30_勇者の死
僕たちは死闘の末にヨグ=ソトースの娘を倒した。
それは間違いない。
けれど不意に……。ヨグ=ソトースの娘の身体から「ゴポッ」と大きな水音がした。するとその直後、ヨグ=ソトースの娘の肉体が突然腐り落ち始めた。
あれほど巨大だった肉塊はぐずぐずと崩れ落ち、みるみると姿を消していく。
そしてヨグ=ソトースの娘の死体から、雪崩のように大量の毒液が噴き出し始めた。
「そんなっ! 毒袋は間違いなく避けて攻撃していたのに!?」
「もしかして毒液で身体が自壊して、合成され始めちゃったの!?」
優紗ちゃんが毒を持つ器官を最後まで避けて攻撃していたのは間違いない。
ヨグ=ソトースの娘は死ぬと毒液が自然と合成されるような身体の仕組みをしていたのか、もしくは僕たちを道連れにしようとして自ら仕込んだものなのか……。
ヨグ=ソトースの娘は北欧神話に伝わる大蛇ヨルムンガンドと同種の生物の可能性がある。
だから僕たちはヨルムンガンドについて季桃さんから神話を教わっていたのだが、その中にこんな話があった。
“雷神トールはヨルムンガンドを打ち倒したが、ヨルムンガンドが最後に吹きかけた毒によって命を落とした”
僕たちはヨルムンガンドが吹きかけた毒とは、戦闘中にも何度か放ってきた毒の噴水のことだと思っていた。
けれど本当は、死んだ後に死体から溢れ出る毒の洪水のことではないだろうか。
慌ててヒカルがルーン魔術で無毒化を図るが、あまりに量が多すぎて全く追いつかない。
優紗ちゃんもトートの剣で浄化をしているが、毒液が合成される速度の方が上回っているようだ。
僕たちが倒したヨグ=ソトースの娘は、神話に出てくるヨルムンガンドより何倍も小さな個体だ。その分、溢れ出す勢いも毒性も弱いのかもしれない。
けれどそれでも、北欧の神を殺した毒と同じものには違いないのだ。
「さすがに量が多すぎる! みんな、急いで逃げるぞ!」
僕はすぐ傍にいたヒカルの手を掴み、引っ張るようにして逃げ始める。
優紗ちゃんと季桃さんもすぐさま僕の声に反応して、弾けるように洞窟の外へ走り始めた。
「ど、どうしよう!? 追いつかれちゃうよ!?」
ヒカルが引きつった声でそう告げる。
毒液の合成はどんどん加速しているのか、少しずつ毒の洪水が僕たちに近づいてきていた。
洞窟の内部は平地と違って走りにくい。エインフェリアの身体能力をもってしても、追いつかれるのは時間の問題だ。
いくらエインフェリアといえども、毒の洪水に飲まれてしまえば、間違いなく死んでしまう。
そもそも毒の洪水はどこまで続くんだ?
この勢いだと毒液は洞窟の外まで飛び出してしまいそうだ。
神社の廃墟や山の中程度ならまだいいが、最悪の場合は住宅街まで被害が出てしまう可能性もあるかもしれない。
そんなことを考えていると、隣を並走していた優紗ちゃんが話しかけてきた。
「結人さん、以前に交わした約束を覚えていますか? 戦力を確保するために、新たなエインフェリアを探しに出かけたときの約束です」
もちろん覚えている。
僕にとって約束はとても重要なことだ。
僕は嘘つきの両親とは違う。
優紗ちゃんとの約束だって一言一句覚えている。
『約束してくれますか? 私と一緒に、ヒカルちゃんと季桃さんを守ってくれるって』
『もちろんだよ。約束する。僕たちで2人を守ろう』
そしてこの約束には、優紗ちゃんの言葉が続いている。
『ありがとうございます。その……もし私が死んでしまったら、2人のことをお願いしますね』
僕の両親は「帰ってくる」という約束を守らなかった。
そのときに僕は、絶対に人との約束を破らないことを誓った。
それ以来、僕は約束を違えたことがない。
「どうやら今がその時みたいです。後を頼みますね、結人さん」
僕は優紗ちゃんの目をしっかりと見据えながら頷く。
優紗ちゃんは僕の返事を確認すると立ち止まり、トートの剣を構えて毒液の洪水と正面から向かい合った。
「えっなんで優紗ちゃん止まったの!? 早くみんなで逃げないと!」
「ユウちゃん、約束って何!? 優紗ちゃんは何をしようとしてるの!?」
混乱したヒカルと季桃さんの足が止まる。
「このままでは毒に飲まれて全滅してしまうので、誰かがあれを止めなければいけません。大丈夫ですよ、私にはトートの剣がありますからね。勇者ユサに任せてください」
優紗ちゃんはヒカルと季桃さんを落ち着かせるような声色で、静かにそう言った。
トートの剣には毒物の浄化能力があるが、さすがにこの量の毒液を全て無毒化するのは不可能だ。
ここに一人で残った優紗ちゃんが生き残れる可能性はゼロに近いだろう。
かといって、ルーン魔術による浄化はトートの剣よりも遥かに効率が悪い。
結局のところ、今この場で僕たちが選べるのは、みんなで死ぬか、優紗ちゃんを犠牲にして3人が生き残るかどちらかだ。
「ユウちゃん、何とかならないかな!? 優紗ちゃんが死んじゃう、死んじゃうよ……」
ヒカルが泣きながら呟くように僕にすがる。
記憶を失う前の僕だったら、こんな状況を切り抜けることもできるのかもしれない。
ふと、ポケットに入れていた銀の鍵に意識が向いた。
銀の鍵は僕の両親が最後にくれた、大切なお守りだ。
この鍵になら、記憶を失う前の僕が切り札となる魔術を仕込んでいるかもしれない。
だけどそれは何の根拠も無い、都合のいい希望でしかない。
銀の鍵に何もなかった場合、優紗ちゃんとの約束を破った上に被害を拡大させる結果となるだろう。
「行ってください!」
優紗ちゃんがそう叫ぶ。
やはり僕は優紗ちゃんとの約束を破るわけにはいかない。
僕は一度立ち止まってしまったヒカルと季桃さんの手を引いて、強引に2人の足を進めさせる。
そうして僕たち3人は、優紗ちゃん1人を置いて毒液の溢れる洞窟から脱出した。
僕たちが洞窟を出た直後、轟音と共に毒液が洞窟の入口までなだれ込んできた。
しかし優紗ちゃんが多くを浄化してくれたおかげか、毒の洪水は洞窟の外へぎりぎり漏れることはなかった。
これは僕が記憶を取り戻してから知ることだが、銀の鍵にはやはり、記憶を失う前の僕が魔術を仕込んでいた。
だけど結論から言えば、その魔術を発動させた場合、被害を悪化させるだけだっただろう。
結果論ではあるが、僕と優紗ちゃんは考えうる最善の行動をしていた。
次のエピソードは銀の鍵で優紗ちゃんを救おうとする番外編です。
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