告白 20
そんなの、容易い。雪子は細かく長い睫毛を震わせる。
もし、それで
「父さんが、愛してくれるのなら」
「良い子だ」
俊は嬉しげに表情を崩すと、ぐいっとさらに刃を彼女の首、頸動脈の上に正確に押し当てた。
「なら、俺を殺しなさい。俺を殺せるほど、成長したのだと、俺に示してくれ」
「それが。父さんの……望み?」
もう、雪子の目に涙は浮かんではいなかった。
ただ、煩わしいほどに鳴りやまない鼓動と、自分の生を告げる痛みに唇を噛み、俊を見つめる。
俊が、ゆっくり頷いた。
「あぁ、俺の望みだ。そして、それは、お前にしか叶えられない」
どうか愛してください
どうか私を見てください
どうか、どうか、どうか……その手を……。
雪子は顎を引くと腕を伸ばし、男の首にそれを回した。
ゆっくりと引き寄せる。大好きな瞳がすぐそこにあった。
それは今、自分のみで満たされている。
彼の世界には、今、この瞬間は自分しかいない。
雪子は目を伏せると、そっと唇を重ねた。
死者と交わすような口づけを、雪子は自分の一番深い部分に刻み込む。
父を、林俊を自分は愛している。
愛しているから……。
雪子は、ゆっくりと花びらがその茎から枯れ落ちるように離れると、男の胸を軽く押した。
瞳が混じり合う。
父が微笑んだ
雪子も微笑んだ
そして幼いその手の中の引き金が、引かれた。
人間は簡単には死なない。
それは雪子が常々言われている事だった。
だから、初めの一撃が聞いたとしても、すぐに次、また次、相手の息の根を止めるまで油断してはならないと。
雪子が俊に飛ばされた先で掴んだサイレンサー付きの銃が貫いたのは、俊の肝臓と左胸肺の辺りだった。
出血はおびただしく、しぼんだ片肺ではままならない呼吸に俊の顔はすぐに青ざめた。
俊は、父はもうすぐ死ぬ。
雪子はそれを悟ると、子どもから悪戯の道具を取り上げるような手つきで、彼からナイフを奪い、体で崩れる彼の体を受け止めた。
二人は崩れるように座り込む。
温かかった。
感じる彼の重みも、血の生臭さも、乱れた呼吸も、皆、温かかった。
雪子は手にある銃とナイフを遠くに放り投げると、改めてその愛しい体を抱きしめた。
俊が、なぜとどめを刺さないのか、問いたそうな目を向けていた。いや、実際問うていたのかもしれないが、雪子の耳に届くような言葉にはなっておらず、呻き声と死期に近い者特有の、ひゅうひゅうとした妙に乾いた音を喉から漏らしているだけだった。
雪子は足を投げ出すと、彼の頭をそこに置き、ゆっくりと眺めながらその額にかかった前髪を撫で上げた。
愛しさは今にも溢れ出そうなのに、頬に伝うのは冷たい涙だけだった。
「お父さん。これで、私の事、愛してくれるよね?」
雪子は涙に濡れた声でそう囁くように訊いた。
自分の中で途切れていくその命、その命が消える前に、どうか、お願い。一言でいい。たった、一言でいいから口にしてほしい。
もう、娘としてでも構わないだから、どうか、自分を……。
俊の目が優しく微笑んだ。
力のない手が、雪子の頬を撫でる。
『泣くな』
それは彼の故郷の言葉だった。
『泣くな。俺は、嬉しいんだ』
途切れ途切れのか細い声に、もう、生気は見当たらない。それでも、雪子は一言も聞き逃すまいと耳を澄ませ、その手を握った。
『愛してたよ』
「とうさん!」
『 』
それは、雪子の知らない言葉だった。
日本語でも、英語でも、フランス語でも、中国語でも、アラビア語でも父の祖国の言葉でもない。
生まれて初めて耳にする単語。
しかし、雪子にはわかった、父が最期に口にした言葉、それは……。




