心を救う医者は免罪符を与える(後編) #マリー
本日2話更新しました。
明日、11/2で完結致します。よろしくお願い致します。
ケントが王家から爵位授与されるが、魔法使いを嫌う人々はそれを快く思わない。
「それ、断れないんですか? あの、だって、ケントには無理ですよ。保身のために無難な立ち回りをするとか」
マリーが言うと、「ぶはっ」とサイラスは吹き出した。
「いいな、あんた。ちゃんとダンナのこと分かってる」
笑いながら言ったあと、サイラスは表情を引き締めた。
「可哀想だとは思うが、王家としちゃ、受けてもらわないわけにはいかないだろうな。反対勢力をねじ伏せてでも、政治的価値があるから」
「政治的…価値!?」
「ああ。魔法使いの暴動抑止だよ。ダグラスについた奴らは、国の魔法使い抑圧政策に不満を抱えた奴らなんだ。そして、一回暴動を起こした人間は、二回目、三回目も起こしやすい。ケント・ブラウンへの褒賞は、ダグラスという御輿を失って王家に戻った連中に対して、真面目に王家のために働けば、これからは報われるってことを示す象徴的人事になるんだ。それに、王太子殿下も、クリスも、鬼じゃない。ダンナの爵位は有名無実なものにして、もう一人、ダンナのフォローができて、貴族社会との橋渡しもできそうな魔法使いにも爵位を与えんだとさ」
サイラスの説明は、貴族と縁のなかったマリーには漠然としか掴めなかったが、なんとなく、大丈夫そう? と思う。
ところが。
「よっぽどヘマしなけりゃ、当面の間は大丈夫だろう」
サイラスは、限定条件を付け加えた。
「当面の間大丈夫なら、適当な時期に爵位返還すればいいんじゃないですか?」
「それはそれで難しいかなぁ。なんたって『魔法使いダグラスを倒したAランク魔法使い』だからな。ダグラスの脅威が去って、平和が一年も続けば、住民の意識は変わる。命を救われた恩を忘れて、救国の英雄が持つ強大な力を恐ろしいと思うようになる。勝手だと腹が立つだろうが、人間なんて、みんな我が身が可愛い生き物なんだよ。脅威を取り除きたいって、保身の欲望で牙を剥くだろうさ。ちゃんとした立場で、王家のために、住民のために、献身的に働いてたって、そこそこの嫌がらせは受けるようになる。それが、問題を起こしたり、ちゃんとした立場を外れようもんなら…うん、もうヒドイことになると思った方がいい」
暗い先行きを告げるサイラスに、マリーは蒼白になった。
こんなにもヒドイ話はないと思った。
けれども、魔女マリーとして人々と関わってきた経験を思えば、否定要素が見つからない。
胸がつかえて、息すら覚束なくなったマリーに、サイラスが慌てて立ち上がった。
「すまん、俺の言い方が悪かった! 俺はただ、あんたならダンナを窮地から救えるって話がしたかったんだよ!」
大柄でライオンみたいな風貌のサイラスが、慌てふためき、拝むように手を合わせ、ペコペコと頭を下げる。
その様子がおかしくて、マリーは小さく笑うみたいに息を吐き出した。
そのあと、何度か深呼吸をすると、気持ちはだいぶ落ち着いた。
「あたしにケントが救えるって、どういうことですか?」
慌てながらサイラスが言った言葉の真意を、マリーはたずねた。
「うん。人間って我が身第一で残酷だけどさ、共感を覚えた相手には寛大になりやすいんだよ。裏返すと、未知なるもの、理解できないものに対して過度に攻撃的になる傾向がある」
「共感…ですか」
「そう。たとえば美人の嫁に頭が上がらなくて稼いだ金を自由に使えないとか、子育てで同じ苦労してるとか…ああ、こいつも自分と同じ、血の通った人間なんだと思えるようなことだよ。つまりあんたが嫁として、上手に、ダンナの普通さを世間にさらして、イメージコントロールするんだ」
「嫁………子………っ」
サイラスの言葉の後半は、なかなかの無茶振りだったが、前半の単語に頭を射抜かれたマリーは、羞恥で真っ赤になってしまった。
「いや、そこで思考停止されると話が進まないんだが…」
ダンナ呼びで耐性をつけてたつもりだったのにな、とサイラスが小さくつぶやく。
「すっ、すみません…っ」
マリーは火照る頬を両手で抑えながら、謝った。
「こういうの慣れてなくて…」
そこまで言ってから、今夜のうちに姿を消すつもりだったことを思い出し、一気に心が冷えた。
(バカだ、あたし。ケントの一大事に頭がいっぱいになっちゃったけど………あたしではケントの嫁になれない)
「ウェリントン先生。お気遣いありがとうございました。ちょっと落ち着いてから、考えてみますね」
今は恥ずかしい──そんな雰囲気を出して、マリーは言った。
「マリー。最後にひとつだけ、質問だ」
椅子から腰を上げかけたマリーに、サイラスが言った。
「はい、なんでしょう」
「ケント・ブラウンの人生の中で、彼が救った人間の一番目には誰が来ると思う?」
「え…」
マリーは瞠目した。
ケントに一番救われた人間。
それは、父と自分だと断言できた。
王家への反乱になったほどの悲劇を、ケントが救ってくれたのだから。
その問いにマリーは答えなかったが、マリーの表情を見て、サイラスは満足気に唇の両端を上げた。
「俺は、あんたがいいと思う。さっきも言ったけど、人間は、窮地を救われても忘れやすい。だけど、救われた記憶が桁違いに強かったら、きっと生涯、感謝の気持ちを持ち続けられる。彼の幸せを一番に願うなら、一番そばにいて支えてやれよ。生涯かけて恩返しすると考えりゃいいんだ」
サイラスの声は真摯で、強かった。
それまでの話もあって、土に水が染み入るように、すっとマリーの中に入ってきた。
そして、気付いた。
彼はマリーの逃亡を見通していたのだと。
「どうして…」
どうして分かったのか。思わずマリーはこぼした。
彼が鋭いことは分かっていたから、気付かれないよう、細心の注意を払っていたはずだった。
そこでサイラスは、気まずそうに頭をぽりぽりとかいた。
「実はクリスに呼び出されてここに来たすぐのとき、あんたがダンナやクリスと話してるとこ、チラッと見たんだよ。いや、ほんのちょっとだけな! で、あんたのダンナを見る目がさ、届かないものを見る目だったから、たぶんそうなんだろうなーって前提であんたを観察してたら、気付いちまったんだよ。すまん、悪かった。勝手に詮索するようなマネして」
謝るサイラスに、マリーはふるふると首を振った。
ここまでに至るすべてが、彼の大きな優しさだと分かるから。
そして。
ケントの隣にいていい──彼にそう言ってもらえて喜んでいる自分に気付いたから。
サイラスは、大きな手でぽんぽんと優しくマリーの頭を撫でて言った。
「もし…さ、ダンナと都まで行って、やっぱ無理だーってなったら、ここに帰って来いよ。こう見えても俺さ、クリスの弱味握ってっから、あんたが会いたくないと言うなら、しっかりシャットアウトしてやれるから」
「先生…」
駄目だった場合のフォローまで言及してくれたサイラスに、マリーは暖かい気持ちになるのと同時に、心強く思った。
「ありがとうございます」
マリーは、サイラスに深く頭を下げた。
サイラスはマリーの事情を知らないながらも、マリーが深く傷付いてボロボロだと察して、助手として側に置き、マリーの精神状態を見ながら仕事を振ったり、休憩を入れたり、仕事ぶりに感謝の言葉をかけ、頭をなでたり、肩や背中をポンとしたりして、心の傷をやわらげる行動を取っていました。
サイラスは、スイッチを切って楽に接していても、息を吸うように、人の心のフォローをしてしまう人。
また、助手として自分の望む動きをしてくれるマリーの仕事ぶりに惚れこんでもいて、「帰って来い」はむしろ彼の本音です。
最終的に、都でマリーはサイラスの助手になります。




