13 雪 #マリー
マクネリーの魔法を一身にうけた次の瞬間、マリーは冷気を感じた。
「雪っ?」
冷たくてやわらかな結晶が、上からも横からも容赦なく身体にうちあたってくる。
雪は、よほど北の地か、高い山にのぼらないと、なかなか見ることのできないものだった。
雪の存在を知らない人もいるだろう。
しかし、マリーは雪をよく知っていた。
イリス一座で暮らすマリーの元に、ときおり魔法使いダグラスがやってきて、瞬間移動で雪山に連れて行ってくれたのだ。
けれども、一歩間違うと、凍死する危険のある場所でもあった。
ダグラスはマリーから目を離さず、一緒になって雪遊びをしてくれた。
それが何よりもうれしくて、マリーは雪遊びが大好きになった。
何度もおねだりした。
おかげで、瞬間移動の呪文だけは覚えたのだ。
マリーは、ゆっくりとまぶたを閉じた。
瞬間移動には特別な力がいるからと、ダグラスが使っていた、黒い魔法石。
思えば、あれが人造魔法石コールライトの使い始めだった。
子どもだったマリーが、自分の楽しさに目を奪われて、その石の歪みに気づかず、彼に乱用させた。
そして、彼の心の底に眠っていた権力欲を目覚めさせてしまったのだ。
(あたしが──すべての元凶だった)
雪の世界を覆う、コールライトの歪み。
マリーが奪ったほかにも、彼が大量にコールライトを生産し、使いつづけてきた証。
彼の心が、今もコールライトに蝕まれているという証。
ダグラスは、もう、マリーがここに囚われたことに気づいただろうか。
ふいに、ケントの引力が弱まったことに、マリーは気づいた。
マリーが閉じ込められている場所に、彼が向かって来ている?
ケントからの引力はどんどん弱くなって──ああ、彼がマリーの目の前に立った。
「ケント」
マリーは思わず手をのばし、歩いた。
しかし。
歩いたはずなのに、彼との距離感は変わらない。
後ろをふりかえると、歩いた分の足跡がしっかりとついていた。
(ああ…そういうこと…)
容赦なく体温を奪っていく、冷たい風。
マリーに向かって襲いかかってくる、幾千、幾万の白いつぶて。
頭に、肩にうちあたっては、降り積もっていく。
視界をうめつくす雪を、マリーは見た。
ここは、ダグラスの創り上げた特異な空間。
ケントは、そこにいるのに。
この雪の世界に囚われているせいで、ほんの一歩の距離を近づくことができない。
おそらくケントは、アーサーに拘束されている。
魔法医アーサー・ケインズ。
世間の誰も知らない、ダグラスの盟友。彼の影となり、すべてを共有し、人生を捧げて協力している人。
マリーのことも、娘のように愛してくれた。
だけど、彼の一番はダグラスで。
ダグラスと敵対する今のマリーには、もっとも厄介な相手。
ケントは下手な魔法使いよりも魔法を識っているから、おとなしくつかまっているつもりはないだろうけれど。
「ごめんなさい…」
吹雪の世界に囚われたマリーには、彼の無事を祈ることしかできない。
マリーは、腰に巻きつけていた布を取って頭からかぶると、しゃがみこんで小さくなった。
雪の中で迷子になったら、走り回らないこと。体力を消耗するし、汗をかくと体温を奪われる。
ダグラスが、子どもだったマリーに言いきかせたことだ。
自分が必ず助けに行くから、動かないで待っていてと。
皮肉な気持ちになって、マリーは唇の端を持ち上げた。
「早く来てよ。ここで待ってるから…」
マリーは、カルセドニーのイヤリングを片方、耳から外した。
「ジェシー姐さん…お祖母ちゃん…ごめんね」
占いの師匠で祖母のジェシーを、マリーは呼んだ。
『いいかい、マリー。これはね、使わせたくて持たせるんじゃないよ。特に、もう辛いから、逃げたいから。そんな理由では絶対に使わないでおくれ。人間一人の知見なんて、とてもちっぽけなものさ。もう無理だ、限界だ、どうにもならない──そんな風にしか見えなくても、思いもよらないところに救いはあったりするものだからね』
ジェシーは、口をすっぱくして、何度も何度も、使ってはいけないとくりかえした。
『だけどね、私はこれをおまえに持たさなきゃならない。おまえが死を選ばなければ世界が暗闇に沈むと──そう確信したときのために』
カルセドニー ──未来に希望を与える効果を持つ石──に包んだ毒を。
「お祖母ちゃん、ごめんね。あたし、お祖母ちゃんみたいに強く、まっすぐに生きられない」
分かっているのに。
彼は権力欲に囚われて、変わってしまったと。
だから、マリーが死んでも止められないと。
そう──分かってるのに。
冷たい雪の中で、マリーはダグラスを待った。
「早く来てよ。『すべてあたしのため』なんでしょう? ねえ……もう終わりにしよう、パパ───」
イヤリングを、マリーは口に含んだ。




