9 初めての恐怖 #ケント
マリーから師匠の居場所をたずねられ、亡くなったと答えたあと、ケントは胸のうずきを意識し、あれ、と思った。
ケントにとって師匠と呼べる魔法使いは、魔法の基礎をたたきこんだ父親だった。ケントが七歳のときに死別し、その同じ年にクリスと出会った。それからここまで、父親はとくに思い出すことのない存在だった。
(なんで今、胸が締めつけられてるんだろう……いや、いい。今はそれどころじゃない)
父親を思い出して胸がうずくのを自覚しながら、ケントはすぐにその思いを封印した。
(マリーに全部話して、イライザのもとへ返すんだ)
自分の中で決意したことを、胸のうちでくりかえした。
そもそも解放するために、人のいない場所で彼女を待ったのだ。
マリーがイライザを連れず、一人で来たことで二人旅が続くような気分になって、ついまた嘘を重ねてしまったが、シェイド市につけばクリスの介入が入る。王家に忠義を尽くすクリスは、絶対に魔女マリーを見逃してくれない。
「ま……」
「あーあ、南部のブライス地方かあ。瞬間移動ポイントとか本当にあるんだね」
ケントが声をあげようとするのと、マリーの発言が重なった。
師匠の話を聞いたことを悪いと思って、話題を変えようとしてくれたらしい。
「一昨日からだっけ…ちょっと歩くだけで汗ばむようになって、おかしいと思ったんだよ。一週間前ロストにいたことが嘘みたい」
「ええと、そのことだけど………ロスト?」
瞬間移動ポイントの話は嘘だと訂正しようとしたケントは、マリーの口から出た北部の町の名前に、はたと思考を停止させた。
町名を聞き直されたマリーは、「あ」と口を押さえた。口がすべった、という表情で。
ゾゾゾっと、悪寒がケントの背中を這い上がった。
「まさか…あの荒野に行ったなんて言わないよな?」
信じられない思いでケントは言った。
ロストは魔法石採掘の町だった。半月余り前、ある魔法装置の爆発で町ごと吹き飛ばされて荒野になった。
だが、問題は荒野になったことではなくて。
「あんな紫害気の濃い場所、なんの対策もなしに行って生きて戻れるはずがない…!」
紫害気とは、空気中に普通に含まれる空気成分のうちのひとつだ。ただ、濃度が濃くなると、たちまち人体に害を及ぼす。魔法石の主成分でもあり、採掘場は紫害気が濃いため、魔法装置で空気を浄化していた。ロストはその空気浄化装置が爆発し、あたり一帯の紫害気濃度が上昇した場所だった。
「あたしが行ったのは爆発から一週間後だったから、耐えられないレベルじゃなかったよ」
「は? 耐えられないレベルじゃ…なかった?」
開き直ったマリーの主張に、ケントは頭がおかしくなった気がした。
ケントだって、ロストにいたのだ。
毎日、紫害気の濃度を測り、対策をして、装置の爆発原因を究明した。
(いや、俺がいたのは汚染の中心地…周辺の濃度までは知らない…)
「どうしてロストに行こうなんて……」
頭をかかえながらケントは言った。
仕事で命令されたわけでもないのに、汚染された場所へわざわざ行きたがる理屈が分からなかった。
「どうしても確かめなきゃいけないことがあったから」
頑なな瞳でマリーが言った。
なぜか線を引かれた気がした。これ以上は立ち入るなと。
そして、そのことが無性に気に障った。
「なんだよ、それ……魔法装置のただの事故だぞ。死ぬ危険をおかしてまで確かめなきゃいけないことなんて…」
「事故じゃない!」
マリーはそう叫ぶと、ハッとしたように手で口を押さえた。
「…ごめん、今のは言い間違い」
しかし、ケントの方は見過ごせなかった。
ロストの魔法装置の爆発を検証して、事故だと結論付けたのはケントなのだ。
「教えて…くれないか。マリー、きみが事故じゃないと思う論拠を」
「…言っても信じないよ」
「信じるよ。きみが規格外なのはよく分かってるからさ」
「きかくがい…」
マリーはやや心外そうな顔をしたものの、ため息をついてから話し始めた。
「あたし、魔法を使った後の名残りが視えるんだ」
「そう…なのか」
「ほら、やっぱり信じてない!」
「いや、信じてるよ。少し驚いてるけど」
魔法の名残りの話自体は、ケントにとって初めて聞く話ではなかった。
クリスから聞いていたからだ。
現在、国内でたったひとりの特別な視る能力者と認定されている彼の、彼だけの、特殊な視る力として。
(魔法の名残りを視るってことは、マリーの視る力はクリスと同じ…いや、もしかしたらそれ以上…?)
「それで? ロストに魔法の名残りを視に行ったとでも?」
「そうだよ。そして、視えたんだ。魔法装置の爆発を増幅させた、ダグラスの魔法の名残りが」
「バカな! いくら名残りが視えるからって、きみが行ったのは一週間後だろう?」
「うん。弱い魔法の名残りはすぐ消えて、強い魔法の名残りほど長く残るんだけど……あたしも一週間後の名残りは初めて視た。天然の魔法石を使った魔法だったらあり得ないし」
天然の魔法石だったらあり得ない。
最後の発言に、ケントは息を呑んだ。
「まさか…そんな…だって、きみはこの一年……」
とっさに言葉が文章にならない。
この一年、己れのすべてを犠牲にして、行き倒れ寸前まで逃亡したマリーのことを思ったら、その事実はあまりに重かった。
マリーの中に封印された、人造魔法石コールライト。当代一の魔法使いダグラスが、天然の魔法石では実現できない大きな魔法を使うために生み出したもの。
ダグラスはコールライトは偶然の産物で、二度と作れない代わりの効かない魔法石だとして、この一年、魔女マリーを追い続けた。
けれどダグラスは、とうとう新しいコールライトを開発してしまったのだ。
「ケント」
マリーは今にも消えてなくなりそうな、儚い微笑を浮かべた。
「良かったんだよ、これで。あたしは魔女じゃなくなって、姐さんにも会えた。もうこのコールライトを狙われる心配もない。これからはサジッタ一座で、普通の女の子としてやっていける。だから……あたしたちの魔法、終わりにして?」
胸に手を当てながらマリーが言った。
ぐっと、ケントは唇をかみしめた。
思いの外、胸が締め付けられて苦しかった。
(なんだ、この気持ち…どうしてこんなに、うなずくのが嫌なんだ……いや、でももう解放すると決めたんじゃないか)
分かった──ケントは、そう言うために口を開いた。
ところが。
「マリー、イライザは?」
ケントの口から出てきたのは、まったく別の言葉だった。
頭の中で警鐘が鳴り響いていた。このまま進んではいけないと、切実な気持ちがブレーキをかけていた。
案の定、マリーは不審そうに眉をひそめた。
「姐さん? なに、急に」
「いや、どうしてイライザと一緒に来なかったんだろうと思って」
「え…だから、サシであんたと話したいと言って、納得してもらったんだけど…。最初にも言ったよね?」
戸惑いがちに答えるマリーに、引っかかるところはなかった。
「そう…だったな。ごめん。マリーもサジッタ一座に入ったら、踊るのか?」
ふとイライザの真っ赤な舞台衣裳が頭をよぎり、ケントは言った。
その瞬間、マリーの顔がこわばった。
ざわり、と肌が泡立つのをケントは感じた。
マリーはすぐに表情を切り替え、「あたしは占い師だから踊らないよ」と当たり前のように言った。
けれど、ケントは。目の前で普通の顔をしているマリーを『おかしい』と、はっきり確信してしまった。
そして、思い出した。
『マリーがこのまま死んでもいいみたいなことを言うからさ』
ケントがクリスに言った、拘束の魔法を正当化するための嘘。それをすんなり信じたクリス。
(そういう…ことか…!)
ケントは、ギュッと自分の手を握りしめた。
(うまく騙せたなんて、道化じゃないか……!)
彼は…彼の方が、理解していたのだ。
彼女が破滅に向かっていることを。そこを理解した上で、慎重になって、手出しを控えてくれた。
(マリーはイライザのもとへは戻らないつもりだ。拘束の魔法を解いたら、ダグラスのところへ行く)
ダグラスに立ち向かい続けた彼女の動機が、一座の復讐だから。
イライザとマリーの会話から、二人の一座を滅ぼしたのがダグラスだと聞いておきながら、マリーを解放できると思った自分は本当に、救いようのない馬鹿だとケントは思った。
ダグラスが全滅させた一座に、国に知られていない高ランク魔女が偶然いた、なんて話があるはずもなく。彼の狙いはマリーを自分の駒にすることで。マリーにしてみたら自分のせいで家族を失くしたことになる。
(クリス。おまえはいつだって俺の先回りをして。俺のことを考えてくれて。俺は……)
「ねえ、ケント。あたしたちの魔法、終わりにしよう?」
「きみは…………」
静かな声で言ったマリーに、何か言わなければと思いながら、ケントは胸がつかえて言葉が出て来なかった。
これまでケントは、魔法の術式以外で悩んだことがなかった。トラブルを起こしたときはクリスがフォローしてくれて、ケントに長々とお説教をして、なにが間違っていたか教えてくれた。ケントは、クリスの言うことを聞いていれば良かった。
誰かの人生に悩む日が来るなんて、考えたこともなかった。
(くそ、どうすれば……!)
ここまでは奇跡的にマリーの正体をクリスに隠せたが、この先は不可能だ。
──このままマリーを連れて、どこかへ。
自分の中に浮かんだ考えに、ケントは身震いした。
すべてを捨ててマリーを守る。
それが最善の選択だと思うのに、その選択が怖かった。
国を裏切って、クリスのフォローの手を失って、ダグラスから彼女を隠して守る。そんな大それたことが自分にできるとは思えなかった。
(俺は……………)




