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心を救う医者は免罪符を与える(前編) #マリー

「おやすみ、ニール」


 マリーは、穏やかな表情で眠りについた少年に、そっと声をかけると、立ち上がり、天幕の外に出た。

 夜の空気はひんやりと冷たく、太り始めた上弦の月が明るく輝いていた。


(月の明るい夜でよかった)


 マリーは、胸の痛みからあえて目をそらし、心の中でつぶやいた。

 今夜、ビジル市を去るつもりだった。

 最後の思い出にしたいと思って臨んだキスを失敗するなど、ケントが色々と抜けてるものだから、ついその場の雰囲気で『次は』と言ってしまったけれど、後になって反省した。


『国を滅ぼそうとした大罪人ダグラスの娘』


 父をそこまで追い詰めた、元凶の娘。

 ニール少年を筆頭に、マリーとダグラスが人生を狂わせた人がたくさんいる。

 こんな自分が、国を救った英雄ケントの隣に立ってよいとは思えなかった。


 月の光は静かに、優しくマリーに降り注ぐ。

 このまま月の光に溶けてしまえたらいいのに、とマリーは瞑目した。


 それから、目を開け、歩き出したマリーに、

「よぉ、お疲れさん」

 と、声がかかった。


「ウェリントン先生」


 声の主の名前を、マリーは呼んだ。


 サイラス・ウェリントン医師。眠らされた人々の治療団の総責任者。

 年は二十代後半から三十歳前後。黒い髪と黒い目。大柄で、明らかに手入れをサボったボサボサの髪が肩口につき、体の輪郭だけを見るならライオンを思わせる人なのだが、軽い表情や仕草、口調が、気安く話せる雰囲気を作っていた。


「朝から働き詰めのとこ悪いんだけどさ、ちょっと来てもらえる? ダンナの今後に関わる話があるんだ」

「ダ……って、あの、ケントは……っ」


 サイラスの言い方に、マリーは真っ赤になって、わたわたしてしまった。

 ここでのマリーの立場は、ケントに拾われたはぐれ流民で、イライザとは旧知の知り合い。イライザと共に、ケントと魔法医アーサーを結びつけたことになっている。


 治療団で働くのは今日までで、明日迎えに来るケントと都に行く。迎えの連絡が来たときに、周囲から『二人は結婚予定』と祝福されたわけだが、ダンナ呼びは初めてだった。


「はいはい、わりとマジな話だから。さくさく付いてきてね」


 恥ずかしくて立ち直れないでいたマリーに容赦のない言葉を浴びせ、サイラスはさっさと歩き出した。

 マリーは、熱を持った頬を手で押さえながら、サイラスの後をついていった。


 夜中に男性についていくなど本来忌避すべきことなのだが、マリーはサイラスに関しては危機感を持っていなかった。

 ここ数日、サイラス付きの雑用係をして、彼本来の性質が分かっていたから。


 明るく気さくで、たまに悪ノリもする。彼のまわりは笑いや笑顔が耐えなかった。

 おそらく治療団で働く人全員が、彼を明るい人、もしくは明るく振る舞う術を身につけた人だと言うだろう。

 けれども、占い師の訓練を受け、『魔女マリー』として市井のディープな人間関係を垣間見たマリーは、彼の言動が、緻密な計算に基づいた演技だと気付いてしまった。それも、相手がホッとしたり前向きになったりすることを狙って行われていることも。

 また、サイラスも、マリーが彼の本質を見抜いたことに、すぐに気付いた。


『さすがに、大量の初見の人間相手にスイッチ入れ続けるのは堪えてたんだ。あんたにだけはスイッチ切ってもいい?』


 そう打診され、マリーは一も二もなくうなずいた。

 責任者という立場なのに彼専用の天幕は荷物置き状態、みずから患者を治療して回りながら全体を見据えた指示も出す。サイラスは、患者(眠らされた人々)に負い目を持つマリーにとって、救世主のような存在だった。


 また、スイッチを切ると宣言したサイラスだったが、不快な言動はなかった。他人を気遣い、思いやる言動が彼の素で、スイッチの入った彼はむしろ、若干悪ぶっているのだ。

 さっきの他意のない『ダンナ』発言が初めてのマリー的NGワードだったが、瞬時に反省したらしいサイラスは、スイッチを入れてマリーが一番助かる反応をしてくれた。

 そんなわけで、マリーはサイラスに危機感を持っていなかった。




 サイラスは、彼が拠点としている小天幕にマリーを招き入れた。

 天幕の中には椅子があった。床座りが基本の流民目線では違和感しかない光景だったが、ここは彼の流儀に合わせるしかない。勧められるままマリーは椅子に座った。

 自身も椅子に座り、サイラスが口を開いた。


「ダンナが爵位授与されるって話は聞いてる?」


 一体どんな話をふられるのかとドキドキしていたマリーは、告げられた内容に、ただただ驚いた。

 ダンナ呼びが改善されなかったのは、ふいうちでなければ大丈夫という判断なのだろうか。


「そ、そうなんですか?」

「うん。間違いなく、ダグラス討伐の英雄だから」

「それは…そうですよね」


 爵位授与に対して、『王家が与える、なんだか凄いもの』という、ぼんやりした認識しか持たないマリーは、なぜこの話が始まったのか分からず、曖昧にうなずいた。


「…分かった。ここに含まれる状況を説明するな? まず、爵位をもらえるのが凄いことだって点はオーケー?」

「はい」

「よし。で、だな。パパラチア王国始まって以来、魔法使いで爵位をもらった奴はいない。だから、今回の功績を持ってしても、魔法使いに力を与えることへの懸念というか…まあ、ぶっちゃけ、魔法使いを取り立てるなんて、けしからんと、頭から思ってる連中が相当数いる。特に国のおエライさん方。つまりな、あんたのダンナは褒美に爵位をもらって、それが元で苦境に立たされる」


 サイラスの説明は、身もふたもない代わりに、分かりやすかった。

 マリーは、一気に頭が冷えた思いだった。


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