
そして僕が持っている銀の鍵を使えば、相手がパラレルワールドから来た人物か判定することができる。
雫がこことは違うパラレルワールドの出身ならエインフェリア、そうでないなら北欧の神だと考えて良いだろう。
僕は雫に気づかれないように銀の鍵を使い、雫に対して魔術を使用した。
………………。
なんだこれは……!?
態度には出さないように気を付けたつもりだが、雫は何かを感じ取ったのか僕に声をかける。
「どうかしたかい? 何か気になることでもあるのかな」
まあ、雫の正体とか、気になることは山ほどあるけど……。
銀の鍵による判定は間違いなく正常に行われた。
雫に妨害された形跡も一切無い。
だけど、雫がパラレルワールド出身かわからなかった。
例えるなら、○と×しか回答が用意されていない問題に無が返ってきたようなものだ。
雫が銀の鍵についての知識を持っていて、何らかの対策をしてきたのだろうか?
そうは見えないけど。
エインフェリアという仕組みを作り上げたオーディンが、パラレルワールドや銀の鍵に関する魔術的知識を持っていたのは間違いない。
でもエインフェリアがパラレルワールドから拉致されてきた人物だと、カラスたちは知らないようだった。それなのに、雫だけが知っているとも考えにくい。
判定結果に無が返ってくるのは雫が用意した対策ではないとして、それならこの結果はどう解釈すべきだろうか。
わからないことは悩んでも仕方ない。
ちょうど雫が質問を促してくれていることだし、ひとまずは無難なところから尋ねてみるべきだろう。
「名前について聞かせてもらいたいな。雫という名前は偽名だよね?」
「当然だとも。自分の名前がわからないから仕方ないだろう? 俺が神々に取られた質は、自分の名前なんだからさ」
悪びれる様子もなく、雫は平然と答えた。
エインフェリアは戦乙女であるヒカルを除いて、大切なものを神々に奪われることになっている。
確かに名前を大切にしている人はいるだろう。質として奪われてもおかしくない。
まあ、雫の場合は本当に取られているのではなくて、あくまで新人エインフェリアという設定の1つだろうが。
「いやぁ、参ったよ。ルーン魔術の中には自分の名前を用いるものもあるのにさ。これじゃ俺の戦闘力は大幅ダウンだ。それでも誰にも負けない自信はあるけどね」
「自身の名前を用いるというのは、名当てとかに関連していると思えばいいのかな?」
「ああ、そうだよ」
名当てはルーン魔術に限らず、オカルト分野では有名な概念だ。
有名なだけあって、魔術師でなくとも聞いたことがあるかもしれない。
怪異の名前を当てる童話が世界中にあるくらいだ。ルンペルシュティルツヒェンとか、大工の鬼六とか。
僕が使っている魔術は自分の名前は使わないけれど、ヨグ=ソトースという時空の神に力を借りる魔術であるため、ヨグ=ソトースの名を知らなければならない。
そういうわけで、魔術にとっては名前という概念は非常に重要だ。
魔術師にとっては質として取られるに値するだろう。
「まあ俺くらいになると名前を複数持っているから、そこまで致命的かと言われるとそうでもないんだけどさ。本来の名前とでも言うべき、一番重要な名前が取られてしまったんだ」
「確か北欧神話の主神であるオーディンも、名前をいくつも持っていたんだっけ」
「より効果的に魔術を運用するために使い分けていたんだろうね。さすがの俺もオーディンほどは名前を持っていないけどさ」
確かオーディンは50個以上も名前を持っていたと季桃さんが言っていた。
オーディンは魔術の神でもあるらしいが、どれだけ魔術に習熟していたのだろうか……。
「雫というのは俺が持っている名前の1つだよ。厳密にいえば、そこからさらに日本人の名前っぽく訳したものだけどね」
あだ名だと思って気軽に呼んでくれ、と雫は言うけれど遠慮したい。
他の名前を知らないから、雫と呼ぶしかないけど。
「雫もエインフェリアなら、何らかの形で死亡したんだよね? デリケートな話になるけど、死因について聞いてもいいかな?」
エインフェリアは本当は死んでいないけど、雫はそのことを知らないはずだから一応聞いてみる。
おそらく本当のことは話さないだろうから、あまり意味はないけど。
そう思っていたが、雫の返答は興味深かった。
「ムスペル教団って知っているかな? 俺はその教団のリーダーであるルベドに殺されたんだ」
「雫はエインフェリアになる前から、ムスペル教団と敵対していたの!? しかもルベドに直接!?」
「まあね。実は俺はさ、エインフェリアになる前から北欧の神々と協力関係にあったんだよ」
ムスペル教団は僕と因縁が深い魔術師集団だ。僕を育ててくれた祖父母を殺した連中なので、親の仇とも言える。
さらに言えば、このパラレルワールドの僕とヒカルを殺した奴らでもある。
そんなムスペル教団と雫が敵対していたということは、少なくともムスペル教団と戦うという点では、雫と協力できそうだ。
まあ、雫の証言をどこまで信じていいかわからないけど。
それはそれとして、エインフェリアになる前から北欧の神々と協力関係にあったというのも意外だ。
北欧の神々はカラスを使って心子さんを追い回していた印象が強くて、エインフェリアではない魔術師と協力関係を結ぶイメージが沸かない。
僕もエインフェリアになる前からヒカルを守っていたけど、北欧の神々から接触は一度も無かった。
雫が言うような、北欧の神々と協力関係を結んでいる魔術師は本当にいるんだろうか?
「神々と協力関係にある魔術師って雫以外にもいるの?」
「俺が知る限りはいないね。どれだけ優秀な魔術師でも、エインフェリアと比べると戦力にならないし。つまり俺はエインフェリアではないときから戦力になりえる、特別に優秀な魔術師ということなのさ」
優秀な魔術師でも、エインフェリアほど戦力にならないのは間違いない。
自分を優秀と称するのも気が引けるが、エインフェリアになる前の僕は、銀の鍵という特別な力を使わなければエインフェリアを倒せるほどの力は無かった。
心子さんも記憶を失っている僕と優紗ちゃんにスコルの子をけしかけたが、結局は逃走する憂き目にあっている。
要するに人間の魔術師の限界は、エインフェリアに全く通用しないわけではないけど絶対に勝てない、という所にあるのだ。
ただ、何事も例外はある。
「そういえばムスペル教団のリーダーだと言われているルベドも、エインフェリアじゃない普通の人間なんだっけ。それなのにエインフェリア数人を相手取れるんだよね」
「あいつを普通の人間と呼んでいいかは微妙だけど、神々に敵対的な人間をエインフェリアにする意味も無いからね。ルベドは人間だよ」
もしルベドがエインフェリアになれば、雫くらいの強さになるだろうか……?
僕には判断がつかない。
「雫はルベドに負けたんだよね。雫よりルベドの方が強い?」
「俺が劣っているみたいな言い方は心外だな。ルベドが人外じみた魔術師というのも事実だけどさ、俺が負けたのは相性の問題だよ。ルベドは炎の魔術を得意とするんだが、俺は炎が苦手なんだ」
炎が苦手って本当かな。
雫の言うことは何もかもが胡散臭くて、全面的に信じるのは危険に思える。
真実もいくらか混ぜているけど、雫にとって重要なことは絶妙に隠しているような気もする。
とりあえず、今聞けそうなことは聞き出せただろう。
「もう大丈夫。話してくれてありがとう」
「もういいのかい? それじゃ、今度は俺がキミに質問する番かな?」
「ああ、なんでも聞いてくれ」
雫の正体が何であれ、彼が僕に接触してきたのは僕の魔術知識が目的だろう。
北欧の神々は僕の知識を欲していたから、それは間違いない。
何を話して何を隠すか、その取捨選択はあらかじめ決めておいた。
雫――というか、北欧の神々を全面的に信用しているわけじゃないし。あちらだって全部話していないのだから、隠し事くらい構わないだろう。
「じゃあ結人君――と、その前に場所を変えようか。ここでも大丈夫だろうけれど、絶対に盗聴されない場所で聞きたいからね。念を入れておこう」
「いいけど、何について知りたいの?」
「銀の鍵について」
雫の言葉に僕は一瞬凍り付く。
僕の反応を見て、雫がにやりと笑った。
なぜ雫が銀の鍵のことを知っているんだ?
北欧の神々も、銀の鍵の重要性にはまだ気づいていないはず。このパラレルワールドに来てからは、ヒカルに一度見せただけだ。
銀の鍵はかすかに魔力を帯びているから、ヒカルがそのことを北欧の神々に報告していた可能性はあるけれど。だとしても、帯びている魔力の量は非常に少ないので、注目を浴びるとは思えない。
雫に銀の鍵について気づかれるような失態は犯していないつもりだし、雫はどこで銀の鍵について知ったのだろうか?
僕が返事に困っていると、鋭角からスコルの子が飛び出してきた。
話していた時間から考えて、そろそろ現れてもおかしくない頃だった。
「話も一区切りついたところだったし、ちょうどいいね。俺の力を見せてあげよう。そして、キミの力を俺に見せてくれるかな? がっかりさせないでくれよ」