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嘘でつないだこの手を、もう少しだけ  作者: 野々花
第十章 ムーンストーンの娘
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6 母の最期の願い #マリー

 バチバチバチバチバチ──。


 重い水の雫が打ち当たる音が絶え間なく響いていた。


 身体中、あちこちが痛み、きしんで悲鳴をあげている。

 極度の疲労で身体が鉛のように重くて、思うように動かせない。

 全身ずぶ濡れで、肌にまとわりつく衣服も、身動きを制限した。

 地面に当たる強い雨の雫の跳ね返りで、口の中に泥がはいった。


 荒い、自分の呼吸音ばかりが耳にさわる。

 這っても、這っても。

 慣れた道行きが、果てしなく遠い。

 前に進めているのかも分からなくなる。


──誰か助けて。


 そう叫びたくても、声はすでに枯れ果てていた。

 それに。

 大きな雨の音と、閉ざされた扉は、叫んでも無駄と、あざわらっているかのよう。


──ダメなあたし。


 扉が閉ざされているのは、当然じゃない。

 嵐の夜なんだもの。

 こんなときに道端に倒れている者がいるなんて、誰が思うというの。

 戸の隙間からもれる明かりで道が分かるだけ、助かっているじゃないの。

 この明かりを頼りに、帰るのよ。


 あたたかな、あたしの家に。

 あの人とあの子の待つ家に。


 そうよ。

 こんな身体の痛み、大したことないわ。

 暴力には慣れているもの。

 十三歳で男に乱暴され、子どもが産めなくなったときから。

 子を産めぬ流民の女なんて、男性の欲望の恰好の餌食で。

 誰も彼もあたしを『下』に見た。

『対等』を願えば、痛めつけられた。


 それでも、『いつかは』と夢を見続けて──あなたに出会ったの。


 魔法使いダグラス。

 あたしの、最愛のヒーロー。


 あなたは、あたしを『同じ人間』にしてくれた。

 あたしにたくさんの幸せをくれた。

 そして、信じられない、素敵な魔法で、母親になりたいというあたしの夢を叶えてくれた。


──さあ、マリア。立つのよ。


 アーサーの病院はもうすぐ、そこ。

 そこまで行けば。

 アーサーの病院の戸をたたけば。

 そうすれば、帰れるわ。

 アーサーに怪我を綺麗にしてもらって、帰るの。


 だから、お願い。

 もう少し待っていて。

 あたしが望んだのよ。

 町での人並な暮らしを。


 だから、ダグ。

 怒らないで。

 悲しまないで。

 あなたを絶望させたりなんかしない。

 あたしは今から帰るわ。


 ただいま って


 帰って、笑うから


 だから……


 ああ……


 雨しか見えないわ……











「マリー!」


 ダグラスの腕の中で、マリーは目を開いた。

 マリーを心配して顔をのぞきこみ、見るからに焦っていた。


「一体、どうしてこんなことに……いや、裏切り者はアーサーだ。ここを知るのはあいつしかいない。奴に何をされた!?」

「ちがう…あたしはコールライトの邪気にあてられただけ…」


 マリーはか細い声ながら、気持ちだけは強くダグラスに訴えた。


「コールライトの…邪気だと……?」


 ダグラスが、大きく動揺した。

 コールライトの持つ波長がマリーには毒なのだと説明した方が良かったのかもしれないが、さっきまで同調していた思いが強すぎて、まだ半分夢うつつのまま、マリーは言葉を続けた。


「ねえ、パパ。あの石、ママの形見の指輪についてた石を使った?」

「な…」

「『ダグ。怒らないで。悲しまないで。あたしは今から帰って、笑うから』──ママの、最期の気持ち。最期の…願い」


 マリーはダグラスの発言を待たず、そこまで一気に話した。

 話し切ったところで、ようやく意識が完全に浮上した。

 まだ痛む頭を押さえながら、マリーは体を起こした。


「パパ。覇権なんて獲ったら、ママが悲しむよ」


 しっかりとダグラスを見据え、マリーは言った。


 ダグラスの異様にギラギラと尖った目が、急速に力を失っていった。

 彼のまわりに張り付いていた黒いオーラも霧散していく。

 不自然にピンと張っていた肌がハリをなくし、みるみる老けこむ。

 そう、ちょうど、年相応なくらいに。


「マリア…」


 かすれた声で妻の名をつぶやいたダグラスは、茫然自失の程だったが、そこに狂気はもうなかった。


「パパ」


 マリーは、愛しさを込めてそう呼んだ。

 そのとき。


──ズシンッ!


 大きな音と揺れが襲ってきた。


「な、なにっ?」


 マリーは戸惑い、キョロキョロとした。


「火山噴火が始まるのだ。あの石は、たしかにこの城の制御もしていたが、もともとは火山噴火を抑えるための石だった。今は、万一のときの備えに設けておいた予備のコールライトが噴火を抑えておる状態だが、それも持って三十分」


 ダグラスが硬い声で言った。


「えええっ!? 早く城にいる人たちを避難させないと! 王家と全面戦争するために集めた、パパの配下の魔法使いさんたち、たくさんいるんでしょ?」


 マリーは慌てて立ち上がったが、ダグラスは静かに首を振った。


「無駄だよ。この国が滅ぶ規模の噴火なんだ」


『終わり』を受け入れた目だった。


 いや、違う。

 最初から。自分が覇権を獲るか、この国の滅びを受け入れるか。その二択だったのだ。


「まさか、八年前にパパの言った『やらなければならない仕事が出来た』って…」

「ああ、そうだ。ミルキー山脈の噴火の予兆に気付いたのだ。それで、マリアの形見の石を元に、巨大なコールライトを作って抑えた。マリアなら止めることを願うと思ったから。だが、国を守るからには…」

「言わないで、パパ。ねえ、もう一度止めることはできる? あるいは被害を少なく…」


 マリーが、とにかく今は防災をとダグラスに訴え、ダグラスが目の色を(くら)(かげ)らせたとき。


「マリー! ダグラス!」


 ケントが走ってきた。


「地面に大穴を開けて、誘導してみようと思うんだ!」


 いきなり、主語も何もなくケントが言った。


「ケント?」

「ふん、バカなヒヨッコめが。二手に分かれよう。おまえは穴を開けろ。誘導は、わしがやる」


 頭の中がハテナマークのマリーとは対照的に、ダグラスはケントの提案を受け、役割分担をして返した。


「マリーも、責任取って、おまえが守れよ。ではな」


 ダグラスは、そう言うと、すぐに瞬間移動で姿を消した。


「俺たちも行こう」


 ケントにうながされ、マリーはうなずいた。

 ふわりと、ケントの腕の中に収められる。

 一瞬の浮遊感のあと、二人は真っ暗な夜の上空にいた。


「寒いっ」


 思わずマリーが言うと、ああ、とケントは魔法で茶色い外套を出した。

 ケントがそれを着て、マリーをその中に入れてくれる。


「わ、あったかい…魔法使いが外套を着るのって、防寒だったんだね」

「うん、主にはそう」


 ケントの腕の中から眼下を見下ろすと、大地から隆起した山脈が黒々と横たわり、低く重いうなり声をあげていた。


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