14 懺悔 #ケント
どこにもひずみのない、丸く閉じられた異空間。
ダグラスが創り上げた『宇宙』は、彼の五十余年の叡智をかけた、見事なものだった。
ケントには、まったく及びもつかない技の数々。
術式の、たしかな構想力。
こんなときでなければ、わくわくしながら読み解いていただろう。
しかし、今、この術式を創り上げた魔法使いは敵で、この中に閉じ込められた少女を救うためには、時間がなかった。
ケントは術式を解くことに集中した。
そして。
これが最後の術式──。
ケントが最後の呪文を口にするのと、その声は同時だった。
「なにをもたもたやっとる。二時間経ったぞ」
一瞬、声の主の方へと飛びかけた意識は、ギギ…と木の軋む音を受け、木箱に戻った。
木箱が、四方に開いた。
そして、中から出てきたのは雪のかたまり。
雪の切れ目から、見慣れた服の柄が見えた。
「マリー!」
ケントは雪のかたまりに駆け寄ると、急いで雪を払った。
途中で幅広の布が雪と一緒にばさりと落ち、うずくまった体勢のマリーが現れた。
肌は陶器のように白く、身じろぎひとつせずに在る姿は、よくできた人形のよう。
「マリー!!」
ケントは最悪の事態を想像して、マリーに手を伸ばした。
抱き寄せたマリーは、おそろしく冷たかった。
けれど、小さな吐息が聞こえ、生きていると──自分は間に合ったのだと確かめられた。
ホッと息をついたケントの頭上から、かすれた声が降ってきた。
「まるで大仕事でもやり遂げたような顔だな」
顔を上げると、サジッタ一座の大天幕の上方に、ダグラスは浮かんでいた。
最上位Aランクの魔力と、魔法学第一人者の貫禄。
全身に緊張が走った。何が何でも守らないと、と腕の中のマリーを意識した。
「おまえが今、解いた術式は、基本の構文を中心にしたものだ。それに二時間もかけるとはな。おまえは独学が過ぎて、基本が欠けておる」
ダグラスは、ケントの魔法解析力を批評した。
魔法使いとして、先を行く天才魔法使いの低評価に胸の痛みを覚えつつ、ダグラスがどうマリーを奪いに来るのか、その一点に、ケントは神経を使った。
そんなケントに、なぜか心外そうな表情を浮かべたダグラスは、
「そう警戒するな。悪いようにはせん。なあ、アーサー」
同じ空間にいた、第三者に声をかけた。
「御意」
アーサーがダグラスに応えた。
その目は、忠誠を誓った王を見る目だった。
「!?」
ケントは、心臓をわしづかみにされるような戦慄に呑まれた。
(だまされた……!)
認めたくない、痛恨すぎる失態。
イライザとマリーの絆は本物だし、そのイライザが頼りにする相手ならと、無条件にアーサーを信じた。罠にかけられたことだって、マリーやイライザを守る為という言い訳を信じたのだ。
彼がイライザをだましている可能性を、考えなかった。
ダグラスは、空中から降りてくると、ケントに話しかけた。
「少し話をしよう。その前に、そこの邪魔者は不要だな」
そして、言うが早いか、ダグラスは魔法でマクネリーを殺した。
下手に放置するわけにいかなかったから、眠らせて、そばに転がしておいたマクネリーを。
「何をする!」
「その男は害悪になるだけだ。甘っちょろいことを言って、がっかりさせないでくれないか。ケント、アーサーにマリーを渡して、わしと来い。さあ」
歪んだ…狂気に染まった瞳。
「何をためらう。おまえとわしの思いは一緒だろう」
「いっ…しょ……?」
ケントをうなずかせようとダグラスが口にした言葉は、逆にケントの中の怒りに火をつけた。
(一緒!? マリーを裏切って、覇権を狙うあんたと俺が!?)
「マリーは渡せない」
ケントはマリーをぎゅっと強く抱きしめて、瞬間移動の呪文を唱えた。
*
ダグラスの追跡を避けるため、いくつかの場所を経由した後、ケントは野山の中にポツンと立つ小さな山小屋に移動した。
王太子の私有地で、幼いケントと父親が無断で暮らした家だった。
もちろん、今も無断使用にあたる。
しかし、王太子がこの地を訪れたのはケントを保護したときの一度きりで、監査局の仕事を始めてから何度か勝手に使ったが、何も言われなかった。
マリーをベッドに寝かせたケントは、彼女の口元の違和感に気付いた。
確認してみると、いつも耳につけていたカルセドニーのイヤリングを、歯で噛んでいた。
そっと取り出す。
軽くはさんでいただけのようで、割れたり、傷ついたりはしていなかった。
なんとなく、イヤリングの中の成分を明らかにする術式を唱えてみた。
結果は。
「毒……!?」
心臓が早鐘を打ち始める。
人造魔法石コールライトが使い手の心を蝕むと言って、かつては優しい守護者だったダグラスの変容を嘆いたマリー。
(ああ、そうだ。マリーは俺を好きだと言って、ありがとうとは言ってくれたけど、俺と一緒に行くとは言ってない)
あの告白は、おそらく別れの餞別のようなもの。
マリーは、ケントと出会う前から、ダグラスの目の前で死ぬことを決意していた。死を持って、覇権への志を非難するために。彼女の死が他殺ではないと、間違いなくダグラスに伝えるために。
そんな中で、ケントとマリーは出会った。そして、一ヶ月を共に過ごした。
ケントの行動次第では、彼女の決意を覆せたはずだった。
それができなかったのは。
ケントが、誰かと手をつないで歩く未来は自分には無理だと決めつけて、マリーとの距離を縮めなかったから。
「ごめん。俺が臆病だったから──きみを止められなかった」




