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告白 3

 雪子は少し体を前に傾けると、ナイフを膝の上に置き両手を組んで項垂れた。

 それは神に誓いをたてる花嫁の姿、そのものだったが、靴から零れたのは過去との邂逅だ。

「この話はね、私の父と母の話から始めないといけないの」

 雪子は瞳を伏せ、そっと、愛おしいものに触れるような優しげな指先でナイフの柄を撫でた。

「私の父にはね、国籍がなかったの。国籍どころか、名前も、過去も、何もかも」

「どういう事?」

「今はもう、存在しない国の、諜報部員だったのよ」

 諜報部員……東吾は再び架空の世界、いくら身近でもテレビのドキュメント報道でしか聞いた事のないような単語に、また閉口した。しかし、依然と雪子の表情は真剣そのものだ。

 今更、こんな事をいちいち問いただすのも返って場違いな気がして、東吾はただ先を促すようにうなずいた。

「父の国が消滅したのは、父がこの国、日本に潜入中の事だった。その国に父が何を残し、何のためにそういう生き方を選択したのか、もしくは選択させられたのか、私は知らない。でも、確かなのは、父は全てをその瞬間に失ったって事なの。東吾さん、そんな人間がどうやって生きていけばいいか、想像がつく?」

 正直、もう、この時点で東吾の中ではこの話に現実感と言うものが欠落して聞こえていたので、首を捻った。

 ちょっと前に見た、トム・ハンクスのターミナルを思い出す。主人公は諜報部員でこそなかったが、空港を出る前に自国が消滅してしまい、その居場所が定まるまで何年間か空港に閉じ込められる羽目になる話じゃなかったか。

「わからないよ。でも、日本からは出られない、もしくは出ないだろうね」

 偽造パスポートくらいは諜報部員なら持っていたかもしれないが、帰る場所がない。なら、やはり、危険を冒してまで出国はしないんじゃないだろうか?自国に同盟国がありそちらに逃亡するとしても、陸伝いに他の国があるならともかく、この島国から出るのは骨な様な気がした。

「そうね。父は、この日本で生きていく事にしたの。諜報活動中に気付いた人間関係も居場所も一応はある。状況を伺いながら、日本人として生きていく事にした。自国を滅ぼした国に加担した、この国を恨みながらね」

 雪子はそこで視線を一層おとした。

 その瞳には黒くどろりと闇と悲しみが溶けあうような悲嘆が浮かび、この荒唐無稽な話の中で一番の説得力を添える。

 もしかしたら、雪子自身も、この国を深く恨んでいるのではないか、そんな懸念さえ感じさせる色だった。

「そして、父は母に出会ったの。父はね、母との話をする時だけ、凄く幸せそうな顔をしたわ。きっと、父の人生で一番幸せだった時間なのね」

 そういうと、密やかな溜息をつき、そっとナイフの方に目をやった。東吾にはそのナイフを見つめる雪子の気持ちが、まだ分からなかった。


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