10 街路の闇 #マリー
どうやらケントは真の人間嫌いで、毎日一緒に食事をするだけでも特別待遇といっていいらしい。
ケントの友人ギルからそんな情報を仕入れたマリーは、現金にもそれで嬉しくなってしまい、その日は満ち足りた気分で眠りについた。
だというのに。
夜中、尖った魔法の波動に、マリーは目を覚ました。
(傷つける魔法と…返す魔法…!)
窓の外を見ると、黒々とそびえ立つ都会の建物の向こうに、ほぼ円に近い月が見えた。
そして。
「ケント!?」
マリーは恐ろしいことに気付いた。
拘束の魔法の引力が少し強めだったのだ。ケントがマリーから離れている証拠。しかも、魔法のぶつかり合いがあった、まさにその方向に向かって動いていた。
「まさか…」
魔法使いのいるところに、魔法石あり。
「いくら魔法石が欲しいからって、魔法使い同士の殺し合いの現場に行くとか、バカじゃないの?」
マリーは憤りの声をこぼすと、宿の部屋を飛び出した。ケントを連れ戻そうと思った。
*
月の出ている夜空は明るく、反対に高い建物に囲まれた街路は影に沈み、まるで真っ暗な奈落の底のようだった。
(ケントに近づいてきた…!)
はやる気持ちでスピードをあげようとしたとき、マリーは何かに足をすべらせた。
「ぎゃっ!」
短い叫びをあげ、派手に転ぶ。
──ベシャッ!
暗い街に倒れたマリーは、けれど、倒れた衝撃や自分の痛みより、地面のぬるっとした水気と血の匂いに驚いた。
「う……」
男性のかすかなうめき声。
傷ついた誰かがそこにいる。
「しっかりしてください。あたしの声、聞こえますか?」
マリーはそこにいるだろう相手に声をかけた。
「……マリーさん?」
返ってきた声に、マリーは息をのんだ。
(うそっ…!)
「さ…サミー先生? ど…肩をかせば立てますか? お店まで送ります」
どうしてあなたなのか。
そう問いたい気持ちを抑え、マリーは言った。
しかし。
「帰って下さい」
サミーは、思いのほか強くマリーを拒絶した。
しかし、マリーだって、ここで引ける性格はしていない。
「帰れるわけありません。こんな状態の人を残して」
「いいんです。早く僕から離れて」
「嫌です」
「お願いですから、今は聞き分け…殺しますよ? たとえ瀕死でも、貴女ひとり殺すくらい…」
「もう黙って!」
たまりかねたマリーが怒鳴りつけると、サミーはびくっとした。
「そのくらい口がまわれば、歩けるね。さあ、立って」
反論を許さない厳しい声で、マリーは言った。
*
ケントが宿から動いたおかげで、マリーはサミーの薬屋まで行くことができた。
灯をつけ、ほとんど意識を失っているサミーをベッドに寝かせると、彼の手当てをした。おかゆを作り、床についた血の汚れをふき取った。
一区切りついて、窓の外を見ると、うっすら明るくなっていた。
「サミー先生」
マリーはサミーの様子を見にいった。
彼は、ベッドの上で体を起こそうとしていた。
「おかゆ、食べる? あ、ごめんね。店の薬とかいろいろ、勝手に使って。あたし、これでもハーブや薬草の知識は多少あるから、あんまりおかしな処方はしてないはずだけど」
サミーが体を起こすのを手伝って、マリーは言った。
「充分です。ありがとうございます。でも、どうしてこんなに良くしてくださるのですか? 僕が…怖くありませんか?」
「先生の魔法石、あずからせてもらってます。だから、今のあなたはただのケガ人です」
「…ええと、その、先生はやめてください。僕はそんな人間じゃないから…それと、魔法石、返してもらっていいですか? 昨日やり合った相手が追ってくる可能性があるので」
魔法石が手元にないと落ち着かない。
そんなサミーの様子を見て取ったマリーは、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「ねえ、サミーさん。石を返す前に、少しいいかな?」
「え? ……はい」
戸惑いつつも、マリーの真剣な表情を汲んでくれたのだろう。サミーは素直にうなずいた。
「あたし、魔法石の傷み具合が分かるんです。サミーさんの石はとても傷んでいて…もうすぐ壊れると思う」
三年前。
イリス一座をなくした後、世間の荒波にもまれたマリーは、自分の持ついくつかの能力が世間的にはありえない、特殊能力だと知った。
前にケントに言った魔法の名残りを視る力もそうだし、今サミーに言った魔法石の状態が分かる力もそうだ。
特に魔法石の状態が分かる力は、マリーの強みだった。
魔法の術式を知らなくても、魔法石との共鳴で、魔法使いが魔法を実現させる前に、例えばそれが火の攻撃魔法だとか、だいたいの方向性が分かる。…魔法を先読みして動ける。
石の限界を超える魔法を使おうとするならば、石が壊れ、不発に終わることも分かる。
(…なんて、魔女マリーが言うならともかく、ただの小娘の言葉じゃ信じ難いよね。分かってる。でもこれ以上の情報はあげられない)
サミーがマリーの話を信じずに取り合わないならそれまで。冷たいかもしれないが。
自分に明かせる限界情報を投げたマリーは、静かにサミーの反応を待った。
「そ…うなんですか? でもまあ、魔法石は壊れるものですから」
意外にもサミーは否定しなかった。
そして、想像以上に闇深い言葉を続けた。魔法石は消耗品だから、魔法を使うことで傷むというなら、その点は理解できると。
(この人は…なんてことを……!)
「いいえ…いいえ! 痛みを与えなければ、石は壊れません。痛みを与えるから、壊れるんです」
マリーは泣きそうになりながら訴えた。
「痛みを与えるから壊れる…? マリーさん、何を言って…」
「サミーさん。あの石で、人を殺したでしょう?」
動揺するサミーの退路を断つように、マリーは言った。




