5 恋が人道的支援の大義を手に入れた #ケント
ケントがマリーに仕掛けた魔法は、二人が一定距離以上離れられないというものだった。
一度町外れまで行って、魔法の内容を確認し、宿に戻ったあと。
「期待させたとこ、申し訳ないんだけど…一年前の魔法は、たまたま、偶然できただけだよ。あたしに魔法は読めない」
そんなことを言い出したマリーに、ケントは「は?」と強い憤りの声をあげた。
一年前。魔女マリーが使った奇跡の魔法を、ケントはよく覚えている。
彼女は心を媒介に魔法を使った。
通常、魔法は魔法石を介して実現する。
魔法石を持たなければ魔法使いもただの人。
昔から絶対の定石だった理を、彼女は容易く覆した。
それ以前に、魔法で別人に変身している時点で、魔女マリーの凄さは証明されているのだ。
この世界における魔法は、魔法科学だ。知識、計算力、論理的思考でもって術式を組み立て、実現させる。
頭に思い描いた姿にぽんと変身するなんて夢のような魔法は物語の中だけ。現実世界で変身のカテゴリに入る魔法といえば、人体を知り尽くしたトップクラスの魔法医の美容整形くらい。
もっとも、魔法医は男性の職業。国の知る限りで女性の魔法医は存在しない。
もしも彼女が独学で魔法医学を身につけたというのなら、それは、非合法に百人単位の人を解体したということ。
その憶測が魔女マリーは残忍という噂につながったし、正規の学歴を持たない彼女が自分の力量を隠そうと思うことは理解できなくもない。
ただ、それでも。
「たまたま・偶然で、あんな奇跡の魔法を使われてたまるか! 俺をバカにしてるのか?」
経験値の差が力量差となり、自然と年配の魔法使いに軍配があがる世界で、若輩ながら、ケントだって頑張ってきたのである。
なんとなく奇跡の魔法を使えたなど、絶対に言われたくなかった。
「違う! あたしだって、嘘ならもっとマシな嘘をつく!」
「そんなこと言って、読むのが面倒なだけじゃないのか?」
「面倒とか面倒じゃないとか、それ以前に魔法文字の読み方すら知らないんだよ」
「は? 魔法文字が読めない? 発音だけで魔法を覚えたってことか? いや…簡単な魔法ならともかく、変身や瞬間移動は、発音の丸暗記なんかじゃ到底…」
「変身は変装で、瞬間移動はその丸暗記!」
マリーの発言の解釈に惑うケントに、マリーはさらに信じられない発言をかぶせてくる。
「それこそ嘘だ! 移動先を計算して指定しなきゃ、瞬間移動はできない」
「そんなの知らないよ! 移動先なんて考えたこともない。だいたい、いつも、その場から逃げられたらそれでよかったし…」
「は…? 待ってくれ! 移動先を指定したことが…ない?」
「ああ、ないよ」
マリーは当然のようにうなずく。
まっすぐにケントを見据える瞳は強く、到底嘘や後ろめたいことを抱える瞳ではなかった。
ケントは頭を抱えた。
「…すまない。俺には分からない。移動先を指定せずに瞬間移動して、無事で済むとか…」
(いや、心を媒介に魔法を使う時点で、この人は通常の魔法理論から外れているんだ)
青白い魔力のオーラといい、どこまでも規格外で、理解不能。
もしかしたら彼女の扱う魔法は、ケントの知る魔法とは根本的に別物なのかもしれない。
「なあ、やっぱり視てみたい。魔女マリーの魔法、もう一度視せてくれよ」
ケントが心からそう言うと。
マリーの雰囲気が変わった。それまでもケントとの会話に苛立ちをのぞかせてはいたが…。
(あ、これ完全に怒らせたやつ…)
「だから魔法は知らないって言ってんだろう! この分からずや! いいかい、あんた、そこ動くんじゃないよ。こっち来たら容赦しないからね!」
怒り心頭にマリーは意味不明な牽制をすると、くるりと後ろを向き、その場に座り込んだ。
そして、ゴソゴソとスカートの中から布を取り出し、顔に当ててこすり始めた。
(なんだ? 化粧直し…?)
あぜんとケントが見守る中、マリーのソレは短時間だったように思う。
最後の仕上げに、後ろにひとつ団子にまとめた髪をほどくと、ウェーブがかった長い黒髪がファサり…と背中に舞い降りた。
すっくと彼女が立って、振り返った瞬間、ケントは息が止まるかと思った。
そこにはもう、中年女性はいなかった。
「あたしは、イリス一座のマリー。十六歳。魔法を習う機会もなければ、究めるほど生きてもいないよ」
少しハスキーだけれど、それまでの堂にいったおばさん声とはまったく別人の、少女の声。
一切の魔法を使わず、そこに現れたのは、一年前、一瞬でケントの心にその姿を焼き付け、白い光の中に溶けて消えた美少女──の、劇的に痩せ細った痛々しい姿だった。
ケントは、言葉を失い、ただ茫然とマリーを見つめた。
「あたしがしてきたのは、変身じゃなくて、変装。人の声音を真似るのも得意なんだ。知ってる魔法の呪文は瞬間移動の呪文ひとつだけ。……凄腕の魔女マリーなんて、どこにも存在しないんだよ」
淡々と、諭すようにマリーは言う。
彼女本来の声は、ケントの耳に心地よく響いた。
そして、ケントの心臓をとくん、とくんと高鳴らせた。
「さあ、魔法使いを呼んで……」
「今の俺たちならダグラスに見つからないよ。俺と一緒に行こう」
マリーの発言を打ち消し、自分の口から飛び出した言葉に一番驚いたのは、ケント自身だ。
(何…言ってんだ、俺。人と一緒に行動するなんて苦手なのに。いや……一年でここまで痩せ細るほど無理をしてきた女性を置いてさよならとか、後味が悪すぎる…)
「ええ? あんた、何言って…」
「俺がきみの逃亡を助ける」
「あんたがあたしを…助ける?」
マリーは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
ああ、とケントは思う。
(違う。後味が悪いとか関係ない。拘束の魔法をかけたときから、俺は……)
自分の望みに気付いてしまった。
もし魔女マリーの魔法にもなんらかの制約があって、瞬間移動時に少女の姿になるのならと考えていたのだ。
だから、拘束の魔法をかけた。彼女がケントの魔法を解いたあと、目の前で瞬間移動してくれることを期待して。
(俺はただ、きみに会いたかったんだ)
たとえそれが、一瞬の邂逅でも。