告白 2
雪子は一つ息をつくと、死体の方にはあまり気にした様子は見せず、まるで祈りでもささげるかのように十字架を見上げた。
黒く豊かな髪は結いあげられ、そこに止まる薄紅色の花は蝶がそこに止まっているかのようにも見える。清楚さを伺わせるうなじからの色香を、白い純白のベールが覆い、聖母すら連想させた。
雪子と言えば、まさに雪のような白い滑らかな肌と、口元にあるホクロが一番のチャームポイントなのだが、今やその肌は少し青白さすらうかがえ、口元は軽く結ばれていた。
東吾は足もとの死体をどうしていいかわからず、視界に入れないようにその塊を挟む形で、雪子の座っている席と対になる長椅子の端に座った。
落ち着いて話を聞く場合じゃないのはよく良くわかっている。
なんなら、この神父の生存をきちんと確認し、警察を呼ぶなり人を呼ぶなりしないといけないはずだ。しかし、上を向いたままの神父の目は、確認はもう無意味な事だと告げていたし、不思議と騒ぎ立てるような雰囲気じゃなかった。
「東吾さん。私ね、今日、この日の為に貴方にであったのよ」
足元に死体さえなければ、この台詞は感動的なものだっただろうに。東吾はそんな事を想いながら、反応に困り、ただ頷いた。
雪子はそんな東吾に、黒目がちの目を細め嬉しそうな吐息を漏らした。
「東吾さん。東吾さんは私の事、どこまで知っていたかしら?」
「どこまでって……」
結婚相手の事だ。これからの一生をともに過ごそうという相手の事を、何も知らないはずはない。少なくとも、この死体を見るまではそう思っていた。
東吾は居心地の悪さに、せわしなく視線を彷徨わすと彼女の手の中のナイフに目をやり、そこに話しかけるように口を開いた。
「すべてだと、思ってたよ」
名前、経歴、趣味に友人関係。彼女の家族とも付き合いはある。東吾は彼女のその親族の顔を思い出した。
料理教室を開く、やり手の母親。シングルマザーの姉。まだ高校生の妹。女ばかりの家族で、いつも賑やかで明るい人たちだった。
東吾が結婚の挨拶に訪れた時は、「やっぱり家に男の人がいた方が心強くていいわね」と歓迎され、気分が良かったのを覚えている。
他の家族も、雪子に負けないくらいの美人なのが、その時の気分をさらに良くしていたかもしれない。
雪子に関しては、もちろん他の事だってよく知っている。
彼女との出会いは、彼女が派遣社員で東吾の会社に来たのがきっかけだった。
すらりとしたスタイルに、控え目な態度と品のよい物腰、気の利く優しさ。麗しき日本美人、そんなフレーズがピッタリな彼女を狙う連中は、それこそ山ほどいた。
烏合の衆から抜きんでようと、東吾はそれまでだらしなかった女性関係をかなぐり捨ててまで、彼女に必死になり、ようやく射止めたのだ。
雪子は、それまで人を人とも思わずにいい加減に生きて来た東吾の、ようやく手に入れた本物の愛、そのはずだった。
雪子は東吾の言葉にゆるりと首を横にふると、ベールを脱いだ。
それをナイフの上にかぶせるように置き、申し訳なさそうに眉を寄せる。
「東吾さん、東吾さんは何にも知らないわ」
「どういうこと?」
まるで内緒話をするように声を落とす。雪子は小首を傾げると、ため息交じりに答えた。
「東吾さん、今までの事、全て忘れて。私の名前も、経歴も、家族も」
「わからないよ。何を言っているか!」
「耳を塞がないで聞いて。目をそらさないで見て。今日までの私は、みんな嘘なの」
「じゃあ、何だっていうんだよ」
東吾が怒り交じりの声を上げる。
全てが嘘? 馬鹿げているにもほどがある。
雪子は何かのトラブルで神父を殺してしまし、混乱しているのだ。そうに違いない。二人が過ごしてきた時間、自分が知っている彼女、全てが嘘なんて、あるはずがない。
東吾はまるで救いを求めるように、雪子のその陶器のような横顔を見つめた。しかし、雪子はそれには一瞥もくれず、再び十字架を振り仰ぐ。
東吾もつられて、十字架を見上げた。
天から降りそそぐ陽に浮かびあがるそれは、罪を見下ろし、なお、粛然と佇んでいる。
雪子はそこに神聖な何かを見極めんとするかのように、じっとそれを見つめると、ぽつり、呟いた。
「私、殺し屋なのよ」
と。




