閑話 6-01. アリエルの不安 1
長くなりましたので、後半は明日投稿します。
ハイドランジアの紫陽花公園から地縛霊が一体消失したと倶生神から報告がありました。
倶生神は本来、現世に生きている人間達に2体ずついています。
人が生まれた時から、その左右の肩の上にあて、その人の善悪の所行を記録する大きさ手のひらほどの男女の二神です。男神は同名といって左肩に乗り善行を記し、女神は同生という右肩に乗って悪行を記し死後、閻魔様によるその方の断罪の資料として提出されます。その方の裁判記録を取るのも倶生神です。倶生神と亡くなった方が生きていた記憶は浄玻璃鏡に映し出されます。
小さな体でも神と名のつく獄卒ですからね…。この位の事は出来て当然ですよね。
担当の転生者が決まってない倶生神はその時が来るまで、冥界の連絡も担ってます。餓鬼落ちした亡者の数にもよりますが、冥界にはたくさんの倶生神達がいらっしゃいます。彼らは話す事は出来ませんが小さな体で身振り手振りで一生懸命伝えようとする姿は大変可愛らし…コホン、身振り手振りをしながら伝達事項を書いた書類を渡してくれます。
その倶生神から連絡を受けた時、私は体中の血が冷たくなる感覚を覚えました。
次の裁判を受ける亡者を案内している時、突如不思議な違和感を感じたのです。
それは私だけでなく、他の方達も同じようでした。
それから少しして、倶生神が私の前に飛んできました。
身振り手振りからすると急ぎの案件みたいです。
渡されたメモには、《現世を写す水鏡に突如歪み発生。ハイドランジア紫陽花公園から地縛霊が一体消失、原因不明》と、書かれていました。
水鏡の歪みは、冥界と現世の魂のバランスが崩れると波紋程度ですが時折起こります。ですが、わざわざ伝えてくるという事は、予想を遥かに越えた異常事態が起きているという事ですね。
それよりも、ハイドランジアから地縛霊が1体消失…?
え、待ってください。
しかも紫陽花公園…?
知らず知らず、冷や汗が背中を伝います。
紫陽花公園全体での地縛霊は全部で4体います。
芝生、橋、城跡地、高台に一体ずついらっしゃるはずです。
私は事実を確かめる為、もう一人の秘書官に亡者を託し急ぎ死神統轄部に向かいました。
倶生神達がせわしなくあちらこちらに行き交っていらっしゃいます。統轄部に向かう途中の廊下で死神統括長ハデス様が足早にこちらに向かっていらっしゃるのが見えました。
『ハデス様!』
私の姿に気づきつつもその足は止まりません。
『閻魔大王様の所に行く』
硬い声で絞り出すようにおっしゃっられました。
『では、あの情報は…!』
『原因は不明だが、事実らしい』
私の言葉を遮るように、ハデス様は首をお振りになられました。
『そんな…』
私は無意識でうつむき、祈るように手を組んでしまいます。
震えが止まりません。もし、あの方に何かあば冥界は……!
そんな私にご自分の手を重ねてくださったハデス様の御手もかすかに震えていらっしゃいます。
不安なのはハデス様も同じなのだと知り、少し気持ちが落ち着きました。
『取り次ぎを頼む』
『…はい』
私はハデス様と共に閻魔庁に戻りました。
先ほど別の秘書官に託した亡者の裁判を行っているようです。
この様子だと閻魔様はまだお気づきになってはいないようですね。
『申し訳ありません、ハデス様。裁判中のようですので少しお待ちいただけませんか?』
『緊急事態だが、裁判中は魂が変質しやすい。仕方なかろう』
しばらくして獄卒二人に両腕を拘束され引き摺られるように亡者がでてきました。
聞くにたえない罵詈雑言を吐き、私と目が合うとねっとりとした視線で見てきました。
私たち告死天使は、背中に翼を持っています。但し本物の天使の真っ白な翼とは違って、琥珀色なのです。亡者にとっては天使の種族は一緒に見えているらしくよく絡まれる事があります。返り討ちにしますけどね。
ハデス様が私の前に達視界を遮ってくださいました。
『スタイル抜群じゃねぇか、姉ちゃん。…どけよ、おっさん』
ハデス様に向かっておっさんとはどういう了見でしょうか!
でっぷりとでた大きなお腹を揺らしながら、ニタニタと笑う亡者に思わず目を細めてしまいます。
『……この亡者の行き先はどこだ?』
『叫喚刑です!』
亡者を押さえつけている獄卒が答えると、ハデス様はなるほどと呟かれました。
『アリエル』
『なんでしょうか?』
『少し思い知らせるといい。冥界がどんな所か、な』
と、ハデス様が言われました。
『よろしいのですか?』
『構わない。こういうやつは躾が必要だ』
そう、おっしゃられたハデス様は亡者を私の前に差し出しました。気をよくした亡者が私に向かって淫猥な発言を繰り返し、あのねっとりした目で私の身体を見ています。
ハデス様の許可も頂いたので私は亡者に向かって翼を広げ、そのまま後ろに引きます。同時に亡者も苦しみだしました。
『ぐっ、が』
目が剥き出し、首をかきむしり、口から泡を吐き出し初めた所で翼をたたみました。
亡者はぜぇぜぇと息を荒くしながら、何が起こったか解らず恐怖に染まった目で私を見ています。
『苦しかったでしょう? あなたの周囲の空気を抜きましたからね。これでも手加減したのですよ? あのまま続けてたら体は
ミイラみたいに干上がってますよ? あ、ミイラになっても亡者の体は再生されますから安心してくださいね?体のアフターケアは万全ですので、ごゆっくりと叫喚地獄を堪能なさってくださいませ!』
にっこりと笑って言って見ました。
何故かハデス様はクックッと声を圧し殺して笑っていらっしゃいますが、亡者と獄卒達の顔がひきつってます。
告死天使は空気を操ります。
現世の魂が大気に溶けて漂うように、冥界にも空気があるのです。大気濃度は変質してますけどね。阿鼻叫喚刑等、実刑で使われる炎はこの大気濃度とマグマを利用して燃やしているのです。
亡者に罰を与えるのは獄卒の仕事ですが、たまに不遜な亡者がいる場合、倶生神や私達告死天使も亡者に罰を与える時があります。一見無害に見える冥界の官吏達を嘗めないで欲しいものです。
『連れて行きなさい』
獄卒に命じて私はハデス様に向き直りました。
『ありがとうございました』
『いや、見事だった』
頭を撫でてもらいました。複雑です。
『裁判は終わったのだろうか?』
『亡者が出て行きましたから、今は次の亡者の裁判記録を確認していらっしゃるはずです。取り次い…』
『─っ! アリエル!!』
地の底から鳴り響くような低い声に、思わず震えあがってしまいました。
ハデス様に一声かけてから急ぎ、裁判の間に入室します。
震えながらも閻魔大王様を見上げると、ものすごく目が血走っていらっしゃいます。
『お呼びでしょう……』
『ブリードを呼べぇっ! 今すぐに!!』
『は、はいいいっ!?』
血走った目の閻魔大王の形相に、私は飛び出しました。ハデス様は少し目を見開いて驚いたご様子でしたが、状況を察したようで裁判の間に入室して行きました。
私は急ぎ秘書室に飛んで行きます。
秘書室で四方に散らばっている死神達を探すのです。
一瞬でしたが、浄玻璃鏡に映しだされた映像が脳裏に過ります。ブリード様が赤ん坊をぐるぐる回していた姿です。虐待でしょうか? 水子の霊なら問題ありませんが、生きている赤ん坊なら違反です。死神が見えない人間からみれば、赤ちゃんだけがぐるぐる空中を回ってるって事ですもの。騒ぎになるのは明白ですから、何にせよ厳重注意です!
死神の鎌には居場所を特定出来る装飾がついています。冥界のデータを写す水鏡を操作して探していると、どうやら冥界に向けて戻っている途中のようです。かなりのスピードですけれど何かあったのでしょうか?
こちらに向かっているのならば、冥界の門にいけば会えるはずです。
『アリエル』
ハデス様が水鏡を通して話かけてきました。
『ハデス様?』
『冥界の門を閉じ、真経津鏡を邏卒達に預け死神達を調べろ』
『え…、冥界の門を閉じるのですが? 怨霊が溢れてしまいますよ!? それに真経津鏡まで
持ちだすなんて、いくらなんでも…!』
水鏡は時折波紋を広げていますが、水鏡に映るハデス様の表情は青ざめていらっしゃいます。
『…消失した地縛霊は、ハイドランジアの紫陽花公園、高台だ。
浄玻璃鏡に映し出された』
その答えに私は言葉を失いました。
『まさか、そんな…!』
『直前に会っていたブリードに話を聞く必要がある。倶生神達とも連携して至急、ブリードを連れて来て欲しい。拘束してでも、な。頼むぞ、アリエル』
そう言って、水鏡の画像は小さな波紋を残してきえました。
胸に大きな不安を抱えながら、私は倶生神に使いをだし、宝物庫を管理している邏卒の一人、いえ一匹? マンティコア様に真経津鏡を持ち、他の邏卒達を連れて冥界の門に行くようにお願いします。各地の死神達も呼んでいるのであれば、冥界の門が閉じている事によってトラブルが発生する事も考えられますので、その対処もお願いします。
なぞなぞ好きな、ある意味で策士のマンティコア様なら任せても大丈夫です!
私が行くまでにブリード様が来た場合は引き留めておくようにもお願いします。
指示を出し終えたら、私も急ぎ冥界の門まで向かいます。
向かっている先々で、やはり色んなトラブルが発生してますね…
特に閻魔庁の中は今だ混乱しているみたいです。
死神統轄部の水鏡が波うって、統轄部が浸水していますね。あ、亡者が逃げ出してます!
とりあえず、羽で床や壁に縫い付けておきましょう。
ああっ! そこの倶生神さん、泳いではいけません!
色々と獄卒達や事務専門の死神達に指示を飛ばしながら冥界の門にやっとたどり着きました。
更新が遅れて申し訳ありませんでした。