5 クリスによる視る者心得講義 #ジャック
「デリアからだいぶ聞いたみたいですが、ほかに聞きたいことはありますか?」
クリスは全然えらぶるところがなく、優しい。
ジャックは図々しいかもと思いながらも、つい口がゆるんで言った。
「あの、俺が二年で学校を修了するって、可能だと思いますか?」
クリスは目を丸くした。
「それは…ええと、ランディが十六歳で魔法学校を卒業するのに合わせたい、と?」
クリスはさくっとジャックの意図を理解した。
大胆なことを言ってしまった、とジャックは途端に恥ずかしくなった。
「そっ…そうです。俺、やっぱり、監査局が憧れで。ランディのことも、いいやつだなって思うし。って、無理…ですよね」
「無理…とは言いませんが」
そこでクリスは考えこんだ。
「すっ、すみません、忘れてください、俺なんかが図々しく、本当にすみませんでした!」
「俺なんか? ジャック君。きみは視る能力者の中でも上級──千人に一人の能力を持っているんです。あまり軽々しく自分を卑下しない方がよいと思いますよ。…きみが卑下することで傷つく人もいると知っておきましょうね」
クリスの口調はやわらかだったが、ジャックは目からウロコが落ちた。
上級認定を実感して舞い上がったばかりで、違う立場から見える自分のことまで思い至っていなかった。
だけど。
ジャックだって憧れ、多くの人が憧れる立場。
その場所にジャックは立ってしまったのだ。
「あ…ありがとうございます! ちゃ、ちゃんと自覚するようにします」
ジャックが言うと、クリスはにっこりと笑ってくれた。
「そうですね…では、ジャック君、ひとつタネ明かしをしましょう」
「は…はい?」
「きみの村で、私は魔法使いに手錠をかけました。覚えていますよね」
「もちろんです」
「あの手錠には、対象者を眠らせる魔法がかかっていました。だから、私がジャック君、マリーさんと話している間、魔法使いは眠っていました。魔法使いを抑えるアイテムは他にもあったんですが、昨日はお二方にお話をうかがいたかったので、手錠を選択したんです。ここまでは分かりますか?」
「は…はい」
「では次に、魔法使いの攻撃力についてお話ししましょう。
魔法使いの攻撃力は、魔力によって決まります。魔力が低い…つまりランクが低ければ低いほど、威力も下がります。
そこで、あの魔法使いの老人の場合です。ジャック君の見立て通り、彼は最低のFランクの、中でも極めて低い魔力の魔法使いでした」
実は老人魔法使いの魔力では、小麦袋の中身を入れ替える魔法は魔力不足だったのだという。
彼は魔法使いダグラスに弟子入りし、魔力増幅器を手に入れ、入れ替えの魔法を実現させたらしい。
「ですから、彼の攻撃力は、万全のときであっても、せいぜい人を数秒、立ちくらみさせる程度でしょうね。ご本人は返されたショックもあって、昏倒されたんでしょうが。ジャック君も、彼を視て怖いと思わなかったでしょう?」
「たしかに…みんなの前で言いました。あいつは大した魔法使いじゃないから、なんとかなるって」
「ええ、村の方からうかがいましたよ。その時点で、私はきみが上級能力者だと確信しました」
「えっ? それだけで?」
「それだけで。きみもおいおい分かると思いますが、きみが普通に視ている世界は、特別な世界なんです。同じように視えていない人には言葉を選ばないと、伝わらないことも出てきますよ」
「い、意識します…」
「話を進めますね。ランクが上がれば攻撃力もあがります。Bランクを超えると、魔法による直接攻撃で、人を死に至らせることが可能となります。さて。すこし意地の悪い質問をしましょうか」
「え?」
「きみとランディがペアを組んだとします。ある日、ケンカをして、逆上したランディがきみを攻撃してきました。きみはどうしますか?」
「返す…いや、返しちゃ駄目だ。な、なにか防ぐか抑えるアイテムを使います!」
「そうですね。正解です。では、そのあとはどうしましょうか? きみを攻撃してしまったランディに、なんて声をかけます?」
「え…」
そうクリスに問われたとき。
なぜかは分からないが、ジャックの脳裏にランディの笑顔が浮かんだ。
明るくまっすぐな彼の笑顔。
その笑顔がくずれ、ジャックを攻撃する事態になる。
それは、なんて悲劇なんだろう。
想像するだけで、ジャックの胸は痛んだ。
「……謝ります。なんて謝るかは、そのときになってみないと分かりませんが。彼にそうさせてしまった俺の非を謝ります」
しん…と、静寂が空間を支配した。
そして。
クリスは是とも否ともつかない、ため息をついた。
(あ…呆れられた…?)
「今のきみの気持ちは分かりました。ランディの気持ちもありますし、あまり無責任なことは言いたくありませんが……検討してみましょうか」
「ほ、本当ですか?」
「きみにとって、いいことかは分かりませんよ? 二年とは言わなくとも、なるべく早期の修了を求めることになりますし」
「睡眠時間削ってでも、がんばります!」
「ああ、それはやめてください。寝ないと身長が伸びませんから」
「へっ? 身長?」
ジャックがポカンとすると、クリスが困ったような顔をした。
「すみません、今のは失言でした。ですが、きみには話しておきますね」
クリスの表情から、すっとなごやかさが消えた。
「私が後進指導をしない理由です。さっきジャック君は、ランディに攻撃されたら、アイテムで防ぐと答えましたよね。もちろん、正解なんです。でも私はそこに、もしそういったアイテムをもっていない場合も自傷で止める、が加わるんです。…こんな感覚の人間が講師なんてできるわけがないですよね。ちなみにこの話はオフレコで」
最後はやや自嘲気味に締める。
オフレコの意図は、深く聞かなくても分かった。
クリスは超級能力者。代わりの効かない存在だ。
その彼が自傷を最終手段と考えているなんて知れたら、多くの人が考え直してくれとやってきて、大変なことになるだろう。
けれども、彼のその覚悟こそが、ブラウン・イーグルや高ランク魔法使いとの絆になっているのではないだろうか?
「カリキュラムについては学校で相談に乗ってもらえますから、頑張ってみてください」
いつものなごやかな微笑を浮かべ、クリスが言った。
手を離されたと、ジャックは直感した。
「あ、あのっ…これからも相談に乗ってもらうとか、無理ですか!?」
ジャックは叫んだ。
「ジャック君、さっきの話、聞いてました?」
すこし冷たい声で、クリスが言う。
──この人を落としてやる。
そんな瞬間的決意で、ジャックは口を開いた。
「俺、今日の講習で、なんか引っかかったんです。今の話を聞いてハッキリ分かりました。自傷を最終手段と思うのもいけないなんて、視る能力者として間違ってる」
「私は間違っているとは思いませんよ?」
「でも、俺はいやです……って、背が全然足りないんですけど。いや、絶対大きくなります! だからお願いします! 俺に、教えてください! 高ランク魔法使いとの向き合い方を」
高ランク魔法使いとの向き合い方。
まだ出会ったばかりのランディに、どうしてそこまでこだわるのか、自分でも分からない。
でも、クリスと話していてハッキリと思った。
彼の笑顔を守りたいと。
高ランク魔法使いが生きにくい国だということは、ジャックもなんとなく分かっている。
そんな中、彼は怯えを見せたジャックに明るく声をかけてくれた。
あの笑顔が簡単に生まれたわけがない。
明るくふるまえるランディは、すごい人だ。
そして。
絆を結んだ魔法使いの暴走を止め得る自傷は、今のこの国の制度から、その人を守ることだ。
また、自傷の覚悟をもつことで、高ランク魔法使いへの恐怖を払拭できる。
遠慮のない関係を築いていける。
周囲をこわがらせているブラウン・イーグルがクリスになついているというのも、クリスが腹をくくって彼と向かい合っているから。
ジャックは一生懸命にクリスを見た。
「俺は、クリスさんから学びたい…です」
長い長い静寂。
やがてクリスは息をついた。…是とも否とも言いがたい。
「そうですね……では、毎朝、一緒に走るというのはいかがですか?」
「はいっ! よろしくお願いします!」




