1 噂の魔女は弱者を助けたい #マリー
ヒュオォォォォ…。
強い風が吹いた。
ちょうど街道から町へ入ろうとしていた旅の女が、肩から羽織ったストールを風にあおられ、数秒足を止めた。
小太りの中年女だ。
褪せた臙脂色のストールの下は、紐でサイズ調整する生成りの長袖ブラウスで、樽のような胴回りに焦げ茶色の幅広の帯を巻きつけ、オレンジ色を主体に紫や柄物の布を重ねた巻きスカートを履き、足元は草を編み上げて作った自作ブーツで包んでいた。
着の身着のまま旅を続けて来たのだろう。服は色褪せ、擦り切れ、くたびれていた。洗濯はしているのか、汚れてはいなかった。
そんな女にはおかしな点があった。
服装はどう見ても流浪の民なのに、仲間がいないのだ。
流浪の民は通常、一座を形成し、彼女たちの家である天幕を積んだ荷馬車を持ち、町から町へと流れる。
女は、たった独り。
街道に面した建物の壁では、痩せ型の初老占い師の顔を描いた指名手配の貼り紙が風に煽られ、はためいていた。
~WANTED~
魔女マリー
(中高年女性)
流浪の民。占い師。
親切顔で悪事を働く。
※変身名人の為、顔は異なる場合あり。
* * *
「見ぃ・つ・け・た!」
ふいに至近距離から、毒々しい女の声が響いた。
人を追いつめ、いたぶる享楽にまみれた声だ。
小さな町に入ったばかりのマリーは、反射的に足を止めた。
毒女は、通りに面した建物と建物の間の細い路地にいた。
金髪碧眼、豊満なバストを強調した派手な装い。裏社会に生きる人種であることが一目で分かる、キツイ顔立ちの妖艶な美女だった。
脳筋丸出しの大男を一人付き従え、毒女はメイドエプロン姿の少女に迫っていた。
頭をスカーフで覆い、うつむいていたため、メイドさんの顔は見えない。
そこまで状況を確認したところで、マリーはハッと我に返り、首をふった。
(トラブルには首を突っ込まない。…トラブルには首を突っ込まない。あたしが関わったら、助けるどころか被害を大きくするんだから)
戒めの言葉を心の中で呪文のように唱え、マリーは歩き出そうとした。
が。
「ふふ。残念だったわねえ。旦那様がお待ちよ。さあ、帰りましょう?」
再び響いた毒女の声に、マリーの足は地面に縫い止められた。
毒女は、追い詰めた獲物に勝利宣言したのだ。
うつむいたメイドさんは、かすかにふるえていた。
(ああもう……っ! これが最後だ……っ!)
マリーは、体の向きを変え、毒女とメイドさんの間に割って入った。
「待ちな、お姉さん方。無理やり連れてって、いいようになるとは思えな…い、よ」
勇ましく啖呵を切ろうとしたマリーだったが、途中で声がみっともなく裏返ってしまった。
人を避けた暮らしで数日しゃべっていなかったことが災いした。
いや。変な声は、まあ、いい。
突然割って入った邪魔者に対し、毒女は沈黙し、刺すような視線を向けてきた。
探られて痛い腹を持つマリーは、緊張した。
(まさか疑われてる…? あたしがおたずね者の魔女マリーだって)
町の入り口に貼りだされていた指名手配の紙を思い出した。
貼り紙の姿絵は、痩せ型の初老占い師だった。
今の外見は、小太り。気の弱そうな、八の字眉の中年女だ。
ただ、最近は多くの街で、色々なバージョンの姿絵が貼り出されている。
魔女マリーの変身姿のひとつとして、今の姿を記憶されている可能性はゼロではなかった。
「…関係のない方はご遠慮くださる?」
しばしの間を置いた後、毒女は、残忍な笑みを浮かべて言った。
どうやら一方的にいたぶって遊ぶ獲物が増えたと認識したらしい。
マリーは小さく息をついた。
魔女マリーの噂は数多あれど、実際に会ったという人はほとんどいない。
(実在も怪ぶまれる幻の珍獣みたいな存在が目の前にいるとは、なかなか思わないよね。ただ…)
正体がバレずに終わるのが一番理想的だけれども、今はナメられていいときでもなかった。
「イヤだと言ったら?」
マリーは、性根の座った声を出し、女を泰然と見返した。
「ああら、それはご愁傷様。あたし、あなたのようなタイプ、大嫌いなのよ。ふふっ」
真っ赤な唇が毒の言葉を紡ぐ。
マリーの売ったケンカを、毒女は喜々として買った。
大口を叩くからには楽しませてよ? と、煽られる始末。
毒女が半歩下がったのを合図に、後ろにひかえていた脳筋大男が前に出てきた。
「ババア、痛い目みたくなかったら、すっこんでろ!」
「おやまあ。あんたにあたしが傷付けられるかねぇ?」
「なんだとゴラァ!」
男が殴りかかってきた。
マリーは、体をよじりながら、軽く男の手を払った。
「んなっ!?」
男のこぶしは、マリーの体の表面をすべるように逸れた。
そのまま地面へ激突しそうになるのを、男はなんとか回避する。
「よけんじゃねぇ!」
男が再度マリーに向かってきた。
そして、男のこぶしが、前に突き出したマリーの手に打ち当たった瞬間。
バシッ! という快音とともに、男の巨体が弾かれたように、ふっとんでいった。
「まだ…やるかい?」
腰に手を当て、威圧的にマリーは言い放った。
そこで、ようやく男は気付いた。
ケンカを売ってはいけない相手と戦っていたのだと。
「ま…魔女………ひいいぃっ!」
男は一目散に逃げていった。
毒女も、相手が魔女では分が悪いと思ったのか、あっさりと身をひるがえして去っていった。