1 甘酸っぱい時間 #ケント
(ええと……どうしてこうなった)
今、自分は華奢でやわらかで、いい匂いのする少女を思い切り抱きしめていると、冷静になってきた頭で理解したケントは、少し前の自分の行動を思い返した。
………。
そうだ。サミーの死にショックを受け、悲鳴を上げ、動揺収まらないマリーを抱きしめたのだ。
たしかなぬくもりが嬉しくて、全身で彼女を感じることを欲してしまって、そのまま離せなくなった。
無我夢中で抱きしめ続けた。
(うわ、やらかした…!)
抱きしめるなんてマリーに嫌な思いをさせたと、ケントは焦った。
人嫌いで、スキンシップとは無縁に生きてきたように思われるケントだが、実は意外と経験している。
原因は魔法使いの王太子ギルだ。
監督者クリスの元で、ギルとケントは、同い年、同じAランクの魔法使いとして、長い時間を共に過ごしてきた。
表向きは真面目な王太子の仮面をかぶるギルだが、ケントやクリスにだけ見せる素顔は、かなりチャラい。そしてスキンシップが大好きだ。
ギルからべたべたされるたびに、心がざわざわして、落ち着かなくなった。やめろ、構うな、放っておいてくれと思った。
(いや、今の場合はセーフ、なのか…?)
背中に回ったマリーの腕にも力がこもっている。
…ああ、そうだった、とケントは思い出す。
マリーも震えるケントに気付いて、抱きしめ返してくれたのだ。
ケントもそうだったように、マリーもなぐさめの気持ちで抱きしめてくれたのなら、おあいこだ。一方的な嫌がらせじゃない。
(もう少し抱きしめていてもいいかな…)
ケントがそんな欲を出したとき。
すっと、背中に回されていたマリーの腕が離れていった。
ケントが落ち着いたのを感じ取って、スペシャルサービスタイムが終了してしまったらしい。…と、思ったのだが。
マリーはケントと距離を取ろうとせず、抱きしめた腕の中、ケントを見上げてきた。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
反則級の可憐さだった。
間近で見る潤んだ目。うっすらと紅潮した頬。ぷるんとした赤い唇。
(な…なんだ? 何か期待されてる…?)
ケントは焦った。
すがるような表情から、何かを求められていることは分かるのだが。
これまで魔法研究しかしてこなかったせいで、今、何を求められているのか分からない。
自分がとてつもなくバカになった気がする。
──ああ、その赤い唇に吸い付きたい。
(!? …俺、今、何考えた!?)
「あ、そうだ、魔法石! サミーが落とした魔法石、拾ってくるよ」
その場の雰囲気に耐えられなくなって、ケントは言った。マリーの肩をぐいと押し、距離を取る。
マリーはなぜかカアァッと赤面すると、うつむいた。
そんなマリーを残し、ケントは草原を走った。サミーの倒れていた辺りへと。
(壊れた魔法石なんてどうでもいいけど…)
顔が熱くて、無性に恥ずかしく、マリーの方を向けなかった。いや顔だけじゃない。全身が、これまで感じたことのない熱を持っていた。
(とにかく頭も体も冷やさないと、戻れないな)
ケントは大きく息を吐いた。
そのとき。
「大きな魔法のぶつかり合いが気になって来て見れば…おい、女! おまえ、セシリアと懇意な様子で抱き合ってたな!」
ぶしつけな男性の声が響き、ケントは振り返った。
シェイド市の巨大な建物群を背景に、三十代半ばの魔法使いが空中に浮かんでいた。
ケントと男の中間点にマリーがいて、男の視線を一身に受けていた。
「厳重警備のせいでセシリアには近寄れんが…これぞ天のお導き。来い! おまえをエサにセシリアを呼び出してやる!」
発言から、男の正体が分かった。
(サジッタ一座を襲った炎の魔法使い…!)
舞姫セシリア・レインこと、マリーの姐、イライザに執着するストーカー。




