33_ヒカルの正体_その1
優紗ちゃんのおかげで僕、ヒカル、季桃さんの3人は毒の洪水から逃れ、洞窟から脱出することができた。
洞窟の中を振り返って見れば、入口ぎりぎりの所まで毒液が溜まっている。優紗ちゃんがトートの剣で食い止めてくれなければ、溢れ出していただろう。
僕たちは重い足を引きずるようにして、拠点にしていた神社の廃墟へと向かう。
「エインフェリアたちよ、よくぞ戻った。ヨグ=ソトースの娘を撃退したようだな」
そう出迎えてくれたのは、北欧の神々の使い魔である2羽のカラスたちだった。
カラスたちが勝利を讃えてくれるが、僕たちの表情は暗い。
季桃さんはずっと俯いているし、ヒカルはえずくように泣き続けている。
優紗ちゃんは大量の毒に飲まれて死んでしまった。
エインフェリアといえども、神すら殺すあの毒に長時間浸かってしまえば、全身が腐り落ちてしまうだろう。
彼女の遺体すら、僕たちは回収できない。
「私のせいなのっ……。私さえいなければ、きっと優紗ちゃんは死ななかったの! しかも私が選定したから、2回目は遺体すら残らない酷い死に方になって……!」
ヒカルが泣きながら自分を責める。
言い方から察するに、ヒカルは優紗ちゃんが毒の洪水に飲まれたことだけじゃなく、エインフェリアになる前の1回目の死についても自分を責めていた。
1回目の死とは、呪いのことを言っているのだろう。
だけど、『私が選定したから』というのは何だ……?
まるでヒカルが優紗ちゃんをエインフェリアに選んだような言い方だ。
季桃さんが何かに気づいたようで、ヒカルに問いかける。
「選定? まさかヒカルちゃんって、戦乙女?」
それに対して、ヒカルは小さく頷いた。
戦乙女について、僕は季桃さんから説明を受けたことがある。戦乙女とは、エインフェリアにする死者を選ぶ役目を持つ女神たちのことだ。
「ヒカルが戦乙女ってどういうこと? ヒカルは人間だよね?」
ヒカルは泣き腫らしていて答える余裕が無さそうだ。
それを察して季桃さんが推測を述べてくれる。
「戦乙女はオーディンの娘って伝承がほとんどなんだけど、稀に人間の王族の娘として登場することもあるの。だから、生まれは人間の戦乙女がいてもおかしくはないのかも」
人間の戦乙女がいないとは言い切れないのか。
ヒカル本人が肯定している以上、ヒカルが戦乙女であることは受け入れるしかない。
カラスも補足の説明をしてくれる。
「晴野季桃の言う通り、ヒカルは戦乙女としての役割を持つ特別なエインフェリアだ。ヒカルは戦乙女だけが使える特別なルーン魔術で、お前たちをエインフェリアとして蘇らせたのだ」
僕たちを生き返らせたのはヒカルだと、カラスは断言した。
エインフェリアとして選ばれた、僕、ヒカル、優紗ちゃん、季桃さん。
この4人は生前からの友人だったり、義兄妹だったり、やけに関係が近い人ばかり集まっていると思っていた。
同じ時期に死んだのは偶然なのだろうが、ヒカルがエインフェリアを選んだから偏った側面もあったのだろう。
ヒカルが呟く。
「エインフェリアとして戦いを義務付けられるとしても、生き返るならその方がいいと思ったの。私の呪いで今まで何人も死なせてしまったから、せめてエインフェリアになれる人だけでも生き返らせようって。
でもこんなに早く、こんなに凄惨な死に方をするなんて……。そんなこと全然思ってなかった……」
僕はヒカルを宥めながらカラスへと視線を向け直す。
「そもそもなぜヒカルが特別なエインフェリアなんですか。呪いと何か関係が?」
「本来であれば戦功が足りていないが、今回は成大優紗の勇敢な死に免じて話してやろう。死を恐れぬ勇士の姿は我らにとって何より尊いものだからな」
カラスの言葉に季桃さんは複雑な表情を浮かべている。
北欧神話は戦争と死と神話。それを思い出しているのだろう。
優紗ちゃんとの約束を果たすためには、ヒカルと季桃さんを守るためにはもっと知識が必要だ。
ヒカルの秘密について知ることができる意義は大きい。
だけど、優紗ちゃんが死んだおかげで知ることができたなんて、精神的には受け入れ辛かった。
カラスたちは僕たちの心境を知ってか知らずか、淡々と話を始める。
「戦乙女とは、死者の中から優秀な者を見つけてエインフェリアとして蘇らせる役目を持つ女神のことだ。最初の戦乙女たちは神であったが、戦場に立つ乙女ということもあってか、優れた力を持つ人間の英雄と婚姻を結ぶこともあった。
そうして戦乙女と人間の間に生まれた子供の中に、戦乙女となる資質を備えた者がいた。それが人間の戦乙女だ」
「神話時代の戦争で神々はほとんど死に絶えたが、6人だけ生き残ることができた。
そしてその中に、戦乙女が1人だけ混じっていた。名をレギンレイヴという。レギンレイヴは人間の男と子を成した。
久世ヒカルはその遠い子孫である。遠い子孫とはいえ、久世ヒカルにも戦乙女としての適性は受け継がれているのだ」
……戦争で生存したのは神が6人と人間の男女2人だっけ?
レギンレイヴがその1人なのだろう。
そう思ったが、季桃さんが怪訝な顔をしながらカラスに問いかける。
「伝承だと女神は1人も生き残ってないですよね。生き残った人間の女性の名前とも違いますし。伝承と実際の生存者は違うということですか?」
「いや、伝承の通りであっている。人間の女として数えられているのだ。
レギンレイヴは戦乙女としての名前で、その者の個人としての名前は伝承に残っている通り、リーヴスラシルと言う。
要するに、名前を2つ持っていたのだ」
「あぁ、なるほど。北欧神話って名前を複数持ってる人物が多いですしね。オーディンなんて50個以上はあるはずですし」
50個以上も名前を持っている……?
不思議に思ったが、幼名や肩書が含まれているらしい。
名乗っている時期が違ったり、用途で使い分けたりしていたようだ。
例えば江戸時代の人物である徳川将軍には、徳川将軍という呼び方の他にも竹千代や水戸御老公という呼び方がある。
要するに、オーディンは戦争の神、魔術の神、死の神、詩文の神といったように様々な分野に精通していた神なので、名前がすごく多いのだ。
偉大な神ほど、基本的には別名が多いらしい。
「名前が2つのレギンレイヴは神の中では下位くらいなのでしょうか? 戦乙女は人間と婚姻を結ぶくらい、人間に近いようですし」
僕の疑問にカラスたちが答える。
「概ねその認識であっているが、戦乙女の名前は少々特殊でな。幼名や役職名ではなく、襲名なのだ。戦乙女としての資質を最も持っている子孫1人が戦乙女の名前と能力を受け継ぐことになる」
「戦争に生き残ったレギンレイヴは神である初代ではなく、初代の子孫である。人間として数えられているのもこのためだ」
今のカラスの発言には重要なことが含まれていた。
最も資質を持っている子孫1人が戦乙女の名前と能力を受け継ぐ……?
資質を持っている子孫であれば誰でも戦乙女になれるのなら、戦乙女の数は増えていく。たとえ神話時代の戦争で1人にまで減ったとしても、それから何度も世代を重ねればある程度の人数に回復するだろう。
だけど最も資質を持っている子孫1人にしか受け継がないなら、戦乙女の数が増えることは無い。
そういうことはつまり……。
「もしかして、今はヒカルが唯一の戦乙女なのか?」