1 女詐欺師は厄介事を持ち込む #マリー
異変は感じていたのだ。
星を見ながら一晩語り明かして、昼過ぎまで仮眠した後から、ケントの態度はおかしくなった。
マリーが話しかけても上の空、そのくせ、様子をうかがうようにチラチラと見てくるのだ。
「マリー、話があるんだ」
野宿のための火を起こし、晩ご飯をすませた後、ケントが緊張でガチガチになりながら言った。
「う…うん」
マリーもつられて緊張しながらうなずいた。
(だだだ大丈夫、ただの別れ話、あたしはそれにうなずくだけ。とにかく、うなずくだけ。嫌だなんて、みっともなく泣きすがったりしない)
心の中で、一生懸命自分に言い聞かせる。
「ええと……マリー、話があるんだ」
「う、うん、聞くよ」
お互い、緊張しすぎて、同じ会話をループしていることに気付かない。
「ねえ、お願いがあるの」
「うん、分かっ……サンドラ!? あんたどこから!?」
突然ふってわいた女の声に、マリーは素っ頓狂な声を上げた。
ケントも、驚いて、腰を抜かしそうになっていた。
魔法使いじゃないサンドラは、瞬間移動で現れたりしないので、二人して闖入者に気づかなかっただけなのだが。
「やあねえ。そんな、蛆虫でもわいたみたいに言わないでちょうだい」
サンドラは、心外そうに言った。
そのふてぶてしさに、マリーも驚きから立ち戻り、反論することにした。サンドラのペースに乗せられてはいけない。
「って、あんたねえ、お願いとかどの口が──」
「マリーさん、ちょっといらっしゃい」
サンドラは、過去の悪業に話が及ぶと察するや否や、マリーを強引に引っ張りだした。
火の前には、まだ呆然としたままのケントと、ほかにももう一人。サンドラの連れらしい、若い男性が残された。
*
「捕まったんじゃなかったの? また悪さしてるの?」
少し離れた場所まで連れ出されたところで、マリーは先手を打つべく言った。
けれど、予想通り、鋼の心臓のサンドラはひるまなかった。それどころか。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる? あたしはあんたの救世主よ。大事にしてもらいたいわね」
ぬけぬけと、厚かましいことをのたまった。
「は? あんた、頭、おかしくなったんじゃないの?」
「そう? じゃあ、聞くけど。さっきの彼の話、聞きたかった?」
ザクリ。
胸がえぐられた気がして、体がピキリと固まった。
ケントがマリーに切り出そうとしていた別れ話。
聞きたい──なんて、とても言えない。自分で自分にうんざりして、嫌になるけれど。
ふっと、サンドラが満足の笑みを浮かべた。
「いいこと、あんたは黙ってらっしゃい」
この世に悪魔の微笑みというものがあるなら、このときのサンドラの微笑みが、まさしくそうだった。
*
「紹介するわね。彼はマイク。カジノで出会ったの。マイク、この二人はケントとマリー」
サンドラは、焚き火の場所に戻ると、同伴男性を紹介した。
マイクは気の弱そうな若者で、自己紹介を受け、ペコリと頭を下げた。
「悪いけど、俺たち今ちょっと…」
厄介ごとの空気を感じ取り、ケントが制止の言葉を口にする。
もちろん、そこで相手に主導権を渡すサンドラではなかった。
「お二人さんはビジル市に行くんでしょ? プレミア情報をあげるわ。ビジル市では今、カジノで一山当てた客が魔法使いに命を狙われて、大騒ぎになってるの。じゃあね、ダーリン、楽しかったわ」
サンドラは一方的に説明して、マイクにキスをすると、さっと近くに停めてあった馬車に飛び乗った。
馬車が猛然と走り出し、闇に消えた途端、呪縛でも解けたように、硬直していたマリーの体が動いた。
「さ…サンドラー!」
慌てて馬車の消えた方に向かってみたが、当然ながら、後の祭りだった。
*
焚き火の前に、ケントとマリー、そしてマイクが残った。
「ええと…マイクさんはどうされます?」
放置するわけにはいかず、マリーはマイクに声をかけた。
「あ、あの、実はビジル市を逃げた後に殺された人もい、いて、その…た、助けてください!」
おどおどと、しかし藁にでもすがるような必死さで、マイクは言った。
「あのな。視て分かるか知らないが、俺たちは魔法使いじゃない。監査員とかでもない。無理だ」
ケントが言った。冷たい声だった。
「で…でもお二人は、星の谷で高ランク魔女を捕まえたんですよね?」
気が弱そうに見えたマイクは、ケントの醸し出す威圧におびえながらも粘った。一人になりたくない、死にたくないという必死さが伝わってくる。
そしてどうやら、徒歩一日程度の距離にある星の谷とビジル市の間では、事件情報の共有が早いらしい。
ケントは少し考えてから、マイクにたずねた。
「…なら聞くが、カジノ客を狙った魔法使いは何日で何人やった?」
「関係のない人も含めて、二日で三~四十人です」
「だろうな。ボンクラ魔女と、その魔法使いとじゃ、勝手が全く違う。素人に手出しできる相手じゃない」
突き放すように、ケントが言った。
「そ…そんな」
「ケント、星の谷まで一緒に行ってあげる?」
完全に突き放すのは気が引けて、マリーは助け舟を出してみた。
ところが、マイクは突然興奮して、叫んだ。
「だ、ダメです! 星の谷の宿は昨夜、魔法使いに襲われて、皆殺しになって、ひ、一人だけビジル市に逃がされた人がいて、それで分かったんですが」
「昨夜だって? バカな!」
信じられないような話に、ケントも声を大きくした。
「俺たちは昨夜一晩中、宿の近くにいた。だが、魔法の波動なんか感じなかった!」
「魔法は使わなかったそうです。全員、縄でしばって一部屋に集めて、見せしめるように、一人ずつ、その…ひどく苦しませる方法で……」
かわいそうに、マイクは顔面を蒼白にして、ガタガタふるえながら、星の宿で起こった惨劇を説明してくれた。
「なんなの、そいつ…」
マリーはゾッとして、つぶやいた。
「なあ、あんたは星の谷の惨劇を知っていて、どうしてこの道に来たんだ?」
ふいに、詰問するように、ケントが言った。
「サンドラが、すでに惨劇を起こした場所はノーマークになるはずだと…あと、運が良ければ、高ランク魔女を捕まえたお二人に会えると」
マイクは、正直に答えた。
チッ、とケントが舌打ちした。
マリーも、あからさまなサンドラの悪意に、うんざりした。
サンドラは、お金目的で、カジノで儲けたマイクにすり寄っておきながら、彼が重荷になった途端、マリーとケントに押し付けて、トンズラしたのだ。
「助けるのは無理だ」
硬い声で、はっきりとケントは言った。
これ以上マイクに付き合う気はないと、明確に線を引いたのだ。
「急ぎで行かなきゃならないところがある」
行く場所がある。
ケントが続けた言葉に、マリーの胸は痛んだ。
(やっぱり、ケントはもう…)
本来の場所に戻るべきときが来たのだ。
「分かった。あたしたち、ちょうど別れ話してたの。あたしはビジル市のサジッタ一座に行くから、行き先がそこで良ければ一緒に行きましょう」
悲しみをこらえ、マリーはマイクに言った。彼を見捨てるのは、忍びなかった。
ところが。
ケントはマリーの肩をつかみ、叫んだ。
「ちがう! きみも俺と一緒に来るんだ!」
(うそっ! 別れ話じゃなかったの?)
マリーは思わず息を呑んで、ケントを見た。
真剣な目が、今の言葉は本気だと語っていた。
(ああ……)
大きな感情の奔流に、目頭が熱くなる。
このまま彼に流されればいい──マリーの頭の中に棲む悪魔がささやく。
(…このまま…流されたい…のに…)
ケントの気持ちが嬉しくて潤んだ瞳に、別の感情からくる深い想いの涙がこみあげてきた。
深い涙の波は、嬉しい気持ちも、ケントに流されたい気持ちも呑み込んで、遠くへ追いやってしまう。
目を閉じ、涙をやりすごしてから、マリーはケントをまっすぐに見た。
「ごめんなさい。あたしは、あなたとは行けない」




