告白 19
「何故……? お前と言う最高傑作を完成させるためだよ」
「最高、傑作?」
「あぁ、芸術品と言っても良い。俺の生涯をかけて作り上げた、殺人のための道具だ」
芸術品? 道具? 何を言っているのかわからない。まるで物を扱うかのような語り口に、雪子はさらに眉を寄せた。
鈍い痛みが体に突き刺さり、呼吸すらままならない。しかし、父であれ、殺意を持ってナイフを向けられている今、しゃがみこむわけにも行かなかった。
「なに、言ってるか、わかんないよ」
「そうだろうな。道具のお前には話した事はなかった」
俊はその秀麗な顔を歪めると、小さく息を吐いた。
「なぁ、雪子。父さんを失望させないでくれ」
『父さん』その言葉に一切の体温はこもっていない。単なる記号、単なる立場、そんな乾いた感触に、雪子は自らの心が萎えていくのを感じていた。
「どういう、事か、わからないよ」
「理由を知る必要があるのは、その理由を理解できる人間だけだ。そして、それが出来るのか、今、試しているんだ」
「何の、為に? 父さんの国の為に?」
「いいや」
俊はゆっくりと首を横に振った。
それまでガラス玉のように何の表情もなかった瞳に、夕闇の様な陰りがよぎる。
「正直、国なんて、どうでも良くなっていたんだ。日本は好きになれなくても、俺は、ここでの暮らしを愛し始めていた」
罪悪感なのか、懺悔なのか……深い苦みを滲ませる声であると同時に、すでにその事への迷いはふっ切ったという開き直りも感じさせる声色だった。
「ここで、お前の母親と幸せに暮らせるのなら、もう、どうでもいいような気がしていた。だって、当然だろう? 亡くなった祖国に何故義理立てしないといけない? 家族も、俺の人生も、何もかもを守れやしなかった国に、何の恩もありはしないんだ。そんなちんけな国の為に、一度手に入れたここでの暮らしを捨てるなんて馬鹿げてる。馬鹿げてるだろ!」
「父さ……ん」
それは、今までの抑圧を一気に噴出させた告白だった。
偽りの人生を生きて来た男の、偽りのない言葉だ。
「確かに、祖国を失った時は悔しかった。だけどな、俺はやり直せると思ったんだ。この国で、新しい故郷、新しい家族を作り、俺にだって幸せが来るんじゃないかって」
俊が一歩ずつ、黒豹が獲物ににじり寄るようなしなやかで隙のない動きで、雪子に歩み寄る。
「けどな、それを、この国が! この国の人間が、踏みにじりやがった!」
押し殺した咆哮には、恨みと憎しみが熱となってまとわりついていた。
そのねっとりと渦巻く感情が、そのままそっくり全て自分に向けられているのを感じ、雪子は恐怖に立ちすくんだ。
男は奥歯を噛みしめると、じっと彼女を睨みその声で、彼女に告げる。
彼女の生まれて来た意味であり、業の烙印を彼女の身に刻み込むために。
「お前の母親は、日本人とお前に殺されたんだ」
「え」
見開いた雪子の眼には、哀しみを怒りに塗り込めた俊の顔が映っていた。
静かな憎しみは澱となり、俊の心に何年も積み重なり、それは熟し、今や抑えきれないほどの深みと毒をもって彼の中を流れている。雪子には、それが見て取れるような気がした。それほどまでに、父の目は声は切実に雪子の心に迫って来ていた。
「母親は、お前を産んだすぐ後に死んだ。お前の命と引き換えに、だ」
「だから、だから、父さんは私を?」
雪子の声は小さく震えていた。それは恐怖にではなく、絶望的なまでの哀しみにだ。
ずっと、父は、林俊は自分を愛しているのだと思っていた。母親ではなく、他の誰でもなく、自分だけを。
ただ、父に応えたかった。
ただ、父に認められたかった。
ただ、父に喜んでもらいたかった。
ただ、愛されたかった。
だから、ここまで来たというのに。父は、愛するどころか自分を……。
「憎んで、殺そうとしているの?」
その言葉は自分の声の音をしていたが、どの痛みよりも痛烈に身を貫いた。
どこかで否定の言葉を待つ雪子の目は、涙に溢れ、救いを求める亡者のように俊にすがりついた。
俊はふっと微笑みを浮かべると首を横に振る。
その僅かな仕草に雪子の心に光が差しかけるが、それを次の瞬間、俊は一縷の望みに手を伸ばす彼女の手を叩き落とす。
「仕上げているんだ。未熟な体で生まれたお前何か、殺そうと思えばいつでもできた。それをしなかったのは……」
雪子の目の前で歩みを止め、右の手がナイフをその白い首筋にそっとあてた。
「お前にその日本人を殺させるためだよ。その為に、殺人のプロとなるように育て上げた」
左の手が、雪子の髪を優しく撫でる。
「雪子、俺の為なら、何でもできるかい?」
そう、そのために自分は生きて来た。
雪子は言葉なく頷く。
今、こんな状況にあっても、やはり心が求めるのは目の前の自分にナイフを突き付けている男の愛情なのだ。
その男は、まるでとっくにそんな雪子の想いを見透かしているかのような目で、彼女を覗き込み、そして彼女自身にそれを自覚させるためかのように、さらに踏み込み、静かに問うた。
「命を、賭ける事も?」
と。




