12 術式読解 #ケント
サジッタ一座が公演に使っている大天幕に、ケントは案内された。
「マクネリーの事件の影響で公演が中止されていてね。今、もっとも人が来ない場所がここなんだよ」
魔法医アーサーが言った。
天幕内の片隅に、ちょうど人間一人が入りそうな、縦長の木箱が設置されていた。
おぞましい量の魔法がかかっている。
「マクネリーが唱えたのは、移動の呪文だよ。マリーはこの中にいる。この箱の中──空間をねじまげて作られた、吹雪の世界に」
「吹雪の世界?」
「そう。歩けども歩けども、どこへもたどりつけない。あるのは、四方八方からふきつけてくる吹雪だけ。もちろん、きみといえど、その世界を論破し、脱却するのは、難しいだろうね。ダグラスは、内側からやぶられることのないように、空間をまるく閉じたと言っていた」
「まるく閉じたって……宇宙を作ったってことじゃねーかよ!」
ケントはぞっとした。
宇宙を作るなんて、神の領域──レベルが違い過ぎる。
入都許可証の作成や、都の護り無効化。立て続けに格の違いを見せつけられ、怖気付いてはいたのだが、トドメを刺された気分だ。
魔法学の第一人者ダグラスの持つ技術は、ケントには遠すぎる。
「マリーはどのくらい……もつ?」
自分への信頼を失ったケントは、おそるおそるアーサーに尋ねた。
「なんともいいにくいが……できれば一時間以内に」
「くそっ」
ケントは木箱にこぶしをぶつけた。
魔法の術式の量が膨大すぎて、どこから手をつけたらよいのかも分からない。
いくら拘束の魔法が生きているからといって、自分の代わりにマリーが囚われて、無事でいるなんて楽観はしていなかった。
それでも。
いつ様子見に来るか分からないダグラス。
今も、マリーの命を確実に削っている雪の世界。
この状況下で、取っかかりの糸口すら見えない膨大な術式は、ケントの心を押しつぶしそうなほどに重くのしかかった。
「ねえ。お取り込み中のところ、悪いんだけど」
ふいにサンドラの声が響いた。
一体いままでどこにいたのか。そして、いつ現れたのか。
大天幕の入り口に、サンドラはふてぶてしく腕組みをしながら立っていた。
「なんだよ、この大変なときに!」
ケントは遠慮なく非難した。
「お別れを言いに来たのよ。あんたのことは見込み違いだったから」
「は?」
詐欺仲間にならないかと誘った件はナシにする。
サンドラはそう言った。
(空気読んで勝手に消えりゃいいのに、なんだよ、くそっ!)
ケントは、尖る感情のままに彼女を睨みつけた。
だが、もちろん、そこでひるむ女じゃない。
「ふふっ、勘違いされるのはゴメンだから、言いにきたのよ。いい? 一回しか言わないから、ちゃんと理解しなさいよ? つまりね、最後の最後に父親に命を救われて親の愛情を受け取った──あんたはあたしの嫌いな甘ったれだから、仲間にはいらないってことなの! じゃあね!」
一方的に言いたいことを言うと、サンドラは背を向け、あっという間に去っていった。
言い逃げされたケントは、数秒、ぽかんとして。
それから。
──あたしはね、愛とか優しさとか語って、綺麗なつもりでいる甘ったれた奴が大嫌い。
──あたしもあなたも、愛なんてまやかしに毒されていないからこそ、真実の世界を生きていける。
サンドラの言葉を思い出した。
ケントの心に強く響いた言葉だった。
彼女を、自分に近い存在だと思った。
だけど。
サンドラはそれを否定したのだ。
ケントは違うと。
愛を信じる者の世界にいるのだと。
マリーとの旅の途中で、自分が作った魔法の札を師匠作だと偽ったとき。
師匠と表現し、頭に思い浮かべた人物は父だった。
ろくな食事も与えられず、練習魔法に失敗すると暴力をふるわれる毎日だった。それでも、上手くできたときは、「さすがは俺の息子だ」と褒めてくれた。
それに。
母や、育児放棄されて入った施設の人間たちは、ケントに怯えてほとんど近寄ってこなかった。
今から思えば、父は、二十四時間、ひたすらケントにかまってくれた人だった。
ケントが魔法を習得できるよう、ああでもない、こうでもないと考えてくれた。
最期は、マクネリーの魔法攻撃からケントをかばって死んだ。
(ああ、そうか。俺が、魔法を研究し続けてきたのは、それが父との唯一の絆だったから)
マリーを好きになって。
でも、互いが互いを思いやる優しい愛の関係なんて、自分には築けないと思っていた。
そんな素養、自分は持ち合わせていないと。
だから、恐れていた。
マリーとの関係が深まることを。
だけど。
ケントは、グッと握りしめていたこぶしを開いた。
(俺は、サンドラとは違う)
愛することも、愛されることも。
ケントの心の中にあった。
クリスにも、愛されてきたと思う。
ケントは、サンドラが消えていった天幕の入り口を見た。
別れの挨拶なんてガラじゃないくせに、途方にくれるケントにハッパをかけていった。
ケントの父が殺された話をしたとき、話を止めようとしたサンドラ。
あの時点で彼女は気づいていたはずだ。
ケントは自分の世界には来ないと。
もう用済みで、何の利用価値もないと。
それなのに、ケントに付き合い、休息を与え、大事な気付きを与えていってくれた。
もちろん、サンドラにはサンドラの損得勘定があるのだろうが。
それでも、魔法使いダグラスに目をつけられるリスクを冒しての助言は、損得勘定から出た行動ではありえない。
(ありがとう)
心の中でサンドラに礼を言って、ケントは木箱と向き合った。
魔法使いダグラスが創り上げた、壮大な魔法の術式に。
*
これが最後の術式──。
ケントが最後の呪文を口にするのと、その声は同時だった。
「なにをもたもたやっとる。二時間経ったぞ」
魔法使いダグラスが、サジッタ一座の大天幕の上方にあらわれ、ケントを非難した。




