104_VSムスペル教団_その2
「仕方ない、こいつを使うか。成すべきことを忘れてしまえ!」
リーヴは液体が入った小瓶を取り出して、地面に叩きつける。すると小瓶が割れて、中に入っていた液体が気化して煙となり、部屋中を満たす。
逃げ場が無いので、さすがにこれは避けられない。僕たちは部屋中に充満した煙を吸い込んでしまった。でもリーヴたちも煙を吸ってしまうはず。いったい何が入っているんだ?
…………。
……………………。
ここはどこだ? ここにいる人たちは何者だ?
僕が最後に覚えているのは、家に帰って自分の部屋で眠りについた記憶だ。
あれ? 本当に何が起こっているんだ? どうしてここにいる人たちは武器を持ってるんだろう。僕は何かに巻き込まれたのか……?
「皆さん、しっかりしてください!」
アイドルみたいな可憐な女性が不思議な剣を掲げたかと思うと……記憶が戻ってきた。
はぁ!? なんださっきの小瓶は!! 記憶を消す薬だと!?
心子さんがトートの剣ですぐに治療してくれなかったらまずかった。僕は銀の鍵のことも、時空操作魔術のことも忘れていた。ヒカルのことすら忘れていた。
魔術師としての経験が長い心子さんだから、記憶を失ってもすぐに反応できたのだろう。2年以上の記憶を失っていた先ほどまでの僕は、完全に一般人に成り下がっていた。
「もしかして、クリームヒルトがシグルドの記憶を消したのと同じ薬……?」
季桃さんがそう呟いた。
なるほど……。それなら事前に予想できた範疇だったし、警戒しておくべきだった。僕たちの考慮不足だ。
心子さんのファインプレーで何とかなったが、記憶消去の薬で勝負がついてもおかしくなかった。
ロキとリーヴは数千年もの長い間、オーディンを相手に戦争を続けている。直近の数年の記憶が突然消えても、戦闘能力に大した影響は無いのだろう。それに、記憶に不自然な断裂があったら自分たちが薬を使ったと判断もできる。
薬を使ったと判断できれば、すぐにルーン魔術を使って薬の効果を打ち消すことも可能だ。捨て身の戦略ではあるが、間違いなく有効な手法だった。
「今度は僕が攻めさせていただきます!」
心子さんは呪文を詠唱し、不可視の刃を生成する。時空操作魔術ではないので僕は詳しくないのだが、これは幽体の剃刀と呼ばれる魔術だ。
この不可視の刃は物体をすり抜けながら相手を斬りつけるという摩訶不思議な挙動を示す。要するに、相手の盾や鎧を無視してダメージを与えられるのだ。
リーヴは竜の血によって滅多なことでは傷つかない強靭な肉体を手に入れているが、幽体の剃刀なら関係ない。この幽体の剃刀こそが、心子さんが用意した対リーヴにおける秘策だった。
ちなみに時空操作魔術やルーン魔術で作った障壁はすり抜けられない。詳しい原理はわからないが、幽体の剃刀よりも時空操作魔術とルーン魔術の方が格が上と思っておけばいいだろう。
物体をすり抜けるため、幽体の剃刀を剣ではじくこともできない。目に見えないので、避けることも困難だ。
それでもリーヴは空気の動きなどから刃の位置を割り出して、果敢に戦っていく。しかし心子さんの方が一枚上手だった。
不可視の刃を操りながら、心子さんはリーヴを追い詰める。
「紳士の必殺技、行きます!」
そしてトートの剣を大きく振りかぶり、リーヴに渾身の一撃を食らわせた。優紗ちゃんも使っていた素通り攻撃だ。これも対リーヴにおける心子さんの切り札で、ここぞという時まで温存していた。
リーヴとしても、まさか剣術で倒されるとは思っていなかっただろう。心子さんの素通り攻撃は竜の血による防御効果をすり抜けて、リーヴの内側に直接ダメージを与える。さすがにこの一撃で死にはしないものの、リーヴは完全に不意を突かれて意識を失った。
「リーヴ! まだ戦えるだろう!」
別世界の僕は魔石と魔術起動装置を使って、下級ルーン魔術である『気絶回復』魔術を発動する。『気絶回復』魔術には傷を癒す効果も多少はあるが、基本的には目を覚まさせるだけだ。もうリーヴは戦闘不能と言っていいだろう。
だけど彼は無理やり身体を起こして、立ち上がった。
「せめて一矢報いてやる。この血は一滴まで、復讐のために!」
身体強化系のルーン魔術を極限まで自身にかけて、リーヴは残った力を全て使って剣を投擲する。どこにそんな力があったというのか、まるでロキと同じような技だ。
人間である彼はさすがにロキと同じ威力は出せないが、それでもエインフェリアを殺して余りある威力を持っている。
別世界の僕が中級ルーン魔術の『魔術的強化を解除する』魔術を、ロキが黒い霧の魔術を使ってリーヴの放った攻撃が命中するようにサポートする。こちらも『魔術的強化を解除する』魔術でリーヴの身体強化を剥いで攻撃を止めたかったが、ロキが放った黒い霧のせいでこちらはルーン魔術を放てない。
おそらくこれが勝敗を決める最後の攻防だろう。
リーヴの攻撃でこちらの誰かが倒されてしまったら彼らの勝ち。反対にリーヴの攻撃を防ぐことができれば僕たちの勝ちだ。
そして……最後の攻防は僕たちが勝った。
リーヴの攻撃はさすがに障壁を粉砕するほどではない。だからムスペル教団側の勝ち筋としては、ロキが黒い霧の魔術を使って、僕と心子さんが持つ銀の鍵を同時に封じる以外にない。
けれど銀の鍵を封じられるのは、今までの傾向から考えると5回に1回程度の割合でしかなかった。しかもそれは、どちらか片方を封じられる割合だ。
単純に考えて、100回やって4回くらいしか僕と心子さんの両方を封じられない計算になる。
今回の場合は心子さんの銀の鍵は封じられてしまったものの、僕の銀の鍵は封じられないという結果に終わった。あとは僕が障壁を作ってリーヴの攻撃を防げば終わりだ。
今までは危ういバランスで拮抗していたこの戦いも、脱落者が出たことで様変わりする。
心子さんが季桃さんとヴァーリへ合流したことで、既に弱っている別世界の僕が撃破される。あとは残っているロキを僕たち全員で倒すだけ。
そうなった瞬間、別世界の僕がヒカちゃんを睨みつけながら叫んだ。
「レギンレイヴ! レギンレイヴッ!! 状況がわかってるのか! ここで勝てればキミの目的を果たせるんだぞ!! どうしてこっちの味方をしない! なぜ、なぜだ!!!」
別世界の僕がヒカちゃんに対して強い口調でまくし立てる。なぜ別世界の僕はヒカちゃんをレギンレイヴと呼んでいるんだ?
戦乙女は初代の名前を襲名する仕組みになっているから、確かにヒカちゃんもレギンレイヴの名前を受け継いではいるけれど……。そういう意図では無さそうに見える。別世界の僕が言っているのは、レギンレイヴの本体のことのようだ。
ヒカちゃんも意味がわからないらしく、困惑している。
「何言ってるの? レギンレイヴの本体が世界を滅ぼす手伝いをするわけないじゃん。それに私に言われても……。力や知識はもらってるし、名前も襲名してはいるけどけど、私とレギンレイヴの本体は別人だし……」
「まさか、まだ支配できていないのか? 戦乙女になってから、かなり時間が経過しているはずなのに……? 今まで滅ぼしてきたパラレルワールドの中に、レギンレイヴがヒカルを支配できていない世界は1つもなかったぞ!」
レギンレイヴがヒカちゃんを支配!? 一体何を言ってるんだ!?
しかも世界を滅ぼす側に加担するだと……? 全然意味がわからない。
僕たちの困惑を悟って、別世界の僕が自棄になった様子で叫ぶ。
「オーディンなんかいないんだよ! とっくの昔に死んでるんだ! 今、タウィル・アト=ウムルをやってるのはレギンレイヴ、世界を滅ぼそうとしているのもレギンレイヴ! 僕は別のパラレルワールドのレギンレイヴに、このパラレルワールドのレギンレイヴを手伝わせるために遣わされたんだ!」
「オーディンが死んでる!? 嘘……嘘よそんなの! あの人が死ぬわけない!! レギンレイヴの小娘なんかに負けるわけないわ!!」
ロキは今、これまで見たこともないほど狼狽えていた。
オーディンが死んだなんて信じられないが、別世界の僕が嘘をついているようにも見えないのだろう。
僕は隠し事はしても嘘はつかない。嘘は約束を守るのに一番不要なものだから。
きっとそれは、別世界の僕も同じだろう。
今思い返してみると、別世界の僕は一度もオーディンに従っているとは言わなかった。彼はずっと、タウィル・アト=ウムルに従っているとしか言っていなかった。
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