1 旅立ち #マリー
背の高い建物が建ち並ぶ大都市、シェイド市郊外の草原に、大荷物を積んだ幌馬車がいくつも停まっている。
町から町へ、移動しながら芸を披露する流民一座が旅立つのだ。
長い、ふわふわとした黒髪を腰までたらした少女、マリーは、かつて同じ流民一座にいた姐、イライザの見送りに来ていた。イライザは、亜麻色の髪を編んでひとつにまとめた、快活な印象の美女で──弱い魔力を持つ魔女だった。
三年前、ふたりは袂を分かった。元いたイリス一座が、国の乗っ取りを企てる大反逆者、魔法使いダグラスに滅ぼされたからだ。
当時十三歳だったマリーは、一人で世間を渡り歩くため中年女性に変装、強大な魔力を持つ、凄腕の魔女マリーと名を馳せた。そして一年前、ダグラスから彼の力の源である魔法石コールライトを奪い、逃走劇を繰り広げた。
一方のイライザは、規模の大きなサジッタ一座に移籍、魔法を取り入れたショーを観せ、人気舞姫となった。
「じゃあね、マリー」
美貌の舞姫は、妹との別れを惜しみながら言った。
サジッタ一座の看板を背負う彼女は、次の興業地、カジノの町として有名なビジル市へ向かうのだ。
「うん、姐さん。あたしも後から行くね」
マリーは、泣き顔をこらえて笑顔を作り、言った。
(半月先の約束が守れそうで、嬉しくて泣きそうだなんて、おかしいよね)
本当なら、マリーは半月前に魔法使いダグラスに立ち向かって行って、死んでいたはずだった。
ダグラスが、一年前にマリーが奪ったほかにも魔法石コールライトを所持していると分かったから。逃走することが、ダグラスの力を奪うことにならないのなら、もう逃げたくないと思った。
(イリス一座の姐さんたちだけじゃない。あたしと関わって、たくさんの人の命が奪われた)
十六歳の、普通の女の子としての幸せなど、マリーが『望んではいけないもの』。
ところが、決着を決めた直後に『彼』と出会い、ここまでずるずると生きてきてしまった。
(それだけじゃない。まだこの先も、決着を引き延ばそうとしてる…)
「姐さん、あたし…」
──今から別の町を目指して旅するなんて、赦されるの?
マリーの心が不安に揺れたとき。
「ビジル市で待ってるから。絶対に来るんだよ」
イライザは『大丈夫』と、笑顔で言ってくれた。マリーの中の不安に蓋をする。
それから、マリーをキュッとハグすると、イライザは馬車の荷台に乗り込んだ。
幌馬車が、ゆっくりと動き出す。
「姐さん! ありがとう! …ありがとう!」
マリーはイライザに大きく手をふった。
馬車の群れが見えなくなるまで。
「俺たちも行こう」
いつのまにか彼が近くに来ていて、言った。
黒い髪、黒い目。平坦な顔立ちの、どこにでもいそうな青年。
だけど。
強大な魔力を持つマリーを前にして一歩も引かず、通りすがりの魔法使いに頼んで拘束の魔法を仕掛けたと、ケンカを売って来た。目をキラキラさせて『凄腕の魔女マリー』の魔法が見たいと言った。
噂はデマで、マリーに魔法知識はなく、変身名人でもないことを証明しようと、中年女性の変装を解いたら、それがやぶ蛇になった。無理な逃亡生活でやせ細った素顔を見せてしまったのだ。
「一緒に行こう」と手を差し伸べられ、宿と食事を与えてもらった。
凄腕の魔女の噂は間違いでも、マリーを追うダグラスは正真正銘、当代随一の恐ろしい魔法使い。マリーと一緒にいることは危険だと訴えたが──彼と出会ってすぐ、マリーが魔力を失ったこともあり、誰にも魔女マリーとバレない、大丈夫と押し切られた。
また、彼は、魔法に詳しく、便利な魔法道具を持ち、魔法トラブルを解決してしまうので、いつのまにかマリーも彼を頼りにし、彼なら大丈夫と、一緒にいることを受け入れているのだった。
(嘘があることも、善意だけじゃないことも分かってる。でも)
「うん。行こう、ケント」
彼の名を呼び、ふわりと微笑むと、マリーは差し出された彼の手を取った。
(これだけは自信を持って言える。ケントは、優しい人)
*
「ま…マリー、少し休憩しないか」
ぜぃはぁと、息を切らせてケントが言った。
二人が歩いていたのは、山中だった。
「ええ? ここで休憩したら、今日中に次の村に着くかどうか…」
マリーは不平を鳴らした。
ケントは、昨日、友人のギルに会いに行って、朝帰りだった。ほとんど寝ていないらしく、もともと体力なしの彼は、旅の最初からバテバテだった。
そんなわけで、今日は野宿ではなく、宿に泊まって、しっかり寝て欲しかったのだが。
「ごめん。少しだけ」
ケントはそう言うと、木の根に座りこんでしまった。
「だから、さっきの村で今日は泊まろうと言ったのに」
マリーがぶぅ、と頬をふくらませたとき。
魔法の波動が空気を大きくふるわせた。
続いて。
ドオォ……!
山崩れの轟音。
「あっちからだよ!」
「マリー!?」
音のした方へ、マリーは駆けだした。
慌てたケントの声に呼ばれたが、そこで止まれるマリーではなかった。




