序章
当章に残酷な描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
その日。
魔法オタクの魔法使いケントは、噂の魔女を見つけた。
*
明るい月の夜だった。
いつものように、ケントは魔法使いの定番であるフード付外套をまとい、空を飛んで移動していた。
中規模の街の上空に差しかかったところで、ケントは急ブレーキをかけて止まった。
地上の街路を爆走する、仄かに青白く光る物体を見つけたのだ。
いや、違う。
光る物体の正体は、月の光に照らされた道を猛然と走る、小太りの中年女性だった。
噂の魔女マリーだ。
初見の夜道でも断言できる。
なぜなら、青白く光るオーラを持つのは、世界で唯一人、魔女マリーだけだから。
魔法使いは魔力のオーラをその身にまとう。しかし通常、魔力のオーラは無色透明で光らない。
魔女マリーは、桁外れに強大な魔力を持つため、オーラが青く光って視えるのだという。
(噂には聞いてたけど…本当に光ってる……)
ケントはその仄かな青に魅入られた。
自分を遥かに凌駕する強大な魔力のオーラを、怖いとは思わなかった。
凄腕の魔女マリー。変身名人。
八ヶ月程前に突如現れ、神出鬼没で誰にも捕まらない。
常識的には信じ難い嘘のような噂が、それこそ星の数ほど生み出され、爆発的に広まって、彼女の実像は謎に包まれる一方だった。
「マリーさん!」
地上で、魔女マリーに駆け寄る影があった。
十歳くらいの少年魔法使いだ。
「ニール! 探してたんだよ。どこ行って…」
「魔法使いダグラスから魔法石コールライトを盗んできた。今、僕の胃の中。これで取り出して!」
ニール少年は、そう言って、マリーに短剣を差し出した。
魔法使いダグラスは、魔法学の第一人者で──その圧倒的叡智を以て数多くの魔法使いを配下とし、現王家を倒して魔法使いの為の国を作ると宣言した大叛逆者だった。
一年前に彼が叛意を示して以来、王国の大半を占める力無き民たちは、魔法による暴力に怯えながら暮らしてきた。
そして、魔法石コールライトは、魔法使いダグラスの力の源とも言える強力な魔法石だった。
「胃の中から石を取り出せって、ニール…」
「早く!」
叫ぶニール少年の足元がぐにゃりとゆがんだ。
魔法使いダグラスの報復だ。
盗人を追うようなことはせず、魔法で体を溶かし、その体の消滅と共に盗まれた物を取りもどす。彼がよく使う技だった。若輩のケントがいまだ届き得ぬ至高の魔法だ。
「お願いだよ、マリーさん! 石をもってダグラスから逃げて! 世界を、救って!」
命を懸けた少年の懇願を、マリーはどう受け取ったのだろう。
大叛逆者・魔法使いダグラスと敵対している魔女マリーだが、噂によると性格は残忍で、ダグラス以上に厄介な存在なのだという。
少年の差し出した短剣を、マリーが受け取る。
彼女は嬉々として少年を切り裂くのだろうか。
そう思いながら上空で傍観していたケントは、次の瞬間、思わず身震いした。
マリーは、短剣を持たない方の手を少年に伸ばすと、身体を透過する魔法を使って、少年に傷ひとつ付けることなく、胃の中の石を取り出したのだ。
それも、信じ難い彼女の噂の中でも一番ありえないと思っていた噂の通りに、魔法石を使わなかった。
通常、魔法は魔法石を介して実現させる。魔法使いダグラスだって、魔法石なしに魔法を使えたりしない。
魔法石がなければ魔法使いもただの人。そんな、古来より絶対だったはずの定石を、彼女はケントの前でくつがえしてみせた。
心を媒介に魔法を実現させたのだ。
(…んだよ、それ。あり…得るのか…?)
実際に自分の目で見てなお、信じられなかった。それほどの神業だった。
「魔法石コールライト、たしかに受け取ったよ」
上空で衝撃に固まるケントをよそに、地上ではマリーが、魔法で取り出した黒い石コールライトを少年に見せていた。
少年は最期に微笑んだ。
そして次の瞬間、泡がはじけるように溶けて、彼は消えてしまった。
「ニール! …わああああああああっ!」
マリーは膝をつき、天を仰いで絶叫した。
そこへ、魔法使いダグラスが現れた。
褐色の肌に短く刈りこんだ白髪、眼光鋭い五十歳前後の魔法使いだった。
強い魔力のオーラがゆらりと黒く揺らめく。
「わしの石を返してもらおうか」
ダグラスが言った。
しかし、マリーは聞いていなかった。
少年の死を悼むあまり、ダグラスの登場にすら気付いていなかった。
傍観者だったケントは、とっさに自分の魔法石を取り出し、呪文を唱えた。
そして。
光の爆発が起こった。
泣きながら魔法石コールライトを自身に封印するマリーの魔法。
マリーを攻撃するダグラスの魔法。
マリーを護るケントの魔法。
みっつの魔法が重なって、いや、より正確にはケントとダグラスの魔法のぶつかり合いと相殺が、光の爆発と化した。
その光の風の中で、マリーの姿が変わった。
中年女性から、長い黒髪の少女へと。
白い光の中で号泣する少女は、この世の存在とは思えぬほど、神秘的で美しかった。
ケントが息を飲んで見守る中、まるで光に溶けるように、その場から忽然と彼女は姿を消した。誰の追跡も許さない、瞬間移動の魔法で。
魔女マリーは実在した。また、絶対に嘘だ、理論的にありえないと思っていた数々の軌跡を体現する、規格外な存在だった。
だというのに、このとき、ケントの脳裏に残像のように焼き付いて離れなかったのは、彼女が消える瞬間に見せた美しい少女姿だった。
初めまして。
残酷な描写は、この序章がほぼMAXレベルですので、ここが大丈夫な方ならこの先も大丈夫かと思います。
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