7 独占欲 #マリー
ケントとサンドラの前から逃げ出したマリーは、メチャクチャに走った。
二人の間に、サンドラがほのめかしたような事実がないことは分かっていた。
それでも。
ケントのサンドラを見る目が変わっていた。彼女への警戒心が解け、存在を受け入れていた。
その事実がマリーを打ちのめした。
今回はサンドラの一人芝居でも、この先は分からない。
二人の息のあったかけ合いを見て、マリーはそう思ってしまった。
焼けつくような激情が、身を焦がす。
ケントにすり寄るサンドラを見て、そこは自分の場所だと叫びたかった。
(嫌、嫌、嫌!)
自分と別れたあと、ケントがサンドラの手を取るなんて、考えたくもなかった。
──きみを一緒に連れていく。
そう言ってくれたケントに、一緒に行けないと断ったくせに。
(あたしの告白も、迷惑そうだった…!)
──ドン!
勢いよく角を曲がったところで、マリーは誰かとぶつかった。
「ごめんなさいっ!」
謝ってから相手を見ると、ぶつかったのはマイクだった。
「マイクさん?」
「ま、マリーさんっ」
「どうしてお一人で…あ、サンドラに追い出されたとかですか?」
「サンドラ? いえ、その……ケントさんが言うには、誰かに守ってもらおうとするから襲われると…」
「え……まさか、ケントが、一人でいろと……?」
マリーは、頭から冷水をあびせられた気分だった。
ケントに急ぎの用があることも、マリーの我儘に無理やり付き合わせていることも分かってはいた。それでも、この対応は…。
「すみません! 本当にごめんなさい! あたし、何か考えます!」
ケントがマイクにしたことを、マリーは謝った。
そのとき。
「おまえ、カジノ客だな? この俺様だけに視える魔法の印が、バッチリ見えているぞ」
背後から、低くかすれた声がふってきた。
マイクの顔がみるみる青くなる。
ふりかえると、黒いフード付き外套を着た魔法使いが、地面から数メートル上空に浮かんでいた。
強い魔力のオーラ。
目深に被ったフードで顔の上半分は隠れていたが、歪んだ笑みを浮かべる口元の皺から、年配であることが分かる。
「やめな!」
マリーは両手を広げて、マイクをかばうように立った。
「おまえは…」
マイクに向いていた視線が、マリーに向く。
魔法使いは、「そうか」と小さくつぶやくと、フードを取った。
淡い金髪に、青い目。年は五十代だろうか。
「勇ましいお嬢さん。その勇気に免じて、見学を許そう」
そう言った次の瞬間、魔法使いがフッとマリーの前に現れ、いきなり首をつかまれた。
「っ!」
そのまま体を持ち上げられ、足が地面から浮く。
マリーは手を首に持っていったが、男の手はびくともしなかった。
苦しくて、顔が歪み、視界も歪む。
魔法使いは満足そうに笑うと、現れたときと同じようにフッと消えた。
「!」
マリーは声にならない悲鳴を上げた。
手の代わりに縄が現れ、首を絞めあげてきたのだ。空中に現れた縄に、首吊りされた格好だった。
なんとか自分の両手で縄をつかみ、首が絞まるのを阻止する。
「さあ、待たせたな」
魔法使いは、改めてマイクの正面に立つと、もったいをつけるように言った。
マイクはガクガク震えながら、後ずさりした。
「まずは足をへし折ってやろう」
「ひいいぃ─────!」
悲鳴をあげ、一目散に逃げようとして、マイクは派手に転倒した。
魔法使いがマイクに迫る。
マイクは立とうとしたが、腰が抜けたらしく、結局、地面に尻もちをついてへたりこんだ。
「おた、たすっ、おた……ぅけっ……けけけけっ」
助けを乞う言葉は、途中で奇声に変わった。
尻もちをついたところから、液体の染みがひろがる。
白目をむいた彼は、そのままドサッと地面に仰向けに倒れこんだ。
「ふ、はははっ! なんだこの腰抜けは! ははははははっ!」
お腹を抱えて大笑いすると、そこで満足したらしく、魔法使いは魔法でマイクの身ぐるみを剥ぎ、空を飛んでいった。マイクに残されたのは、濡れた下履きだけだった。
魔法使いが空の彼方に消えたところで、マリーの首にかかっていた縄も消えた。身体を宙に吊り上げていたものを失い、ドサっと地面に崩れ落ちる。
そのままマリーは地面にうずくまって、ゲホゴホと咳こんだ。
そこへ。
「マリー!」
ケントが、血相を変えて駆けつけてきた。
彼の姿を目にしたとたん、ホッと気が緩み、涙がポロリとこぼれた。
「首を絞められたのか?」
マリーの首の圧迫跡を見て、ケントが言った。
「うん。あたしがマイクさんをかばおうとしたら、見学を許してやるって。マイクさんは…気絶してるだけだと思う。その、魔法使いは彼の反応に満足したみたいで」
「満足……そうか、過大反応をしたあとに失神した奴が命拾いしてたんだ」
ケントは妙に納得したように言った。
「マリー、すまないが、明日までサジッタ一座にいてくれ。俺に会いにくるのもナシだ」
「どうして? マイクさんに一人でいろと言って、事件から手を引こうとしてたんじゃないの?」
まるで事件を解決するつもりのようなケントの口ぶりに、マリーは聞いた。
「状況が変わった。マイクの引き取りとか、対策本部の応援を呼ぶから、サジッタ一座への帰り方はその人たちに聞いてくれ。いいな、俺を見かけても絶対に近づくなよ」
「近づくなって…どうして!?」
マリーはケントに追いすがろうとしたが、彼は背を向けてしまった。
「サンドラ」
マリーではない女の名を、ケントが呼ぶ。
彼と一緒に来たらしいサンドラは、
「もちろん協力するわよ」
そう答えると、勝者の笑みをマリーに向けた。




