2 欲情マリー #マリー
一人で眠るには大きい、ふかふかのベッドで、マリーは寝返りを打った。
普段はベッドに入ったら朝までぐっすりのマリーだが、上等なベッドのやわらかさがどうにもしっくりこなくて、なかなか眠れなかった。
(ケントはどうしてるのかな…)
外で野宿しているケントを、マリーは思った。
いつものようにケントに言いくるめられ、独り宿の部屋に追いやられたのだ。
流民一座の姐たちから聞いた誘惑方法もあるにはあったのだが……自信のないマリーにはハードルが高過ぎた。
どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
うとうとと、浅い眠りの中をただよっていたマリーは、ふとケントの引力が弱いことに気付いた。
拘束の魔法の引力の強弱で、だいたいケントとの距離が分かるようになってしまった。
(この引力の加減だと宿に来てるよね。この部屋に来るつもりかな…)
そう思った途端、意識がハッキリと覚醒した。
(って、え、今からケントが来るの? ナニをしに…? わ、忘れ物の線はないよね? だって、ケントの荷物を預かったりしてないもの)
ついにケントがマリーを求めてくれるのだろうか。
あるいは、これは思い切って誘惑しろという、神様のくれたチャンスかもしれない。
(…でもちょっと待って。…待って。何て言って誘えば…)
──抱いて。
(そんな言葉、いえるわけない!!)
頭に思い浮かんだ言葉をマリーは即座に否定する。
(でもたぶん、ハッキリ言わないとケントには伝わらない気がするし…無言でケントの服をつかんで見上げても伝わらないだろうし……いっそ抱きつくか服を脱いじゃう?)
言葉で誘うのが無理なら行動でと考えたマリーは、すぐにコンプレックスに行き着いた。
(って、あたし、胸ない……っ)
さすがにツルペタの幼児体形ではないが、ふくらみはささやかだった。
ケントと出会ったころのガリガリの痩せ過ぎは脱したものの、まだ細めと言っていい。
マリーを美人だと思って近付いてくる男性だって、服をぬいだら幻滅するだろう。
色恋と無縁に生きてきたマリーは、決定的に知識不足だった。胸の大きさが女性の色気のすべてだと思いこんでいた。
(ダメっ! 抱きついても服を脱いでも終わる……っ)
どうしよう。どうしたらいい?
マリーだって………したいのだ。ケントと。
オンナの体が、惚れた男に抱かれたいと叫んでいる。
貧相な体のくせに、劣情だけは一人前ときてる。
(そうだ、上は脱がずに下だけ……って、痴女だよ!!)
マリーはベッドの中で悶えた。
あれもダメ。これもダメ。
ろくな案を思い付かないのに、その一方で、彼に抱かれる想像が頭の中でどんどん進んでいく。
名前を呼ばれて。キスをして。
それから…。
(だから今は妄想してる場合じゃないんだってば…っ)
ケントの引力がかなり弱くなっていることに気付き、はたと現実に戻る。
彼が近づいてきている。一歩、一歩、確実に。
(わーっ、わーっ! もう来る、来ちゃう…っ)
全身がアンテナになったみたいに、ケントとの距離が分かる魔法の引力にマリーの意識が集中した。
部屋のドアが静かに開く。
(ふぁっ!)
思わず変な声をあげそうになって、マリーは慌てて口をふさいだ。
(来ちゃった! どうしよう、寝たふりする? でも、寝たふりしたら、いつ起きるの?)
足音を殺し、忍び寄ってくる気配。
心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらい、バクバクと暴れる鼓動。
頭は混乱し、『どうしよう』ばかりがぐるぐる回る。
人の気配が、マリーのベッドのそばで止まった。
その瞬間、頭が恐ろしいくらいに冴えて、気付いた。
ケントの引力も弱くなってはいたが、この距離感覚ではない。
「だれっ」
マリーは叫んで、はね起きた。
「な、なぜ起きてるんだ!」
慌てた宿の主人の声と、ドタッと倒れるような音がした。
「そこまでだ!」
そこに、ケントがやってきた。
ケントが掲げ持ったランプ明かりに、部屋の様子が照らし出される。
ガラスの小瓶を手に尻もちをついた宿の主人。それに、なぜか顔の下半分を布で隠したケントの姿も。
ケントは、マリーを見ると、不思議そうな顔をして、宿の主人と同じことを言った。
「どうしてきみが起きてるんだ?」
「ど、どうしてって…」
「宿全体に催眠作用のある香が充満してるはずなんだけど」
「え!?」
予想外の情報に、マリーの声は上ずった。
たしかに、ベッドに入ったときにはなかった、怪しげな香りが辺りに漂っていた。
客を眠らせる香と、宿の主人の不審な行動。鼻と口を布で覆い、現れたケント。
それらの状況を鑑みれば、ケントは何かの事件解決のために動いていて、マリーを夜這いする気持ちなんて微塵もなかったことが分かる。
(い──言えない。ケントが近づいてくるから興奮して目が覚めたなんて)
マリーはもう、穴を深く掘って、一年くらい埋まりたかった。




