2 本当は魔法を知らない魔女マリー #マリー
メイドさんを助けた後、マリーは全速力で町を駆けていた。
人と関わってしまったし、おたずね者らしくさっさと町を出ようとしたら、目には見えない糸のようなものに背中から引きもどされ、それ以上進めなくなってしまったのだ。
(これはあたしをこの町に縛る足止めの魔法…! 一体いつ、誰が…!)
そもそもマリーは、魔法に敏感なタチだ。他の人が気付かないような、小さな魔法の波動も感知できる。
こんな風に、気付かない内に魔法をかけられるなんて初めてのことだった。
その上さらに、通常、目視できる魔法の術式が視えないよう隠されたと来れば…。
(どうしよう……相手が厄介な魔法使いだったら……!)
走りながら、心細さから涙がにじんできた。
(あたしは魔法なんて知らないのに…!)
そう。
凄腕の魔女マリーなんて、存在しない。
魔法感知能力の高さと、小手先のごまかしと、ハッタリで切り抜けてきただけ。
不思議な魔法の引力をたどって、町中の宿の前までやってきたマリーは、手をひざに置き、ハア、ハアと乱れた息を整えた。
ふと、さっき助けたメイドさんを思い出した。
十六歳だと言っていた。
父親が用意した見合い相手を蹴って、恋人と駆け落ちするのだと。
恋人を想って浮かべた笑顔は、とてもまぶしかった。
(あたしだって…十六歳なんだけどな)
片や恋に生き、片や指名手配犯として逃亡生活を送っているとは。
思わず感傷に浸りそうになったマリーだったが。
(ふん。同い年の子がまぶしく見えたからって、頼りない女の子に戻ってんじゃないよ、マリー)
背筋を伸ばし、すっくと直立した。
服の下に藁を詰め込んで作った太鼓腹が目に入る。
今のマリーは、八の字眉の、小太りの中年女。
(中年魔女マリーとして生きる道を選んだのはあたし。敵がどんな奴だろうと、当たって打開策を見つけるまでだ)
これまで、そうしてきたように。
*
気持ちを立て直したマリーは、宿に飛び込み、階段を駆けのぼり、バンッとその部屋のドアを勢いよく開けた。
そこで。
(え…………?)
予想外の事態に、マリーはひるんだ。
窓際に立っていたのは、二十代の男性だった。
この国に一番多い黒髪・黒目、庶民のありふれた服装、平坦な顔立ちの、特徴らしい特徴のない男。
けれども、彼は魔法使いではなかった。
魔法使いは魔力のオーラを身にまとっていて、魔法使い同士なら互いのオーラが視えるのだ。
(魔法使いじゃ…ない? 魔法で足止めした上、魔法の引力をたどらせて誘い込んでくるくらいだから、相当自己顕示欲の強い魔法使いが待ちかまえてると思ったのに、まさか一般人を間に挟んでくるなんて…)
男はマリーを見ると、ぎこちない笑みを浮かべた。
それだけでマリーは察する。
可哀想にこの男は、元凶の魔法使いに脅されて、今、マリーの前に立たされているに違いない。残忍と噂の魔女マリーに問答無用で殺されると思って、恐怖しているのだ。
「はじめまして、魔女マリーさん。ようこそいらっしゃいました」
「あたしに足止めの魔法をかけた魔法使いはどこにいる?」
マリーは苛立ちもあらわに、男の挨拶にかぶせて言った。
恐怖に震える相手に対し、配慮のない対応ではあったが、むしろこれがマリーの優しさだった。
魔女マリーの敵は今回の元凶の魔法使いだけではない。当代一の魔法使いダグラスや、王家までも警戒しなければならない。可哀想な男が巻き込まれて命を落とさないためには、早期解決が必須条件だった。
ところが。
「足止めの魔法?」
最初、怯えているようにも見えた男はそう言って、怪訝そうに眉をひそめた。
「とぼける気かい? 魔法使いがあたしに魔法をかけて、あんたを出迎え役にしたんだろう?」
「違う! 全部誤解だ!」
言い逃れできないようハッキリ言ったマリーに対し、彼は強い否定の言葉を発した。
「俺の名はケント。魔法は…ちょうどその場に居合わせた魔法使いに頼んだだけで…あなたをここに誘い込んだのは俺だ」
ケントの告白に、マリーは目を点にした。
「いや、待って? 自信過剰な魔法使いがあたしに魔法勝負を挑むってんなら、いざ知らず、あんたがあたしにケンカを売る意味が分からないよ。真犯人にそう言えと脅されているのかい?」
「犯人は俺だよ!」
「いやいやいや、あたしは魔女マリー。道端の小娘を気に入ったから足止めしてくれと魔法使いに頼むのとは、訳が違うんだよ?」
魔女マリーは残忍、関わったら身の破滅。それが世間一般の認識だ。
一般人が魔女マリーを拘束するなど、殺してくれと言うようなもの。
「だから、つまり……」
言い淀んだケントは、言葉を探すように呻き、うつむいた。
やがてマリーが見守る前で、ケントは意を決したように顔を上げた。
まっすぐな瞳がマリーを貫いた。
「俺さ、魔法が好きで好きで好きで。なあ、俺の目の前でこの魔法、解いてみせてくれよ!」
「は…ぁあああ!?」
やや興奮気味に言ったケントの、まったく予想外な要求に、マリーは絶叫した。




