10 女詐欺師は本心を暴く #マリー
「マリーさん!」
村の往来で小麦農家の少年ジャックがマリーを呼んだ。
粉問屋の不正を暴き、監査員のクリスと話をする途中、逃げ出したマリーを追ってきたのだ。
「どうして逃げるの? 監査局にその魔法のこと相談した方がいいよ。クリスさん、いい人そうだし」
「ジャック。気持ちはありがたいけど、あたしは本当に困ってないんだ」
マリーは足を止めずに言った。
「でも、宿の親父から聞いたけど、本当のお兄さんじゃな…」
「よけいな…」
余計なお世話だとジャックを振り返ろうとしたマリーは、何かにつまづいた。
「わわわっ!」
よろめき、顔から派手に転んでしまう。
転びながら、マリーは真っ赤なピンヒールを見た。
「まあ、ごめんなさいね!」
なんとか腕で顔面は守ったものの、地面と痛みを分け合っていたマリーは、上から降ってきた声にギョッとした。
(この声………!)
前の町でメイドさんを追いつめていた毒女だ。
「大丈夫? おケガは?」
そのときとは真逆の猫なで声。
どうやら毒女はマリーを初対面と思っているようだった。
(そりゃそうか。この女はあのときも、あたしが魔女マリーだって気付いてなかった)
青白いオーラを視る人間にはどんな変装も無意味だが、そうでないのなら。
(人を鋭く見極めそうなタイプだけど、ちょうど服もスワンの作戦用に借りた町娘仕様であのときとは違うし…しゃべり方さえ気をつければ、きっと大丈夫)
マリーはわざとゆっくり起き上がった。
想像したとおり、金髪碧眼の妖艶美女が、面の皮一枚だけは心配そうな表情でマリーを見ていた。
服や宝石は前回と変わっていたが、豊満な胸を強調した全力で男を惑わすスタイルはまったく変わっていなかった。
「大丈夫です。おかまいなく」
十代女子を意識して上品に言う。
「そういうわけにはいかないわ。私のせいで転ばせてしまったんだから…ちょっと、そこの店に入りましょう。お詫びさせていただくわ」
「いえ、本当に…」
「いいから、いいから」
毒女は強引にマリーを引っ張っていった。
そこは宿の食堂だった。
「はいはい、いらっしゃいませ~」
店入口のドアベルの音を聞いて、奥から赤毛のアンナが出てきた。
小麦農家青年団の窓口係で悪徳粉問屋の事件を取りまとめていたアンナは、宿屋の娘なのだ。
「あら」
アンナはマリーを見るとにっこりした。
「お姉さん、お茶三杯ね」
毒女は勝手に注文を入れると、店の奥を陣取った。ちゃっかりジャックも同席している。
「あたしはサンドラ。どうやら魔法でお困りのようね? 実はあたし、そういうの詳しいのよ。相談に乗れると思うわ」
サンドラは親切顔で言った。
(う…わあ、典型的な詐欺師キター!)
マリーはドン引きした。
魔女マリーの噂のほとんどは根も葉もないデタラメだが、占い師という点は真実だ。かつて所属していた一座で占い師の素養をたたきこまれていて、人を見る目はあった。
(あたしがメイドさんを駆け落ちさせたせいで前の町の仕事をクビになって、新たなカモを探してここに流れてきたってことなんだろうけど…)
「困ってないので結構です」
マリーはそっけなく言った。自分が新たなカモになるなんて冗談ではなかった。
ところが。
「困ってるよ! マリーさんを連れまわしてる兄は本物のお兄さんじゃないんだ! それで魔法がかけられてるって、おかしいだろ?」
ジャックがサンドラに便乗した。
彼なりにマリーに恩義を感じていて、マリーの問題をどうしても見過ごせないらしい。
「あら。それは気になるわね。本当はどういう関係なの?」
サンドラも目を輝かせる。
(え? なにコレ…どうすれば解放してもらえる…?)
何か回答しなければ解放してもらえそうにない雰囲気に、マリーはたじろいだ。
ケントと旅立たなければならない手前、彼を悪者にはできない。かといって恋人のふりも無理がある。
村人たちの二人の印象は、兄妹を装った運び屋と売られていく娘なのだから。
「お待たせしました~」
アンナがお茶を運んできた。
テーブルの上に並んでいくお茶をながめながら、マリーは魔法の引力を探った。
引力は強く、ケントが遠くにいることが分かる。
それに。粉問屋を裁く準備の時間、マリーはケントのことが気になって彼の位置を何度も確認したのだが。
彼はそこからまったく動いていなかった。
今日一日ケントがその場所で何をしていたのか知らないが、マリーのことなど思い出しもしなかったのではないだろうか。
そう思うと、なぜだか無性に腹が立った。
「ねえ、教えてよ。その彼とはどういう関係なの?」
サンドラの声に、マリーはハッとした。
すでにお茶は並べ終わり、アンナは少し離れた場所で、背を向けて立っていた。
けれど店内にほかの客はいないし、きっと彼女も聞き耳を立てている。
「どういう関係って…」
「血縁関係はないんでしょ?」
「それは…」
「駆け落ちってわけでもないのよね」
「………」
「わけあり。だけど、一緒にいたい?」
「そんな…こと……」
サンドラの尋問に、マリーはしどろもどろになった。
蛇に睨まれたカエルのように、サンドラの甘ったるい声が怖かった。
「あら、違った? 好きな男にかまってもらえなくて、すねてる女の匂いがするんだけど」
「ちが…」
「あんた、何言ってんだよ! 宿の親父だって、マリーさんはそいつを嫌ってたって!」
横からジャックが叫んだ。
「ふうん? つまり坊やはこう思ってるわけね? 彼女が魔法絡みで脅されてるって」
うっすらと寒気のする笑みを浮かべ、サンドラが言った。
「それ以外ないだろ! なあ、マリーさん、言ってよ! 助けてほしいって!」
サンドラに挑発されたジャックが、マリーに迫った。
「やめて!」
とうとう、マリーもたまらなくなって叫んだ。けれど。
「やめて。本当に、そんなんじゃないから…」
あとに続いた言葉は消え入るように弱くなった。
それはマリーにとって、直視し、認め、受け入れることすら辛いものだった。
「あたしは…イヤイヤ一緒にいるわけじゃない……」
マリーは喉の奥からしぼりだすように言った。
同時に、ポロリと涙がこぼれる。
(ああ………)
ついに、けして赦されない本音を口にしてしまった。
一年前、マリーは孤独でいることを決めた。
マリーが人と関われば、その人を死なせてしまう。
くりかえした失敗。
開けない道。
失ってきた命の重たさを考えれば、人との触れ合いを諦められた。
そう。前の町でメイドさんを目の前のサンドラから助けるまでは。
あれは本当に何かの気のゆるみ、気の迷いだったとしか言いようがない。
最期にこの人を助けよう…なんて。
それから、ケントと出会い。
今日はまるで我慢の蓋が壊れたみたいに、村人たちと関わることを止められなかった。
青白いオーラを視る人間に会えば魔女マリーとバレてしまうのに。
もうすべてを終わらせようと決めたのに。
それなのに。
魔法を言い訳にして、現状にホッとしている醜い自分。
「なっ…泣いてるじゃないか! 全然大丈夫じゃないじゃないか!」
「ちょっと坊やは黙って」
ヒートアップしそうだったジャックを、サンドラが制した。
「その男に、不満がありそうだね? 言ってごらんよ」
悪魔の甘いささやき。
すでに心がオーバーフローしていたマリーは、心の奥底に隠していた思いのたけを叫んだ。
「い…一緒に行こうって言ったくせに、勝手に出かけてって、一日放置ってなんなの、ケントのバカぁ!」
口にした後で、自分の放った言葉の意味するところを理解し、マリーは真っ赤になった。
マリーの告白にジャックが驚きつつ、つられて赤くなる。
「困ってないみたいだから、あたし、もう失礼するわ」
サンドラは興味をなくしたようで、席を立った。
「あ、そうだ。魔法絡みで監査局を頼りたくないなら、情報をあげるわ。ブリングの町で魔女マリーを見たわよ」
ブリングは、マリーがサンドラを撃退した町の名前だ。
「魔女マリー? 本当に存在するの?」
ジャックが歓声をあげた。
「存在したわねえ。魔女マリーなんて、矛盾だらけの突拍子もない噂を聞く限り実在するとは思えなかったんだけど。本当に青かったわよ」
そこまで話すと、サンドラはさっさと店を出て行った。
「マリーさん聞いた? 魔女マリーって、本当に魔力のオーラが青いんだってさ! …って、サンドラさんも視る人だったんだね。それもオーラの色まで」
ジャックは興奮気味にマリーに話しかけてきた。
しかし、マリーは呆然としてしまい、反応できなかった。
(前の町でサンドラがオーラを視ていた…? あたしの、青い魔力のオーラ…)
のろのろと視線を落とし、自分の手を視る。
そこで。
(うそっ!?)
マリーは、自分の魔力のオーラが視えないことに、初めて気付いた。
瞬間、自分の目を疑ったマリーだったが、ジャックにもサンドラにも魔女だと言われていないことから、そうではないという結論にたどりつく。
サンドラに至っては、魔女マリーに魔女マリーを紹介するとか。
「マリーさん、どうしたの? どこか具合でも悪いの?」
「い、いや、そうじゃなくて……あっ! お金! あの女、お金を払わずに……!」
「あ、本当だ。サンドラさんがお詫びにおごるって話だったのに」
「あら。お代なんていいわよ! マリーさんのおかげで村のみんなが救われたんだもの!」
給仕のアンナがほがらかに言った。
そして。
「マリーさん。お連れの人になにか遠慮してるみたいだけど、好きなら押してったほうがいいわよ?」と、ウィンクした。
ケントと一緒に旅立たねばならない手前、マリーは反論できなかった。




