7 メープル公国の正義 #ギルバート
「まず、王家の隠し資料について、さわりの部分を説明させてもらう」
こほん、と咳ばらいしたあと、ギルバートは口を開いた。
時間を気にしながら慌てて読み込んで来た資料だったが、世界の裏歴史についてはざっくり理解出来ていた。
「メープル公国は、数千年前から、地下に魔法使いだけの国を作り、魔法学を高め、そして、定期的に文明社会を破壊してきたんだ」
「文明社会を…破壊?」
物騒な単語に、ケントが口を挟んだ。なぜそんなことをしなければならないのか理解し難いと。
文明社会の破壊とは文明産物の破壊と、文明を維持できなくなるまでの人口削減。すなわち、大量殺戮だ。
人と争うくらいなら引きこもる道を選ぶケントらしい反応だと、ギルバートは思った。
「実際に、パパラチア王国建国前は公国が引き起こした混迷の時代で、それ以前に発展しつつあった文明がリセットされ、失われのだと、裏歴史資料にあった」
「公国はなぜそんなことを?」
今度はクリスが疑問を呈した。
「公国のあるサヴァランス山脈が、大量の魔素が空から降ってくる場所なんだそうだ。地下公国で行われているのも、集まってきた魔素の拡散活動。そして、魔法学が進んで魔法の使用量が増えると、公国に集まる魔素も増えて、大陸を壊滅させるほどの天変地異を引き起こすということらしい」
「なるほど。魔法学校の教育が基礎や実用魔法の丸暗記に限定され、我が国の魔法使いのレベルが低く押さえられてきたのは、そういう事情ですか」
そう言ったのは、ダグラスだった。
魔法使いたちに教育を与え、レベルを底上げしてきたダグラスにとって、国の教育方針こそが大きな敵だっただろう。
「しかし、私に言わせれば、魔法学の進歩が大陸を滅亡させるなど、ありえない話ですな」
ダグラスが続けた言葉に、ギルバートはギョッとした。
「いやでも、王家の記録には」
「では、ひとつ確認させていただきたい。王家の記録に荒れ海はございますか?」
「荒れ海? いや、サラッと見た範囲ではなかったが」
荒れ海というのは、メープル公国の真南の位置にある海で、常に強風と高波が吹き荒れる海であるところから、その名がついた。
「実際に見ていただいた方が早いでしょうな」
ダグラスの目配せで、アーサーが動いた。
一枚の紙がテーブルに乗った。
暗い海の魔法写真だった。
アーサーが用紙の端を軽くたたくと、魔法写真が動き始めた。
波がうねり、荒れ狂う海の様子を再現する。
そして。
風に、海に、異常に強い魔力のオーラのようなもののうねりも見えた。
「魔力のオーラに近いものが見えるでしょう。荒れ海は、目に視えるほど空気中の魔素の濃い場所なのです。普通の映像だと魔素は写りませんが、ここでは見えるように細工しております。私が実際に視た景色と同じになるように」
「すみません。私はちょっと」
クリスが席を立った。視えすぎる彼には刺激が強すぎたらしい。
映像は、荒れ狂う海の上を進んでいくもので、魔力のうねりは次第に強くなり、最後は海の中に潜った。
海の中は、魔力のかたまりが海底からふきだし、魔力を帯びた巨大で奇怪な魚たちが互いを攻撃しあう世界だった。
「ええと…実際に見たと言ったが、ダグラス殿は本当に、この世界に行ったのか」
映像を見終わったあと、ギルバートは頭を押さえながら言った。
空気中に含まれる魔素は紫害気とも呼ばれ、魔法石採掘場など紫害気が濃い場所では、頭痛や吐き気や呼吸困難を引き起こす。
魔法使いであっても、だ。魔力(魔素)のオーラを身にまとうことと、魔素を多く含んだ空気の肺摂取に耐えられるかは別問題なのだ。
そして、魔法石採掘場ですら、魔素は目に視えない。
魔素が視えるほど濃い世界など──人の身で、生きたまま行って帰ってこられるとは思えなかった。
「二十三年前、処刑から逃げて都を落ちたあと、真っ先に行ったミルキー山脈で、私と同じ境遇だったらしい先人の住処と国宝級を含む十数個の魔法石を見つけましてな。先人は随分昔の方のようでした。そのとき、どうせなら世界の果てでも見てやろうと思いたち、そこにあった魔法石を頂戴して、荒れ海に行ったわけです。そこで、いかに人間が無力でちっぽけな存在かを思い知り、また、ひときわ大きな魚に大口を開けて威嚇され──あの世界に相応しくない弱き者は帰れと言われた気がしまして──戻ってきました。そのままでは息すらできぬ魔素の濃い世界でしたから、陸に戻ったときには持っていった魔法石はすべて消費し、残ったのはこの記録映像だけでした」
陸におりたあと、自分が生きていることが無性に可笑しくなって、しばらく笑いが止まらなかったと、ダグラスは言い添えた。
「さて。公国ですが。表の人口五千人弱から魔法使い人口を推定して五百人。いえ、例え一万人の魔法使いが地下公国で魔素の拡散活動をしたとしても、あの海底からふきだしていた魔素の量を考えたら、蟻が象の足跡を消すために砂粒をせっせと運んでいるという程度の行為になりましょう」
「つまり、魔法学の進歩も、魔素の拡散も、大陸の存続とは関係しない、と」
「そうです、我が君」
ギルバートの確認に、ダグラスが是と答える。
「クリス」
ギルバートはクリスを呼び戻した。
「おまえはどう思う」
「今ある情報だけを材料に結論を出すならば、公国自身も荒れ海を知らないのかもしれません」
「知らない?」
「先ほど殿下は、公国が大陸存続のために魔素の拡散が必要だと判断したのは、数千年前とおっしゃいましたよね? 今は高度な魔法技術を持っているとはいえ、当時の技術がそれほど高かったとは思えません。そんな未発達の時代の誤った判断を、いまだに盲信している場合もあるかと」
平然と恐ろしい予想を口にするクリスに、ギルバートは顔を引きつらせた。
「そうなると…僕が王家の歴史を引き継いだと言ったところで、話し合う流れには持っていけないか。けど、数千年の技術をもった魔法使い集団と正面切って戦うなんて……絶対ナシだろ」
*捕捉 空気中の魔素濃度の比較
大陸西側 1
大陸東側(パパラチア王国) 10
メープル公国 90
魔法石採掘場 500以上
荒れ海(魔素が目に視える) 万~億




