4 休息と共有(1/2) #クリス
「伯爵令嬢ヘンリエッタと三番目の求婚者」から二年後の二人です。
場面を区切る「*」の間はお察し下さい。
ヘレン=ヘンリエッタです。よろしくお願い致します。
クリスが監査局の事務局長室に戻り、明かりをつけると、意思の強い瞳が彼を捉えた。
亜麻色の長い髪を腰までたらした少女が、執務机の上に足を組んで腰かけていた。
「遅いわよ。夕方に戻ったって聞いたから、そこから仕事を早退して待ってたのに」
ぷくっと頬をふくらませ、少女、ヘンリエッタは文句を言った。
時計は夜の八時を少し回ったところ。
クリスは、後ろ手にたった今入ってきた扉の鍵を施錠すると、表情筋の緩むままに笑った。
「おまたせして申し訳ありません。ただ今戻りました」
そう言うと、ヘンリエッタもふわりと花のような笑顔を浮かべた。
「お帰りなさい、クリス」
彼女とは、国南部にある大都市シェイド市への遠征で離れ、十日ぶりの再会だった。
両手を広げ、自分を温かく迎え入れてくれる恋人を抱きしめる。
やわらかな身体、その熱、ほのかに甘い匂いを吸い込んだら、緊張していた心が一気にほどけていって、帰ってきたという実感が一層募った。
抱擁を少し緩めると、腕の中、上目遣いに見上げてくる彼女と目が合った。
そのまま、互いに引き寄せられるように唇を重ねた。
*
他愛ない会話をかわしながらお茶をいれ、二人掛けソファに並んで座ったところで。
「ねえ、ブラウン・イーグルがサミー・マクドナルドと相討ちになって重体って、嘘よね」
早速ヘンリエッタから投げられた問いに、クリスは気を引き締めた。
ケントのことをブラウン・イーグルと、通り名で彼女は呼ぶ。ケントに対して良い感情は持っておらず、心の距離が呼び方に反映しているらしい。
それはそれとして。
ヘンリエッタは、クリスの人生の共犯者だった。
ほとんどの情報は共有していたし、彼女の実家である伯爵家には、表だって動けない類の面倒事にも協力してもらっている。
何より。
「最初は怒ってたマリーさんの拘束、遠征前には何か思うところがあったみたいだし。彼が本当に大怪我したなら、あなたがシェイド市に置いてくるわけないし」
ヘンリエッタは賢く、クリスの顔色を良く読む。
どこまで話すべきか──クリスは逡巡した。
彼女や彼女の実家の支援を望むならある程度話さざるを得ないし、かといって、内容はあまりにも重い。それに、最愛の女性に対して、ケントが敵方に寝返った時をシミュレーションしている自分の冷酷さを晒すのは……怖かった。
クリスは最初の言葉を迷い、沈黙した。
「今、わたしが一番気になってるのはマリーさんのことかな。結局、どうなったの?」
ヘンリエッタの方がしびれを切らしたらしく、話題を絞った。
しかし、一問一答形式にされても、何をどこまで話すか線引きしないことには、結局は話せない。
「…、…、…」
口を開こうとしては閉じるを繰り返し、クリスはいたたまれなくなって、目を伏せた。
ヘンリエッタはため息をつくと、黙考した。
じーっと、自分に向く視線を、ひしひしと感じる。
そのまま、しばらく静寂が続いた後。
「ぜ・ん・ぶ! 全部、包み隠さず聞かせて」
芯の通った声で、ヘンリエッタが言った。
「あなたの荷物を一緒に持ちたくて、わたしはここにいるの」
続いた声は、暖かくクリスを包み込んだ。
胸の奥が熱くなる。
クリスは一度目を閉じてから、ヘンリエッタを見た。
「……ありがとう。自分の中でもだいぶ整理はしたのですが、聞いてもらえると助かります」
彼女には敵わない。
クリスはここまで一人で抱え込んでいたものを、話し始めた。
マリーが魔女マリーだったこと。
ケントが拘束の魔法と一緒に彼女のオーラを消したこと。
青白いオーラが表していたのは魔法石の能力だったこと。
マリーは魔法使いダグラスの娘で、魔法石の能力は彼の研究被害。
一時期、母親の出身であるイリス一座にいたこと。
三年前、ダグラスが彼女を守るための覇権を志したときに、イリス一座が反対し、滅ぼされたと推測されること。
ダグラスはケントを後継者に望んでいること。
具体的には、イリス一座の生き残りでダグラスの協力者、イライザの示したカジノの街ビジル市に、ケント引き抜きの罠を仕掛ける可能性が高いこと。
長く重い話だったが、ヘンリエッタは根気よく聞いてくれた。
「ダグラスと王家の全面戦争も、ケントとマリーさんがビジル市に着く頃にかぶせて来ると思います。だいたい二週間後ですね」
「二週間でできるだけの対策をしないといけないってことね」
「はい。それで………私としては、ケントにあちら側に行ってもらおうかと」
平坦な調子で、クリスは言った。
冷酷に聞こえただろう。味方の寝返りを推奨したのだから。
でもそれでいいと思っていた。自分でも、酷い策だと自覚しているのだから。
見損なったと言われることを覚悟し、ヘンリエッタを見たクリスは、目に映ったものが信じられず、思わず瞬きした。
ヘンリエッタは優しく微笑んでいた。
「ふふ。本当は彼を手放したくないって顔に書いてあるわ」
「…あなたには本当に敵いません」
クリスは白旗を上げた。
本心を隠すことは得意なはずなのに、ヘンリエッタの前ではいつも失敗する。
「でも、そうね。それが妙手よね。現状、王家側はダグラス陣営に勝てる見込みがない。でも、ブラウン・イーグルがダグラス陣営に行けば、少なくとも王太子暗殺阻止に動いてくれる。王太子殿下の亡命成功率が上がるわ」
「はい」
自分の思いを代弁してくれたヘンリエッタに、クリスはうなずいた。
もともと王太子の亡命計画を考えたのはヘンリエッタだ。
今、勝てないのなら、一度政権をダグラスに譲れ。
新しい風には批判がつきものだ。ダグラスは政権運営に失敗して、必ず自壊する。そこに返り咲けばいいのだと。




