3 魔法を使えないのは辛過ぎる #ケント
十四、五歳の元気な魔女に魔法で空中遊泳をさせられたケントとマリーは、山をひとつふたつ超え、こぢんまりとした村に連れてこられた。
空にいる間、ずっと叫んでいたケントは、地面に降り、魔法から解放されたところで、ぐったりとへたりこんだ。お世辞にも配慮が行き届いているとは言えない運搬魔法は、ひどい恐怖体験だった。
運動神経の良いマリーはすぐに魔女っ娘の魔法になじんだようだが、自身が魔法使いで、自分のさじ加減で空を飛ぶことに慣れていたケントは、適応できなかった。
(くっそ、やっぱりマリーの前で魔法が使えないのは辛すぎる…!)
魔法が使える状況なら、即座に反撃していたものを。
吐き気と胸焼け、最悪の気分の中、自分の置かれた状況を呪うケントだったが、すべて自分が蒔いた種であり、自業自得で…。
「ケント、大丈夫!?」
マリーが、心配顔で駆け寄って来ようとした。
ケントは、険しい表情のまま、首を振り、拒絶の意思を示した。今は話をする気力もないし、そっとしておいて欲しかった。
「あ…うん、わかった」
マリーは、ケントの思いを汲み取り、止まってくれた。
ズキッと、心が痛んだ。
こんな風にマリーに気遣ってもらう資格を、ケントは持っていないから。
ケントとマリーをつなぐ、一定距離以上離れられない魔法。…マリーをケントに縛る拘束の魔法。
それは、一年前に偶然目撃した素顔の彼女に会いたいという動機で、ケントがかけた魔法だった。
けれど。
ケントがかけた魔法であることはおろか、自身が魔法使いであることも隠し、解けない魔法だとマリーに思わせた。
結果。
マリーは、自分と一緒にいることでケントがマリーの敵・魔法使いダグラスに殺されるかもしれないと、激しく心を痛めた。
魔法で拘束した加害者だと、ケントを責めなかった。
無理な逃亡生活でやせ細ったマリーに宿と食事を提供して元気にしてあげたいと思ったケントの善意だけを、彼女は汲み取ったのだ。
(お人好しにもほどがある…)
もっとも、彼女のお人好しは、ケントに限ったことではない。
さっきだって。
山をざっくりと削った魔女っ娘の魔法に反応して駆け出したのは、被害者がいたら救済するためだろう。
強大な魔力を持つ魔女でありながら、マリーは魔法を嫌い、魔法を行使する魔法使いも、魔女である自身のことすら激しく憎んでいる。
だから──。
魔法使いだとバレた瞬間、ケントはマリーから嫌われる。
「トニー! トニー!」
ぐったりするケントのことなどおかまいなしに、魔女っ娘が、大きな声をあげ、村はずれにある家のドアをたたいた。
「なんだい、アリス」
少しして出てきたのは、白衣を着た二十代の青年だった。
「患者さんだよ! 怪我人!」
「ちょっと、話を聞きなさいよ。足の赤いのは野苺の汁で、血じゃないんだ。あんたの早とちりだよ」
怪我人扱いされたマリーが、アリスに反論し、足を見せた。
そこで事情を理解したらしい青年医師、トニーは、ガバッとマリーに頭を下げた。
「アリスが迷惑かけてすみません! 思い込みが激しくて、人の話を聞かず暴走するクセがありますが、悪気はないんです!!」
「ご、ごめんなさい! あたし、やらなきゃって思うと、それ以外考えられなくなっちゃって」
アリスもトニーにならって、頭を下げた。
マリーは素直な謝罪に苦笑しつつ、
「…ちょうど山中で立ち往生して困ってたから、人里まで運んでもらえて助かりました」
と言った。
こういうのをオトナな対応と言うのだろう。中年魔女マリーを演じてきただけのことはある。
「あたしはマリー。彼はケント。あん…あなたたちはアリスとトニーね」
「許してくれてありがとう!」
アリスは大喜びで、マリーの手をにぎった。
「ところで、この村の名前を教えてもらえる?」
マリーが問うと、アリスは誇らしげに村の名を口にした。
「ウッズの村へようこそ!」
ちょうど目指していた村の名前だった。
そのとき。
「あ、ごめん! ちょっと急用!」
アリスは何かを感知した様子で急に後ろをふりかえり、そう言い残すと、あっという間に空に舞いあがり、飛んでいってしまった。
「アリス!?」
「ああ、また……! 重ね重ねすみません。アリスは今、この村にちょっかいをかけてくる魔法使いから、村を守ってくれているんです。けして悪い子ではないんです。すみません、僕も失礼します」
トニーはきちんと説明をし、ぺこりと頭を下げてから、アリスの飛んでいった方向に走り出した。
なにか重大な問題が発生したらしい。
「あたしも行くよ!」
マリーも、トニーを追って駆け出した。
(って、これ、絶対トラブルに首つっこむ流れ…!)
マリーは、魔法による悪事を見逃せない人だから。
へばりこんだ状態のまま黙って傍観していたケントは、疲れてストライキモードに入っている自分の足に魔法をかけた。すでに姿が見えなくなっているマリーに気付かれない程度の、小さな波動の魔法だ。
立ち止まるまで走れるようにする魔法。実は、さっきの山中でも、この魔法を使って、マリーに追いついたのだった。
*
ケントが村の反対側の入り口につくと、アリスは村を背に仁王立ちしていた。
アリスの十メートルくらい先には、二十代の、いかにもならず者といった尖った雰囲気の男が、挑むように立っていた。
並程度の魔法使いだった。生まれ持った魔力だけを比べるなら、アリスより下。
なるほど。さっき会話を中断して飛んで行ったのは、この魔法使いの襲来を、魔法を使った警報トラップで探知したかららしい。
「残念だったわね! 手下を使ってあたしを村から遠ざけて、その間に奇襲なんて、お見通しよ、ゲーリー!」
アリスは、年上男性にひるむことなく、びしっと言い放った。
「ハッ! ノータリンの小娘が!」
魔法使いゲーリーもまた、アリスの挑発を、望むところとばかりに受けて立った。
「おまえはもう負けてんだよッ! 最後に勝って笑うのは俺様だァ!」
ファイティングポーズをとって高らかに叫び、攻撃の魔法を唱和しはじめる。
すぐさまアリスも反撃の姿勢をとろうとし──その動作は途中でとまった。
「えっ、うそぉ!」
「おまえが立ってんのは、魔法使いの魔力を無効化してくれる餅の上だァ!」
攻撃呪文を一旦保留にしてまで、ゲーリーは己れの策をご親切にも解説してみせる。
なるほど、アリスの足元を見ると、透明な巨大餅のようなものが視えた。
おそらく、手下の奇襲から警報トラップに引っかかるところまで、アリスをその餅に導くための作戦だったのだ。
餅は、彼女の魔力を無効化するのと同時に、粘着質に足に吸いついて、身動きまで封じていた。
「アリス!」
マリーが、アリスの前にまわりこんだ。
両手を大きく広げて、アリスをかばって立つ。
「っ!」
後方にいたケントは、マリーの無謀な行動に舌打ちした。
(だから、どうしてここで前に出るんだ…!)
アリスもゲーリーも、『魔法使いケント』なら、敵と呼ぶほどもない雑魚魔法使い。
けれど。
今のケントは魔法を使えない、ただの一般人なのだ。




