34_ヒカルの正体_その2
「もしかして、今はヒカルが唯一の戦乙女なのか?」
「その通りだ。神話の時代が終わってから現代まで、戦乙女はいつも1人だけ。現代の戦乙女に力を貸し与えている、レギンレイヴの本体ともいうべき存在が1つしかないのだから仕方あるまい」
本体? なんだそれは。
カラスたちはこれ以上のことを話すつもりが無いようで、何も語ってくれない。
しばしの沈黙が流れた後、口を開いたのはヒカルだった。
「私……生前はルーン魔術とか一切使えなかったし、北欧神話のことも全然知らなかったんだけど……。エインフェリアになってすぐ、頭の中にそういう情報が流れ込んでくるようになったの。たぶん、その本体っていうのが教えてくれているんだと思う」
初代レギンレイヴは神だが、2代目以降は神の血を引いてはいるものの、神ではない。そのため、2代目以降が戦乙女の力を発揮するためには、本体とやらの力添えが必要らしい。
ヒカルも本体の力添えがなければ、エインフェリアとして死者を蘇らせることはできないそうだ。逆に本体も、ヒカルのような2代目以降の戦乙女がいなければエインフェリアを生み出せない。
戦乙女とは何なのか、それについては大体のことを聞けたと思う。
けれど今までの話の中に、ヒカルの呪いの話が全く出てこなかった。僕が最も聞きたいのはそれだ。
ヒカルの呪いが北欧の神々と関係しているのはわかっている。あちらから話してくれないなら、僕からカラスに尋ねなければ。
「生前のヒカルには、親しい人を不幸にする呪いがありましたよね。それは北欧の神々がかけたものですか?」
「そうだ」
僕は無意識のうちにカラスを睨みつけていた。
今までは北欧の神の代弁者であるカラスに対して敬った話し方をしていたが、それももう辞めだ。
「どうして……。どうしてヒカルに呪いをかけたんだ!」
「ヒカルをエインフェリアとして蘇らせ、戦乙女として覚醒させるためには黄金の首飾りが持つ魔力が必要だったからだ」
黄金の首飾り。それは戦乙女のリーダーであり、主神オーディンの妻とも言われる女神フレイヤが持っていたとされる首飾りだ。
僕と季桃さんの予想は当たっていたらしい。
だけど、なぜヒカルをエインフェリアにするために、黄金の首飾りの魔力が必要だったんだ?
死者をエインフェリアとして蘇らせる方法は、ルーン魔術によるものだと聞いている。その魔術の行使に魔力が必要なのは理解できる。
しかしヒカルは蘇らせてもらう側であって、魔術を使うのは先代の戦乙女のはずだ。事実として、僕や季桃さんはエインフェリアとして蘇る際に、僕たちが持っている魔力は使っていないはずだ。
ヒカルを戦乙女として覚醒させて、レギンレイヴの本体と繋がりを持たせるために必要だったと解釈できなくもないが、違和感があった。
「確認したいんだけどさ、先代の戦乙女がヒカルをエインフェリアにしたという理解であってる?」
「違う。先代は10年ほど前に死んでいる」
「じゃあ誰がヒカルをエインフェリアにしたんだ! 先代がずっと前に死んでいるなら、ヒカルをエインフェリアにできる戦乙女は存在しないはずじゃないか!」
致命的な矛盾だ。今までカラスが話した内容に誤りがあるのか、それともどこかに嘘があるのか……。
僕はカラスの返答を待つ。
しかし、返事の内容は全く予想していない物だった。
「知らん」
「は……? 知らない……?」
「戦乙女の仕組みは、今は亡き主神オーディンが作り上げたものだ。しかし生き残った北欧の神々の中に、その仕組みを理解しているものはいない」
カラスたちが言うには、仕組みはわからないけれど運用はできている状態らしい。
北欧の神々の恥部を晒すようで苦々しい様子ではあるが、カラスたちは現状を説明してくれる。
「戦乙女に選定のルーン魔術をかけてもらう以外、エインフェリアとして蘇る方法は無い。だが何故か、戦乙女の候補者に黄金の首飾りを魔術的に埋め込んでおけば、死亡時に自動的に選定のルーン魔術が発動する」
「当然だが、候補者はあくまで候補者であり、エインフェリアになる前はただの人間だ。戦乙女では無いため、選定のルーン魔術は使えない。つまりその場に戦乙女はいないのだ。なのに選定のルーン魔術が発動する」
「黄金の首飾りは周囲に不幸を撒く代わりに、内部に膨大な量の魔力を蓄える性質がある。この魔力なのだが、選定のルーン魔術が自動的に発動した際に大きく目減りするのだ。この魔力を使ってこの矛盾を解決しているのだと思われるが……実際のところはわからない」
カラスたちが正直に答えていることは、彼らの様子を見てわかった。
だけど、北欧の神々がヒカルに呪いをかけて、苦しめていたことに違いはない。
ヒカルが今こうして泣いているのは、元を正せば北欧の神々がすべての元凶だった。
僕は北欧の神々への怒りを隠せないでいた。
それを見て、慌てた様子でカラスたちが取り繕おうとする。
「エインフェリアを新たに生み出すには戦乙女が不可欠だ。これは世界を守るためには必要なことだったのだ」
「ヨグ=ソトースの娘の危険性はお前たちも知っての通りだろう。あのような怪物は世界中にいる。あれは戦乙女とエインフェリアの活躍無しには、排除できない脅威なのだ」
北欧の神々は、記憶を失う前の僕が持っていた魔術知識を欲している。
だから僕が素直に知識を提供するように、その先行投資としてこうして話をしてくれているのだろう。
普通の人間では対処不能な怪物と対抗するために、戦乙女とエインフェリアが必要というのはわかる。
けれどそのためにヒカルが泣いたり、優紗ちゃんが死んだり……。そういったことは受け入れ難かった。
「それに今は、ムスペル教団という魔術師の集団が頭角を現している。奴らに対抗するためにもエインフェリアの力は必要だ」
ムスペル教団? 魔術師の集団ということは、相手は人間だろう。
心子さんのように優れた魔術師が相手なら、普通の人には対処が難しいかもしれないが……。それでもエインフェリアの力が必要とは思えない。
自衛隊のように軍として武装した集団や、同じ魔術師同士であれば十分に対処が可能だろう。
「人間の魔術師が相手なら、エインフェリアは必須とは言えないよね?」
「ムスペル教団のリーダーを務める男、その名をルベドという。あれは人間でありながら、エインフェリア以上の戦闘能力を持っている」
それは本当に人間なのか? 信じられないが、間違いないらしい。
人間でありながらエインフェリアに次ぐ膂力を持ち、上級までのあらゆるルーン魔術を自在に操るという。
神々専用のルーン魔術すら使えるのではないかという疑惑もあるが、今のところ、その説は否定されているようだ。
ルベドは最低でもエインフェリアを数人同時に相手取れるほどの実力を持っており、普通の人間では対処できないほど人並外れた力を持っているらしかった。
「それにムスペル教団には、神々を裏切ったエインフェリアが多数所属している。その中には戦闘経験の少ないお前たちを手玉に取ってしまうような強者もいることだろう」
「お前たちをヨグ=ソトースの娘の討伐に割り当てていたのは、そういったエインフェリアを相手取らせるのはまだ酷だと判断してのことでもあるな」
そういえば、新人エインフェリアを見えない壁の内側に閉じ込めたり、認識阻害魔術を施していたり。
北欧の神々はエインフェリアが裏切ることができないように、いろいろと対策をしていた。
「ムスペル教団は何を目的としているんだ? それに、どうしてエインフェリアがそっちにつくんだ」
「エインフェリアが裏切る理由はわからん。だが、ムスペル教団の目的はわかっている。奴らは世界の破壊を目的としているのだ。レーヴァテインを使ってな」
レーヴァテインって何だっけ。ゲームに登場する武器や魔法の名前として聞いたことはあるような。
どういうものだったか僕が思い出せないでいると、季桃さんが教えてくれる。
「北欧神話に伝わる武器の1つで、世界をまるごと焼き尽くす究極の武器とか言われているやつだよ。伝承でも戦争の最後に炎の巨人がレーヴァテインを使って世界中を焼き尽くしたから、最後には神が6人、人間が2人しか生き残らなかったんだ。ちなみに、ムスペル教団のムスペルっていうのは炎の巨人のことだね」
季桃さんの説明は正しかったようで、カラスが頷く。
ムスペル教団は神話の時代に生きていた炎の巨人と同じことをしようとしている集団と考えて良いみたいだ。
どうしてそんなことをしようとしているのか、なぜエインフェリアは世界を滅ぼす手助けをするために北欧の神々を裏切るのか。わからないことは多いけど。
ムスペル教団と戦うのなら、自分たちよりも強いエインフェリアと戦うこともあるだろう。
季桃さんは不安そうだった。
ヒカルが沈痛な面持ちで呟く。
「ムスペル教団……。私たちの家を襲って、燃やして、おじいちゃんとおばあちゃんを殺したやつら……」
ムスペル教団が僕たち久世家を襲って、僕たちの日常を破壊したというのか。
戦乙女の候補者だったヒカルを狙っての犯行だろう。
正直なところ、ヒカルに呪いをかけた北欧の神々を僕は信頼できない。いつか神々を裏切る必要もあるかもしれない。
でもムスペル教団に身を寄せる選択肢はもっと無い。ムスペル教団は僕たちの祖父母の仇であり、因縁の相手なのだから。
もし今後、僕たちが北欧の神々と袂を分かつことがあったとしても、ムスペル教団は受け皿にはならない。
ヒカルと季桃さんを守る最善手は何だろうか……。
記憶が戻れば、僕が取れる手段も変わってくるかもしれない。
「……いろいろ聞けて参考になったよ。そろそろ記憶を返してもらえるかな?」
「いいだろう。久世結人と晴野季桃の質を返還する」
カラスと事前に話したときは、僕たち全員の大切なものを返して貰えるという話だったはずだ。
当然、ヒカルの大切なものも返してもらえるはず。
それなのに僕と季桃さんだけなのか?
僕が怪訝そうな顔をしていると、カラスたちから説明があった。
「久世ヒカルからは質を徴収していない。戦乙女の候補者だった故、ヒカルは生まれた時から我らの監視下にあった。今さら質を取らずとも、ムスペル教団と内通していないことはわかっている」
ヒカルは自分が戦乙女であることや、本当は質を取られていないという特別扱いについて他言することを禁じられていたらしい。
僕たちと行動を共にしていたのは、自衛できる力をつけるためだという。
ヒカルもエインフェリアである以上、スコルの子に襲われてしまうから、最低でもその対処は必要になる。
それに先代の戦乙女はムスペル教団に殺害されたらしい。だからムスペル教団のエインフェリアに襲われても、返り討ちにできるようにヒカルを鍛える必要があった。
それでヨグ=ソトースの娘と戦わせるのはやりすぎではないかと思ったが、僕たちの立てた作戦を聞いて、勝てると判断して送り出したらしい。
実際のところ、ヨグ=ソトースの娘には勝てた。
それにヨグ=ソトースの娘を倒すためにヒカルは猛特訓をして、中級のルーン魔術を安定して発動できるように成長している。
ヒカルに力をつけさせるという一点について言えば、北欧の神々は完璧に目的を果たしていた。
その過程で優紗ちゃんが死んだことには納得できないけれど。
……別に、北欧の神々が意図して優紗ちゃんを死に追いやったわけではない。
優紗ちゃんは僕と一緒に神々のリーダーであるバルドルへの謁見を命じられていたし、優紗ちゃんが亡くなったのは北欧の神々にとっても想定外の損害だったのだろう。
仮にエインフェリアを増員したとしても、トートの剣でなければ毒の洪水には対処できない。
可能性があったとすれば、心子さんと共闘関係を結んで、毒の洪水が起きた瞬間に転移魔術で脱出するくらいだろうか。
でも心子さんと共闘関係を結べなかったのは、認識阻害魔術のせいだ。その辺りの裁量は北欧の神々が握っていた。
それに僕の記憶が戻っていれば、僕は心子さんと同系統の魔術を使える可能性がある。僕の記憶を戻すかどうかの裁量も北欧の神々が握っていた。
故意では無いとはいえ、やっぱり優紗ちゃんが死んだのは北欧の神々のせいじゃないか?
僕はそんな考えを捨てきれない。
しばらく待っていると、僕と季桃さんに大切なものを返す準備が整ったようで、カラスが声をかけてくる。
これで僕には2年弱の記憶が、季桃さんには晴れが返ってくるはずだ。
カラスたちが注意事項を僕たちに告げる。
「久世結人には膨大な記憶が流れ込んでくるため、めまいを起こす可能性がある。立っていると危険なため、座っているといいだろう」
「晴野季桃には急に日が差す。エインフェリアといえども太陽を直視するとそれなりに危険なため、逆側を向いておくように」
僕たちはカラスたちに言われた通りして、大切なものを返してもらえるのを待つ。
そしてカラスが呪文を唱え終わると同時に、失っていた記憶が濁流のように押し寄せてきた。
僕の持っていた常識が、全て崩壊した。
僕たちは最初から間違えていた。事実を取り違えていた。
記憶を取り戻した僕だけが、正しい魔術知識を持っている僕だけが、それを知っている。