12 師の煽惑 #サミー
後ろ髪を引かれる様子でマリーが部屋を出て行ったあと。
「あの娘、帰してよかったのか?」
入れ違いに窓から入って来た人物に、サミーは驚かなかった。
「はい、先生」
落ち着いて、新たな訪問者の問いに答えた。
サミーのいるベッドをふわりと飛び越え、マリーが出て行ったドアの前に立ったのは、魔法使いであることを強調するような黒いフード付き外套を着た、五十二歳のAランク魔法使いダグラス・ウォーレン。サミーの師匠だった。
「街中に残った血の跡を消して、家の明かりも外から見えんようにして、おまえが店に戻っておらんように偽装してやったぞ。その体ももう少し良くしてやろう。専門ではないから完全に治してやるのはできんがな」
「ありがとうございます」
普通、魔法で治療する行為は、人体の仕組みを専門に勉強した魔法医の専売特許だ。魔法医の真似事ができるのは、当代一の魔法使いダグラスの持つ知識が、それだけ幅広いという証だった。
簡易治療を終えた後、ダグラスが口を開いた。
「サミー。なぜあの娘にわしの話をしなかった? 二年前から有力者オットーへの服従は見せかけで、犯罪者役を依頼した者も魔法使いダグラスの粛清対象者──今のおまえの望みは、わしとともに魔法使いの王国を創ることだと」
「申し訳ありません……先生の話はしない方がいい気がして」
師匠を隠すような真似をしたことを、サミーは謝罪した。
世間一般的に魔法使いダグラスは悪の化身のように思われている。いくらサミーが彼を師匠として尊敬していても、そのことを伝え、納得してもらうのは骨の折れる作業だった。
それに、自分はすでにオットーや町の人達への復讐に舵を切っていると、マリーに言いたくなかった。
あの場に及んでなお、『可哀想な自分』を演出することで彼女の同情を引きたかった。
(…まったくなびいてくれなかったけど)
サミーに対し同情と罪悪感を持ちながらも、マリーは想う彼との別離を一切考えなかった。
あそこまで彼女に想われる男が羨ましい。
(僕が魔法使いでなければ、違う結果になっただろうか…?)
サミーの魔法をカッコイイと手放しで称賛してくれたマリーだけれど。魔法使いに恋愛感情は持てないのだというのなら少し残酷だと思う。
失恋の痛みを思い返していたサミーに、ダグラスが「ぅおほん」と咳払いをした。
「まあ、あれだ。わしの話を出さなかったのは正解だ。そんなおまえにチャンスをやろう」
「チャンス…ですか?」
「そうだ。いいか、よく聞け。あれは魔女マリーだ」
「え……?」
ダグラスの落とした爆弾発言に、サミーは自分の耳を疑った。
「まさか……先生、冗談でしょう? 彼女は魔女じゃありません」
「お前から依頼された魔法を読んだ。暗号化されていた部分は、魔力のオーラを消す魔法だった」
「そんな魔法が存在するのですか!?」
「存在するようだな。そして、あの娘を魔法で拘束した犯人が、監査局のブラウン・イーグルだ」
「信じられません…」
「そうか? 大きな魔法の衝突のあった現場にやってきて、傷ついた魔法使いを助けるなど、ただの小娘にできることだと思うか? ブラウン・イーグルみずから難解な魔法をかけて拘束しているのが何よりの証拠だろう」
「でも彼女は魔法を知らないし、中年女性でもありません」
「確か年は…十六歳。あれが魔女マリーの素顔だよ」
「もしかして…先生は前々から、そのことを……?」
「もちろんだ。魔女マリーにまつわる噂の数々も、タネを明かしてみれば、いたってバカバカしい話でな。変身は、魔法を一切使わぬ変装。あとは魔法を良く視る目、身体能力の高さ…要するに魔法を使ってはおらんのだ」
「それでは瞬間移動もしていないのですか?」
瞬間移動にはBランク以上の魔力と最高クラスの魔法石が必要だ。
最高クラスの魔法石を持つはずのない魔女マリーが瞬間移動できるのは、心の力を使っているからだと言われてきた。
「瞬間移動か。それは…しとるな。行き先を指定せずに。その場合、能力の低い魔法石でもできるからな。さすがのわしも行き先を指定せず瞬間移動されては手も足も出ん」
「い…行き先を指定しない!?」
サミーは驚いた。
行き先を指定せず瞬間移動して無事にどこかに出られるなど、魔法を勉強した魔法使いには考え難い話だった。
「あれはとことん無知で、魔法センスの欠片もない、魔女などとは呼べぬ小娘なのだ」
「…センスは勉強して磨くものですから、ないとまでは言い切れないのでは…」
サミーが反論すると、ダグラスは「ほう?」と愉悦の笑みを浮かべた。
「そうだ。いいことを教えてやろう。あれが嫌いなのは、わしではない。魔法で争う者すべてだよ」
「? おっしゃる意味が…」
「マリーは監査局も嫌いなのだよ。昨日二人でいるところを見たが、ブラウン・イーグルはマリーの前で自身の魔力も消しておった。つまりマリーは自分の拘束者が『誰』か知らんということだ。だから、お前の拘束者はブラウン・イーグルだと告げ口すれば、マリーの心は変わるぞ?」
「ですがマリーさんは拘束の魔法は自分が望んだもので、彼の心が自分に向かないのが辛いと」
「ほう…マリーがそんなことを? だが、どう読んでもあの魔法はブラウン・イーグルがみずから手掛けたもの。……あれだ、惚れた男を悪く言えなかったのかもしれん」
「それこそ変です。一方的に拘束の魔法をかけた相手を好きになるはずがない」
「果たしてそうかな。もしもお前が、わしの魔法石を盗んで逃走中の魔法使いだとして、魔女でもなんでもないマリーが突然現れて、逃亡を助けると手を差し伸べてきたら……解く手段のない拘束の魔法は、そこまで自分を追い込んでの本気の証だと思わんかね?」
「それは……」
「『きみの逃亡を助ける』」
「!」
「奴はそう言ったんだろう。奴の心がマリーに向かんのも、そもそも国の命令で嫌々拘束したからだ。──哀れなことよ。命がけで助けようとしてくれている相手だと思い、心を許したのに、すべてが偽りだったとは」
「そんな…そんなのはあんまりだ…」
ダグラスからもたらされたマリーの真実に、サミーは胸を痛めた。
マリーが彼を強く想っていると分かったから、彼女をあきらめたのに。
「そう悲観せずともお前が救い出してやればよいではないか」
ダグラスは、クククとどこか含みのある笑いをこぼすと、軽い調子で言った。
予想外の展開に、サミーはギョッとした。
「先生は魔女マリーをお嫌いなのでは?」
「魔法石コールライトさえ回収できれば、あとの感情的な部分は、わしの後継者となる者が望むならば、譲れんほどではないな。サミー。ブラウン・イーグルを始末し、魔女マリーをわしの元へ連れて来い。さすればお前がわしの後継者だ」
「無理です! 彼女は先生の名を聞けば逃げる」
「馬鹿正直に言えばそうなるだろうな」
「…彼女をだまして連れて来いと?」
「わしは、わしに出来んことを成し遂げた者に価値を認める。マリーはわしの顔を見た瞬間に行き先を指定せず瞬間移動するから、わしには捕まえようがなくてな。これを見よ」
ダグラスは、そこでひとつの魔法石を出してきて、サミーに見せた。
「なんて強い…魔法石……」
「天然石の最高クラスだ。Aランク、Bランクと言ったところで、天然石において魔法使いが発揮できる最大威力は変わらん。石の持つ媒介能力の限界のためにな。だからこそ、わしは自分の力を最大限発揮できるよう、希少な材料を苦労して集め、天然石より強大な人造石コールライトを生み出した」
それを奪って逃走した魔女マリー。
「お前にこの石を貸そう。これでブラウン・イーグルと互角の力が使える。奴はああ見えて、なかなか自分の手を汚したがらんし、自分が持つ石の強さへの慢心がある。お前にも勝機はあるはずだ。さあ、受け取れ」
尊敬する師が、最高クラスの魔法石を差し出しているというのに、サミーはすぐに反応できなかった。それを受け取ることに、得も言われぬ抵抗があった。
「わしが信用できんか?」
「い、いえ…」
「これは断言できるが、あの暗号、かけた当人以外で解けるのはわしくらいだぞ。いくら豪気な娘でも、心もないのに口先だけで一緒にいたいと言われ、拘束され続けたら、いずれ心が崩壊してしまうやもしれんな」




