告白 1
人生には二つの悲劇がある。
一つは願望が達成されないこと、他の一つは、それが達成されることである。
バーナード・ショー 「人と超人」
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「私、父を殺したの」
そういって呆然と立ち尽くす新郎、相田東吾に振り返ったのは、花嫁姿の雪子、その人だった。
父を殺した
そんな不穏な内容を告白するその声には、まるで、この教会内に降り注ぐステンドグラスを通した、色鮮やかで柔らかい光のような体温があり、東吾は一瞬聞き違えたのかとさえ思った。
しかし、アンバランスさは残念ながら、声とその内容だけには留まらない。
東吾は自分の目に映るもの、一つ一つを確認するように見て回った。
柔らかな朝日が舞い込む静謐な教会。左右に数列ずつ置かれた机付きの長いすの間に、東吾は立っていた。
目の前には、大きな十字架が見事なステンドグラスを背負い聳え立っている。その下で、雪子はその手に、まるでリンゴでも剥くようなさりげなさでナイフを持って立っていた。足元に死体らしき塊を従えて。
十字架、花嫁、ナイフ、死体らしき塊。
眼前に飛び込んできた、アンバランスな組み合わせに整合性が見当たらず、目眩すら覚える。
『死体らしき塊』というのはまだ東吾自身、それが生命活動を停止した体だと認識していないからだ。正確にはそう認識したくないから、なのだが、とにかく、簡単にそれが『死体』と決めつけるわけにはいかなかった。
なにせ、ここは教会。しかも、一時間後には自分と雪子の結婚式が行われる場所なのだから。
「雪子、何の冗談だよ」
無理やり喉から絞り出した声は、案外頼もしいほどに安定した音だった。少し我を取り戻したような気になった東吾は、僅かな余裕の欠片をかき集め、冗談である証拠を探ってやろうと雪子の足元にさらに目を凝らす。
未だに動かぬその塊は、彼女の一回りは大きな男の体躯だった。黒い鉄の匂いのする水溜りに浮かんでいるように見える。
うつぶせに倒れているせいか、窮屈そうな黒服を着ているその男の顔は、ここからはえなかったが、後ろに撫でつけられているグレーの頭髪の横についた特徴的な耳は、よく見て取れた。
横に突き出たその形に、二人で少々意地の悪い笑みをこぼしたのを覚えている。
なんだ、そう言うことか。やっぱり冗談じゃないか、と東吾は胸を撫でおろした。
やっぱり、彼女の父親の死体なんかじゃない。これは冗談なのだ。
確信し、肩の力を抜くように溜息をついた。 雪子は心配げに東吾を見上げ、うわ言のように唇の隙間から声を零す。
「東吾さん。私……」
「もういいよ。こんな冗談、笑えないし。残念だけどこんなのいい演出だとは思えない」
「違うの。本当に……」
結婚式にサプライズとはよくある話だが、こんなのはさすがにいただけない気がした。
こんな事で、大切な雪子を責めたり、なじったりつもりはないが、この冗談の趣味の悪さはちょっと度が過ぎている。
もしかしたら悪友達の差し金なのかもしれない。東吾はそう思いなおした。
彼らとは、子どもの頃ずいぶん一緒に馬鹿もしたし悪さもした。雪子に言えないような少々法律に触れるような『やんちゃ』もだ。
アイツらは悪乗りすると、押しも強い。真面目で大人しい雪子なら、したがってしまうというのは、雪子が一人で仕組んだとう言う仮定よりよっぽど説得力がある気がした。
東吾は出来るだけ不機嫌さを隠すように穏やかに、諭すように問いかける。
「雪子。どういうつもり?それとも、皆で俺を驚かそうとか、そう言う事?せっかくのサプライズ、悪いんだけど、こんなの不謹慎だし感心できないよ」
しかし、雪子がその問いに答える事はなかった。しばらく、戸惑ったような顔で倒れている男の背中を見つめてから、まるで独り言のように呟く。
「本当なの。信じて」
「もう、いいから」
呆れる東吾。だが、雪子は引かない。
「お願い、話を聞いて。私は本当に父を……」
「しつこいよ!」
思わず声を荒げてしまい、東吾はしまったと舌打ちした。
雪子はそんな彼に困ったような顔をすると、ナイフを持った手をだらりとたらした。涙をこらえているのか、それとも酷く怯えているのか、東吾には判然としなかったが、彼女の唇は震えていた。
「なぁ、もう、いいだろ?」
弁解がましく優しい声で雪子に、半ば頼みこむように状況の撤回を求める。しかし、やはりどれだけ待っても、震える唇からは暴露も弁解も聞こえてこなかった。 時間だけが過ぎていく。二人の間に横たわる、未だに動こうとしない偽の父親の死体が一層苛立ちを増幅させ、東吾は腕にはめた時計に目をやると溜息をついた。
式まで、あと40分。こんな手の込んだ悪戯の後処理を考えれば、残された時間に余裕があるとは思えない。
「なぁ、何がしたいの?父親を殺した?そんなわけないでしょ。だって、ここに転がっている……」
死体は、と言いかけて口を噤む。この晴れの日にあまりにも不謹慎な言葉のような気がしたからだ。
東吾は咳払いすると、その死体役の人物を睨みつけた。特徴的な耳。間違いようがない。
東吾は足早にその偽死体に歩み寄ると、手を伸ばした。
ひっと雪子が息をのむ。
しかし、彼は構わずうつ伏せその体を床から剥がすように肩を掴んだ。
「もう、いい加減起きてくださいよ!あんたもちょっとおかしいんじゃないか?こんな冗談に加担するなんて。あんた、曲がりなりにも……」
思いっきり腕を引いた。体がごろんと傾き、天井を仰ぐその顔に、東吾は怒鳴る。
「この教会の神父だろ!」
言って、手を放した。
この耳は、この教会の神父、その人のものに間違いなかった。 忘れもしない。二人で挙式用の教会に、とここを訪れた時のことだ。
教会の代表として出て来た彼の、前を向いた耳がどうにもこうにも気になって、挙式の仮契約を済ませて帰るその時に、二人で顔を見合せて笑ってしまったのだ。「まるで、七人の小人の耳のようだ」と。
打ち合わせの時の感触で、気さくでノリがいいのはわかっていたが、こんな事にまで付き合うなんて……。
東吾は半ば軽蔑しその顔を覗き込んだ。
神父の体は力なく、血だまりに転がり、鉄錆びた匂いの液体がびちゃりと跳ねた。
血液と思われるそれにまみれた顔は、目を見開いたまま、微動だにしない。 焦点のあわないそれはどろんと濁っていて、おおよそ、それは……演技には……。
「嘘、だろ」
東吾は一歩足を引きずるように後ずさった。
明らかだった。
これは、死体らしき塊じゃない。死体だ。
それを認識し、悲鳴が喉まで出かかったとき、雪子にぶつかった。
「ゆ、雪子」
「だから、話を聞いてって言ったのに」
雪子は寂しそうにほほ笑むと、死体を見下ろした。
その横顔は、やはり美しく、人を殺したばかりのものとは思えないほどの冷静さを湛えていた。敢えて何か感情をそこから探るなら、何かを遠くから見守るような愛情だった。
花嫁、死体、愛情
やはり整合性に欠ける組み合わせに、東吾の頭は混乱する。
そして、今ある知識と理性を総動員させて、雪子のその目に問いかけた。そうでもしなければ、それこそ悲鳴をあげてしまいそうな気がしたからだ。
「僕は、君の父親が神父なんて聞いてないぞ。君の父親は幼いころに亡くなったんじゃなかったか?」
雪子は東吾のその言葉を聞くと、ふっと、その目に哀しみの色を灯した。
そして力なく崩れるように傍にあった長椅子の端に座り込むと、無造作にナイフを握ったままの手を投げ出した。
「そうよ。この人は父じゃないわ」
「は?だって、君は今、父を殺したと……あ」
東吾は息をのみ、雪子を見つめる。
雪子は彼の察しが正しい事を示すように顎を引いた。そして、口元に笑みを浮かべると、乞うように東吾を見上げ、
「話を……聞いてくれる?」
質問の形の懇願をした。




