ケントとクリスの出会い #ケント
『また…ですか。今日は何を?』
教官室と書かれた部屋の中から、大人たちのうんざりした声が聞こえてくる。
七歳の少年、ケントは教官室前の廊下にうつむいて立っていた。
ふと、大人より軽い足音が聞こえてきたので顔をあげた。
自分よりいくつか年上の、栗色の髪の少年が歩いてくるところだった。
十二、三歳だろうか? あるいはもう少し上? 紺色の、カッチリとした襟付きの服を着ていたこともあり、妙に大人びて、落ち着いた雰囲気を持つ少年だった。
そして、彼は魔力のオーラを持っていなかった。
ここは魔法学校で、魔法使いしかいないところだというのに。
いや、確か視る者だと名乗った大人が似たような紺の服を着ていた。おそらく彼は視る者と呼ばれる、魔法使いを管理する側の人間…。
少年はケントを見ると、にっこりと笑った。
ケントは驚いた。大人たちはケントに問題行動が多いと、いつもぴりぴり。クラスメイトたちはケントの食べ方や鉛筆の持ち方、姿勢、あらゆる動作がおかしいと、ケントが何かするたびにからかってくる。
好意的な視線は久しぶり…いや、こんな暖かなまなざしは生まれて初めて受けるものだった。
母親はケントにおびえて育児放棄したし、一か月前に死別した魔法使いの父親は、ほかの大人たち曰く人間のクズだった。Aランク魔法使いで常に国の管理下にないといけないケントを勝手に連れ出し、二人きりの生活を強いて、魔法を使うこと以外いっさい教えず、食事を与えなかったり、虐待したりしたから。
少年はケントの前に立つと、ケントと視線が合うように身をかがめ、口を開いた。
「こんにちは。僕はクリス。きみはケント君だね」
おびえでも、罵倒でも、蔑みでもない言葉。
ケントは驚きすぎて声も出なかった。
しかし、クリスは気を悪くしたりしなかった。
「どうしてここにいるの?」
クリスが言ったとき、教官室からヒステリックな声が聞こえてきた。
『……で、教室の中で突風を起こしよった! もう限界だ。もう我慢ならん!』
『ああ、それで生徒たちが先生の頭を…』
『おほん。別にわしのカツラがバレたから言っとるんじゃないぞ!』
教官たちの声を聞きながら、ケントはうつむいた。きっとクリスも、問題児のケントに嫌な顔をするだろう。そう思った。
けれど。
「教室内で突風を起こしたの?」
そうたずねるクリスの声に、嫌な響きはなかった。
顔をあげてみると、彼は変わらずおだやかな微笑を浮かべていた。
「だって、俺のこと、変だって笑うから」
なぜかケントはクリスに言い訳をした。
これまで言い訳なんてしたこともなかったのに。クリスなら分かってくれるんじゃないかと、そう思ったのだ。
果たして。
「そっか。笑われるのは嫌だね」
クリスはケントの気持ちを分かってくれた。
なにかとんでもない奇跡が起きた気がした。
が。
『では、母親を呼びますか』
教官室から聞こえてきた発言に、弾んだ気持ちはしぼんだ。
クリスも、ケントの態度の変化に気付いた。
「お母さんに会いたくないの?」
優しくたずねられて、ケントは素直にうなずいた。母親とは面会という形で数回会ったが、いつもケントにおびえ、逃げ出したそうにしていて、母親との面会時間は一番の苦痛だった。
そこでクリスは、またしても微笑んだ。
「分かった。僕がなんとかしてあげる。その代わりもう少し教えて? きみは今、とても苦しいよね? 先生やクラスメイトとどう付き合えばいいのか分からなくて。きみは、どうしたいと思ってる?」
ケントはぽかんとした。
クリスの言葉のすべてが、自分にかけられたものだとは到底思えなくて。
「なんでもきみの希望通りにできるってわけじゃないけど、僕はきみの力になるために来たんだ。だから、まず、きみの希望を聞かせてほしい」
世界が変わる。
そう、ケントは思った。
この少年の手を取れば。
「ひとりになりたい」
ぽつりとつぶやくように言うと、クリスはやっぱり笑って、「教えてくれてありがとう」と言った。
「じゃあ、そうだね…寮の離れにひとりで寝泊まりするのはどう?」
「そんなこと、できる?」
「交渉次第では。その代わり、きみにも守ってほしいことがある。クラスメイトや先生を魔法で攻撃しないこと。笑われたり、嫌なことを言われるのは腹が立つと思う。でもそこで力に頼っても、きみにいいことはないよ。所詮、学校は先生の手の内だからね。でも学校を出たら、また世界は変わる」
クリスは条件を出してきたが、不思議とケントは嫌な気持ちにならなかった。
素直に聞けた。
そして、学校を出たら世界が変わるという言葉は、ケントの心に響いた。
「きみはお父さんから魔法を習ってだいぶ知識があるから、授業が退屈なら聞かなくていいよ。寮の離れに住んで、毎日授業に出席して、あとは周囲に迷惑をかけない範囲で好きにしたらいい。あ、試験は受けてね。どう? これならできそうだと思わないかい?」
「う…うん。できる…と思う」
ケントは言った。
けれども、頭の固い教官たちが納得するとは思えず、教官室のドアを見てしまう。
「大丈夫。交渉は僕にまかせて。さあ、今は僕と約束してほしい。まわりを魔法で攻撃しないこと。約束してくれる?」
クリスは笑顔を崩さない。
そこに嘘も不安も見出せなくて、ケントはうなずいた。
「ありがとう、ケント君」
クリスは、その日一番の笑顔をケントに向けてくれた。
ケントはなんだか、胸がくすぐったい気持ちになった。
それは、父に言われたとおりの魔法ができて、褒めてもらえたときに感じた気持ちと、少し似ていた。
それからクリスは、ケントに約束したことを教官たちに認めさせた。
途中、国の方針なる言葉がクリスの口から飛び出して、ケントは『何者?』と思うのだが、その答えを知るのはもう少し後のことだ。このときの彼が十一歳で、十歳から働いて、大人と対等に渡り合ってきたのだと知ることも。




