18 マリーと医学的境界線 #ケント
ケントは、夕暮れ時のサジッタ一座に、瞬間移動した。
「イライザ!」
天幕の前で呼ぶと、イライザはすぐに出てきてくれた。
「何の用?」
イライザは、友好さのかけらもない、絶対零度の冷たい態度で、短く用件を問う。
酷く罵倒されたときを思い出し、反射的に一歩後ずさってしまったケントだったが、そこで足にぐっと力を込め、踏みとどまった。
「マリーに逃げられたんだ」
ケントは言った。
「は? あんた、どんだけトンマなの? 言っておくけど、ここには来てないよ」
ストレートな罵倒が返ってきた。
くじけそうな自分を叱咤して、ケントは言葉をつないだ。ここで引き下がるわけにはいかない。
「知ってる。マリーの居場所は分かるようにしてあるから」
「あ…そう。なら、捕まえにいけばいいじゃない」
「それじゃダメなんだ。ダグラスを止めないと、マリーの心は救われない。俺に協力して欲しい」
ケントは、強い気持ちでイライザに言った。
ダグラスを止めるには、内通者の協力が絶対に必要だと思ったから。
「………」
イライザは、忌々しそうに唇をかんだ。
苦々しい表情の奥に、それまでにはなかった温度を感じて、
「お願いだ、イライザ…」
ケントはイライザに一歩あゆみ寄り、彼女の手を取ろうとした。
しかし。
ビリっと指先に痺れが走り、ケントは自分の手を引いた。
「ケント君、帰りたまえ」
イライザの天幕から魔法医アーサーが出て来て、言った。
指先の痺れをもたらしたのは、アーサーの魔法だった。
初対面で穏やかな人だと思ったことが嘘のように、厳しく、取りつく島のない態度だった。
「先に言っておく。私の望みは、魔法使いダグラスがこの国の王になることだ」
アーサーが言った。
「え…?」
「考えてもみたまえ。現国王陣営の中核にいるきみを後継者にすると言って、誰が納得する? 最初から不満の火種をまくだけだ」
「後継者って…確かに誘われたけど、無視してきたから罠を仕掛けて、俺をつぶそうとしたんじゃ…」
突然ぶつけられた『後継者』非難に、ケントは戸惑った。
「察しの悪い奴だな。何のために雪の世界だったと思っている」
「何のためって」
「きみなら、雪の中に放置したって魔法で体温を保ち、雪を水に変えて生きていける。ダグはきみを閉じこめ、王家を倒し、自分に従うなら出してやると、そう言うつもりだったんだ」
アーサーは言った。ダグラスはケントを後継者と思い定め、譲る気はなかった、と。
「もうすぐ夜だ。そして、夜が明けたら、開戦日。ダグがどれほど決意を固めているかも知らず、ほんの数時間で説得できると思うなんて、バカにもほどがある。分かったら、帰ってくれ」
一方的に言いたいことを言うと、アーサーはケントに背を向けた。
イライザも、ちらりとケントを見たあと、アーサーの後に従う。
そのイライザの表情に、ケントはハッとした。
アーサーは、開戦と、ダグラスの王位を望むと言った。
けれど、イライザの願いは。
「待ってくれよ!」
ケントは叫んだ。
アーサーが足を止め、ふりかえる。
彼は、侮蔑を込めた視線をケントに向け、これが最後だ、これで理解しろと言わんばかりに口を開いた。
「ダグを止めたいなら、戦場に立って、正々堂々と戦いたまえ。ダグは国王軍を下しても、きみの命を取るつもりはないから。…ああ、でも勝てないと思って、きみがマリーの力を使ったらどうだろうな」
「!?」
その瞬間、頭が真っ白になった。
激しい怒りで。
気がついたら、アーサーにつかみかかっていた。
アーサーを地面に押し倒し、馬乗りになる。
「今、なんつった!? 俺が、マリーの力を使う!?」
「ああ、そうだよ。あんなに魅力的な魔法石はないだろう?」
地面に倒されながら、アーサーは態度を変えなかった。
真正面から静かにケントを見据える瞳は、昏く、底なし沼に引きずり込むような闇を湛えていた。
「マリーは人だ! あんた、ずっとマリーを育ててきたんだろう? ……訂正しろよ。今すぐ訂正しろ!!」
ケントは恐怖を振り払うように叫んだ。
けれども。
昏い、底なし沼の水面は、さざ波ひとつ立たなかった。
「ケント君。私は医者だよ。それがどういうことか、分かるかい?」
「どういうって………」
「私とマリーの出会いは、彼女の両親が、胎児の生育具合を診て欲しいとやってきたときだ。最初は普通の夫婦を装っていたが、母体を診た私には、妊娠可能じゃない子宮に不自然な胎児がいるとすぐに分かった。正直、この不気味な物体はなんだ、と思ったよ」
父親を問いただすと、子どもが欲しいという妻の願いを叶えるために、禁を犯して魔法石の能力を持つ子どもをつくり──その後、行き詰まってアーサーのところに来たのだという。
「そのときの彼があまりに必死で──私に通報されるリスクをおかしても、あの子を誕生させてやれるならと、藁にでもすがるような気持ちでやってきたのだと思ったら、私も協力したくなってね」
それから。
「私が治療と称して魔力の波動をぶつけたら、あの子は育った。普通の子はそんなことをしたら死んでしまうというのに。産まれたあとも、マリーは成長過程で、突然、意識を失って倒れた。さんざん悩んで、試行錯誤して、理解した。魔法石の成分が一定割合ないと、マリーは生きていけないんだと」
意識を失ったマリーを治すには、魔法石の成分を補ってやるしかない。
けれど、魔法石の結晶をどんな状態にしてやれば効くのか。
それを与えた結果、死に至ることはないだろうか。
すべてが未知の領域。
しかも、アーサーがマリーに試したのは、他の人間に施したら確実に殺害行為にあたること。
「ダグがマクネリーに狙われるきみを見つけたのも、マリーと相性のよい石を探すために、多種類の石を集めてあちこち飛び回っていた時期だ。最終的に、ムーンストーンに勝る石はなかったが」
「ムーンストーン! 俺も、マリーに合うと思ったんだ。マリーが腕につけてた石も、ムーンストーンだったよな」
「ふん、その辺りのカンはあるのか。だが、それなら、分かるだろう。ムーンストーンと同列に感じるなんて、人間とは言えない」
「に──人間だ!」
一瞬、アーサーに共感しそうになって、慌ててケントは言った。
「だって、石は笑わないし、しゃべらないし、泣かないし……」
「どうかな。石を人型に変えて、人と同じふるまいをさせることは可能だと思うが」
「たしかに…」
やりようはある。
そのための術式を考えかけて、ケントは『駄目だ!』と自分を制した。
「いっ…石は、好きだといいながら、瞬間移動の呪文を唱えて逃げるような、意味不明な行動はしない!」
無駄に大声で言うと、アーサーは目を丸くした。
そして。
一瞬の間を置いて、彼は「プッ」とふきだした。
「ははは! そうか、石は自分の意思で逃げたりしないか!」
そう言って、しばらく笑い続けた。
ケントはどうしたらよいか分からなくなって、とりあえず彼の上からのいた。
笑いがおさまったあと、立ち上がったアーサーは、どこか晴れ晴れとした顔でケントを見た。
「きみは色々とバカだが、真価を認めないわけにはいかないようだ。この残り時間では、劇薬を処方するしかないが──協力しよう」
「ほ…本当か!?」
「ああ。イライザ、きみは…異論はないよな」
「うん。ありがとう、アーサー!」
イライザがアーサーに抱きついた。
「ケント君。さっきまでの暴言を訂正する。それと、今更信じてもらえないだろうが、私もマリーを愛しているんだよ。母親の胎内にいるときに私の魔力を吸収して産まれてきた、私にとっても娘のような存在なんだ」
「分かってる。あんたは、医者としてマリーを見過ぎだだけだと思う」
ケントは言った。
そう。
アーサーのマリーを見る目は、愛する娘を見る目だった。
彼の愛情と、医者の才覚が、マリーの命をつないできたのだと思うから。




