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オシッコ問答ー昭和の性意識ー

昭和の性意識は現在とどれほど違うか?

当時を活きたおじいさんに聞き取りをした。

登場人物

 水野知子 大学2年 この話の語り手

 駄菓子屋のおじいちゃん 70歳


1.昭和への興味

 私、水野知子は、大学で社会学などを学んでいます。そこで、性教育についてのレポートを書くことになり、「昭和の時代の性意識」について調べることにしました。そこで、従姉妹の水野あさが、紹介してくれた、駄菓子屋さんのおじいさんに話を聞きに行きました。


2.価値観を置いておく

 おじいさんは、優しそうな外見だが、昔はかなり勉強をしていた感じでした。話を始める前に、いきなり釘を刺されました。

「貴女は、社会学の学生ですが、マックス・ヴェーバーが言う、『価値自由』を知っていますか。」

私は、大学で学んだことがあったので、そのまま答えました。

「自分が持っている、価値観の影響は、必ずあります。それを意識して、とらわれないようにすることです。」

おじいさんは、少し微笑んで説明してくれました。

「知識としてはそれでよいでしょう。しかしそれを実行することは、難しいですね。さて、これから話すことは、現在の価値観では、『許されない』と思うこともあるでしょう。しかし、『当時はそのようなモノだった』とあるがままに受け取る。これができますか?」

 私は、なぜこのようなことを言われたか、もう一つ解らなかったので、正直に答えました。

「できると思いますが・・・」

するとおじいさんは、苦笑して説明してくれました。

「これは、私たちの世代にしか解らない、トラウマがあります。女性の権利などを主張する人からの、糾弾を受けた恐怖は今でも思い出します。社会学というと、そのような活動家を連想するのです。」

私は、社会学を学ぶ女性に対する警戒心がある、と言うことを知ったのはショックでした。


3.昭和の概要

 おじいちゃんは、昭和という時代の全体の説明から始まりました。

「昭和と言っても、大きく分けて、戦前・戦中と戦後があります。私が知っているのは戦後の時代です。しかし、戦後の時代には、大きな変化があります.敗戦直後の日本は、世界でもっとも貧しい国の一つでした。それから、昭和48年のオイルショックまでの高度成長があり、その後アメリカに次ぐGDP第二位という、経済大国になり、最後は平成3年までのバブル景気になりました。このような急激な変化があったのが昭和の時代です。なお、敗戦直後の世界の情勢は、アメリカを中心とする資本主義文明と、ソ連を中心とする共産主義文明の対立がある、いわゆる冷戦構造でした。日本の直ぐ近く、朝鮮半島では両者の戦争も起こっています。日本は、資本主義文明に属しているが、一部の思想家は共産主義にかぶれている。例えば『大学の経済学のほとんどは、マルクス主義経済学だった』と言う状況でした。」

私は正直に感想を言いました。

「このように、一つの流れとして、まとまった話を聞くと、『昭和とは』などと一口で言えないですね。すごく変わったのが解りました。」


4.昭和の性意識

 おじいさんは、少し迷って話し出しました。

「知子さんは、『地女あさりはみっともない』と言う言葉を聞いたことがありますか?」

私はこれは全くきいたことが無かったので正直に言いました。

「いいえ、意味もわかりません。」

おじいさんは、これを予想していたようでした。

「そうでしょうね。ここで『地女』とは、玄人でない素人女性のことです。玄人は、今風に言えば『風俗業』で働く人ですね。売春防止法の成立が昭和33年です。それまでは、売春が合法化されていたのです。その中で、結婚していない男が性行為をするなら、玄人の人としなさい、と言う社会の価値観でした。」

私は、この内容に少し反発を感じたが、おじいさんが最初に言った、『価値自由』の話はこのためだったかと思い出しました。

「確かに、現在の道徳感情と少し違いますね。」

おじいさんは、メモ紙に次のように書いてくれました。


  昭和:結婚まで処女を守る > マスターベーション > 売春での性行為 >> 婚前性交

  現在:マスターべーション = 愛情ある性行為  >> 売春での性行為


「昭和の50年代ぐらいの道徳感覚と、現在の道徳感覚の違いです。」

私は、少し違和感があったが、変化があったことは解ったので、理由を聞いてみました。

「なぜこのように変わったのですか?」

この質問は予想されていたようです。

「色々な理由があります。一つは、売春防止法などの流れですね。『売買春は悪い』と言う価値観が、世の中に生まれました。この裏側に『愛無きセックスは悪』との発想があります。」

私にとって、これは当たり前の話です。

「それ当たり前でないですか?」

おじいさんは、根気よく説明してくれました。

「そこが、価値観の変化というか、思い込みではと思います。私たちの世代には、特に男性のセックスには、二通りあるという考えです。一つは貴女が言ったとおり『愛情のセックス』ですが、もう一つ『たまった欲情の排泄行為』という考えがありました。」

私は、『排泄』という言葉に、少し反発を感じました。しかし、言われてみると、何となく納得しまいます。

「つまり、性欲を満たすだけの行為を『排泄』と考えて、お金を払ったサービスで処理する、という考えですね。」

「その通りです。『性行為は愛情の行為』という、教科書的な一本化は、近頃の考えです。」


5.中間がなくなる

 おじいさんは、私が反発しているのを感じたようで、もう少し説明してくれました。

「このような価値観の変化は、色々な力が働いています。一つは、欧米の文化から『愛している者のセックス』を美化する流れです。これは、『相手を喜ばすことで自分も喜ぶ』という、人間関係の基本をついています。」

私は、この感覚に違和感が無かったので頷きました。おじいさんは続けました。

「しかし、溜まった物を出す.または好奇心だけで行う。これらは『排泄』に近い行為ですね。」

これは認めざるを得ないと思い頷きました。おじいさんは私の心を見ていました。

「近頃の若い人たちを見ると、学校教育的な優等生が多くなっていますな。そこでは、『学校で学んだ価値観』が、きちんと身についているようです。そこで『排泄のためのセックス』などは、受け入れなくなっているのではと思います。」

ここに何かあると思ったので、もう少し説明して貰いました。

「そういうことは、私は解らないです。もう少し別の例が欲しいですね。」

おじいさんは、にっこり笑って切り返してきました。

「それでは、貴女に一つ聞きますが、トイレ以外でオシッコしたことありますか?」

私は何となく解ってきました。

「確かに、私たちはトイレ以外でのオシッコはしていないですね。」

「そうですね.しかし、昭和の40年ぐらいまでは、子供の道ばたでのオシッコなどは、当たり前でした。大人の男も色々なところで立ち小便をしていたし、大人の女性でも人目につかないなら、庭でのオシッコなどもありました。しかし、大事なことは、このようなトイレ以外でのオシッコは、『善いことではないがやむを得ずに行う』と思うことです。」

「つまりグレーゾーンがあったのですね!」

「そうです.逆に言うと、現在が『正しい』と『正しくない』を明確にわけすぎている。こちらが問題ですね。」

ここが大事と思うけれども、まだ一つ解りません。首をかしげていると、おじいさんが助けてくれました。

「無理矢理わけて『正しい』と強引に言う、これが問題です。例えば、学校のプールの授業があります。そこで、水に入る前にシャワー浴びながら、オシッコする。これを見た先生が、『プールの中でオシッコしないために、シャワー中に出すのは正しい』と言った話が、どこかでありました。」

私も何となく解ってきた。

「それって、何か無理矢理に『正しい』に押し込めていますね。」

「そうです。私たちが小学生の時でも、シャワーの中でオシッコした子はいました。しかし皆こっそりやっていた。『善くないが仕方ない』という感じで、目立たないようにしていたのです。」

これで、私のモヤモヤは少し消えました。

「確かに、私たちは『学校でのよい子』になりすぎている。しかも『行いの総てを、善いことと悪いことにきちんと分ける』ために大分無理をしているのですね。」

「そのとおりです、そこを意識すると、今の世の中が無理しているところ、が見えるでしょう。」

言われてみて、自分が『学校の優等生=先生の正しい判定に従順』になっていたことに、気がつきました。


6.排泄に対する時代背景

 おじいさんは、もう一つ別の見方を教えてくれました。

「さて、昭和の40年代の前半なら、くみ取り式の便所が多くありました。また、列車の便所は、そのまま線路に垂れ流す方式でした。」

私は思わず言いました。

「とても汚く、臭いですね。」

「逆を言えば、現在が清潔になりすぎている、とも言えますね。」

「そう言われると、そうですね。私たちは『汚い』と、排除しすぎているように思います。」

「それを解って欲しかったのです!学校の理想的社会、清潔すぎる社会、これが半世紀ほどの間に、急激に進んだのです。もう少し言えば、昭和の30年代には、主要国道以外の道は、土のままで舗装など無かったのです。その時に言う『土足』は、本当に泥がついていました。」 

「現在の舗装の行き届き、これで靴の裏の泥が無くなりますね。」

「だから、学校での上履きへの履き替えなども、十分意味がありました。現在は、病院でも、外から靴のまま上がれるところがありますね。」

「ものすごく変わったんですね。」

「そうだよ、もう少し言えば、昔の家には縁側があったが、今は少ないですね。この理由もわかりますか?」

「そうですね。その当時なら、本当の土足だから、家に上がることが面倒になる。そこで縁側に腰掛けるのでしょうか?」

「その通りです。上に上がるのは面倒なので、縁側に座って一休み、このようなことが多くあり、当然、小便のために家に上がる、と言う様な面倒くさいことはしないですね。」

「だから、庭でのオシッコが、男女ともあるのですね。」

おじいさんは、笑って付け加えました。

「男女と言うのは、大人の女性を含んでいるね。そのとおり、大人の女性も、中腰の立ち小便ができる人は、男と同じようにしていたし、しゃがむ人も、人目を避けて、庭でオシッコはあったね。庭仕事中の放尿や、洗濯物干し終わりに隅でしゃがむ人もいた。」

私はついでに、聞きました。

「子供の遊びとして、オシッコはあったのですか?」

「それは色々とあったよ。学校帰りの男の子が、一列に並んで立ち小便をし、飛び方や量を競ったりしていたね。歩きながらの放尿ができる子は、結構自慢して見せびらかしていたね。女子は少し大人しかったが、それでも遊んでいるとき、一緒のしゃがんだりしていたね。庭で遊ぶなら、男女の連れションもあったよ。」

「オシッコに対しては、おおらかでしたね。」

「それでも『正しいオシッコ』の躾はあったね。例えば、女の子が『直立した立ち小便』をしたら、怒られた子は多いね。また、オシッコは土の上か、下水の排水溝などの上でして、水を残さないという躾けもあったね。」

「何か、今とは違う価値観ですね。」

「その通りだよ。でも、駅のプラットフォームからの放尿は、よくあったね.多くは男の子だが、女子や大人の男も時々やっていた。昭和の30年代なら、H急梅田駅でも何本もの尿線が見えたね。」

私は、少し気になって聞きました。

「大人はどうでしょう?」

「確かに、大人でもオシッコ遊びはあったね。よくあるのは、高いところからの放尿だよ。寮雨の話は聞いたかも知れないが、多くの男の人が、2階などの窓から放尿していたね。」

「女性は?」

「女性でも、高いところから小便という趣味の人はいたね。」

私の感じでは、昭和の時代の『排泄(特にオシッコ)』は、今ほど押さえ込まれていないようでした。



7.子供の性知識

 おじいさんは、昭和30年代ぐらいの中学生の話に移りました。

「私たちが、中学生の頃は、現在のような性的な情報は、少なかったね。今のように、スマホでHな画面を見たり、AVのDVD等を見手、色々な情報を得ている子供とは、全く違った世界に住んでいたね。」

「つまり男の子は女性の、女の子は男性の性器も見ていない。そこがどのようになっているか、知らなかったのですね。」

「ただし、オシッコしている姿は、よく見ていた。男の子でも、幼女の割れ目を見た子供は多い。女の子は、立ち小便のおちんちんをよく見ている。大人のモノも見ているよ。当時の笑い話に、男の子は、ヴァギナの存在すら知らず、割れ目のオシッコの穴に、自分のおちんちんが入る、と思い込んでいる子もいたよ。」

「確かに違いますね。」

 私はもう少し突っ込んでみました。

「すると、男の子達の性的な遊びはどうなりました?」

 おじいさんは、昔を思い出すように続けました。

「当時の男の子も、オナニーはしていたよ。『自慰行為』と言っていたね。ただし、何かしらの罪悪感があって、こっそりしていたね。」

「つまり、今の時代の性教育では、

『マスターベーションは正常な行為』

と教えていますね。そのような教育はなかったのですか?」

おじいさんは少し考えて答えまし。

「少なくとも、学校で教えることはない。中学生向けの学習雑誌の付録などに、そのような記事はあったが

『自慰行為は正常な行為だが、性的な行為はこっそりやる』

と言う風な書き方だったね。もう少し言えば

『性的な要求をスポーツなどで昇華することが望ましい』

と言う空気があったね。もう少し言えば

『立小便と同程度の悪さ』

という感じだったな。望ましくないけれども、しかたなくやる。大っぴらでなく、こっそり行う。」


8,私のまとめ

 おじいさんは急に話を変えてきました。

「ここまでの話で、貴女の考えがまとまりましたか?」

 私も、何とかまとめてみる気になりました。

「昭和の時代と、現在の違いがわかったように思います。大きな違いは、昭和の時代には『排泄と性行為の距離が近い』が『性愛という行為のハードルは高い』と言うことです。現在は、『愛情表現としての性行動』一本になって、『性欲の排泄』などを否定しています。」

 おじいさんは突っ込んできました。

「その理由は説明できますか?」

「色々な要因があると思います。一つは、『学校教育的な道徳』が行き届いて『正しい性行動』が活き研いどいたと思います。もう一つは、『排泄』という行動に対して、社会の目が厳しくなって、限定されたモノしか行えなくなったからです。」

おじいさんは、にっこり笑って、少し直してくれました。

「もう一つ加えれば、女性の権利と言うか、平等の発想が進んだと見るべきでしょう。なお、一般論とより具体的な見方を整理すると良いですね。まず、『学校教育的な道徳』が強く影響している。その事例として、『正しい性愛』や『売買春』への厳しい目、そして『排泄行為』の制約と考えるのも良いでしょう。」

私は、これで一つのレポートが書けると思った。

昭和と現在の違いは、『正しい』ことに、管理された現在を見直す、切り口になる。

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