第七章 ただの紫乃として
紅望ノ国に住みはじめて一週間が経った。破吏ノ国の者たちはそれぞれが仕事を見つけ、新たな生活を始めていた。
私もこの国の領主、泉水家にファントムの情報を渡し、武器の作り方も教えた。毎日、泉水家が管理している武器作りを扱っているところに足を運び、武器作りの指導を行った。
「紫乃さん」
帰ろうとしていたところを不意に声をかけられた。
「京香さん・・・失礼、京香さま」
私は声をかけてきた人物の名を呼んだ。
彼女は泉水 京香。泉水家の一人娘で可愛らしい人だ。
「そんなお気になさらないで、どうか今まで通り呼んでください」
京香は慌ててそう言ってきた。
「では、お言葉に甘えて・・・京香さん、お久しぶりです。お元気そうで」
私がそう言うと、京香は笑顔で
「はい。紫乃さんのお顔が見られて安心しました。破吏ノ国では大変でしたね。ファントムに襲われただなんて」
と答え、最後のほうは心配そうな顔をして言った。
「えぇ。でも、生き残った破吏ノ国の国民を救えてよかったと思います。ファントムに襲われて亡くなった方たちの分まで私たちは生きなくてはなりません」
私はそう決意を固め、言葉にした。
京香は、そうですね、と笑い、その場を去っていった。
「────・・・ところで、いつまでそこに隠れているつもり?いるんでしょう、風雅」
私は扉の後ろに隠れている人物に声をかけた。
「別に隠れているつもりはございませんでしたが・・・京香さまの専属護衛なんで、ついて参っただけですよ、紫乃さま」
扉の影から出て来て彼、風雅は言う。
風雅は私と京香と同い年で、京香の専属護衛をしているという実力者。京香の父にとても信頼されている。
「まぁ、なんでもいいけど。ついていかなくていいの?京香さん、行っちゃったけど?」
私はため息混じりにそう言った。
「えぇ。その前に貴方に言っておきたいことがあります」
そう前置きして、風雅は厳しい目付きで言った。
「私は貴方を信用していませんので」
私はそれに対し、普通の考えだと感じた。
「別に構わないわよ。むしろ、京香さんが人を信じすぎなのよ。まぁ、たぶん、京香さんは私の家のことをよく知らないんだろうけど」
京香は世間知らずな面がある。箱入り娘だから仕方がないのだろうが、それでもいつかはこの国の領主となるだろう。そうなったときにあまりにも人を疑わないのもどうかと思う。
「いいんじゃない?あなたがしっかり京香さんのことを見ていれば。あなたは私のことを信用しないほうがいい。京香さんのためにも」
私は私の考えを淡々と述べた。
「そうさせてもらいます。京香さまに何かあっては困るので」
風雅は迷いなくそう答えた。その目には私を受け入れない強い意志を感じた。
「それに、貴方の家柄もそうですが、貴方のこともよくわかりませんからね。その眼鏡の奥で貴方は何を見て、何を考えているのですか?まぁ、訊いたところで紫乃さまは答えてくれないんでしょうけど」
風雅はそうも言ってきた。
彼は京香の父に信頼されているため、いろいろな情報を得ているようだ。かわいい娘のために京香の父も冷静沈着な風雅を専属護衛にしたのだろうから。
「答えないというか、答えにくいのよね。私は私自身のことがわからないから。とくに、眼鏡をかけているときはね」
私はそう答えた。
この国に来て尚も人前で眼鏡をはずしたことはない。私自身もまだ警戒しているからだ。
だから、私はまだ眼鏡をはずせない。
「とりあえず、伝えたので行きます」
風雅はもう用はないようで、私に背を向けて去っていった。
私はその背中に向かって思い出して言った。
「あ、私のことを“さま”なんてつけて呼ばないで。私はもう、逸見の人間じゃない。ただの紫乃なんだから」
もう、誰かの上には立たない。逸見 紫乃はもう消えた存在。