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地獄の門

作者: 雲龍

 始まりは、20年前後も前、私が大学中退を決意し、進路に迷い、登別の間借りで夜中に叫び声を挙げた事からだろうか。


 同家に同じく間借りしている、面識もほとんど無い二人が駆けつけ、救急車を呼ばれた。


 完全なる発狂。だが、当時は、病院で『パニック症』と診断され、母も札幌から駆けつけ、母が来る前に、付き添っていただいたお2人には、お帰りいただいた。母と話す内容を考える為である。



 母を帰すことには成功し、心配した母は、私に携帯電話を送ってきた。


 だが、この後、間も無く、大学を中退することになる。


 母には、『作家になりたい!』と言ったが、猛反対され、中退後の私は、就職活動も上手く行く筈が無く、メンタルクリニックに通ったが、落ち着いた雰囲気のそのクリニックでは、私の病気の本性は、姿を隠し続けた。ただ、薬局か何かのアンケートで、意味不明な回答をしただけである。



 本格的な治療は、今は亡き父に殴られ、顎の骨を骨折し、歯医者ではどうにもならず、大きな病院の歯科口腔外科で歯をワイヤーでぐるぐるに巻きつけて固定された。


 その時の、レントゲン写真が、地獄の門に見えた。


 入院初日の晩、私は病院を徘徊し、途中から記憶が無いが、気付くと、精神神経科の保護室に閉じ込められていた。


 隣の保護室がうるさく、『うるせえ!』と叫んでいたのもある時期から飽き、大人しくなった頃に、保護室からの病棟内の移動を許された。


 実は、この頃に、私の初めての恋人が出来る。薬漬けで正常な判断能力は無かったが、可愛かったので、『付き合って』と言われて付き合い始め、ファーストキスもその人である。顔は覚えていないが、名前は覚えている。大分後に、結婚して幸せに暮らしているらしいと聞いて、ほっとしたものだ。


 分かれた切っ掛けは、彼女の退院を切っ掛けにする自然消滅である。一度だけ、お見舞いに来てくれたが、その時には薬漬けで、ベッドに寝たきりの毎日であった。


 毎日を、ただ何となく過ごすだけで、将来とか、そんなことは全く考えていなかった。


 退院後、精神科デイケアの利用を勧められ、そこに通ったが、私は入院を含めて闘病生活オンリーで、10年間ほどを過ごした。


 何となく、将棋を指していた時期が長かったことを覚えている。


 卓球も、少しした。札家連や北家連の大会で優勝した覚えがあるが、団体戦で、私の勝敗は関係なく、実力の高い三人が勝ちあがってくれた。


 その後だと思うが、フットセラピーをデイケアの紹介で学び、作業所で働いた経験もある。ここからが、私が働き始めた切っ掛けだった。


 パソコン関連や委託関係の仕事をする作業所も通ったが、私は、デイケアで問題を起こし、デイケアを利用自粛することになった。ほぼ、利用禁止に近い扱いだった。


 そして、ハローワークで勧められてパソコン関係の訓練を受けて、MOSを4つ取ってMsterの資格も得たし、ITパスポートも取得した。


 その後、ハローワークの紹介で、すんなりと、障がい者枠での就労に至ったのだが、初日に、『慣れたら2時間で出来るからね』と言われた仕事を30分でこなし、最終的に、その、表を作る作業は、最新データが入ってから5分で作れるようになった。午後の会議で使う資料作成も、余裕でミスも少なく行っていた。

 ただ、逆に仕事が少なすぎるのが苦痛になった私は、騒動を1つ起こして半年ほどの休養期間をいただいた後、次の契約更新の際に退職した。


 その後は、訓練をまた受けて、『ワンチャンスある』と言われて目指したプログラマーの道を障がい者と30半ば過ぎという年齢を考慮して、実力も無かったので、採用には至らなかった。ただ、基本情報の資格を取ったのは、クラス内で私1人だった。


 あとはA型とB型を転々とし、続けられる状況では無くなって、どんどん辞めていった。


 だから、私は、履歴書を見られた時点で、採用される可能性は無い。


 3年は続けると思ったA型も、入院を期に辞めることになったが、後に復帰し、待遇が最初の採用時より悪かった代わりに、雇用契約を結んでいないので、辞めたいと言って辞めた。

 入院前のスペックと給料に追いつける自身が無かったし、他にも細かい理由は幾つかある。


 そして、行き詰まった今、風邪を引いて一週間経っても治らず、いつ治るのかと、仕事はどうするのかという悩みに追い詰められている。



 この文章を書こうと思った初期は、色々と脚色を加えるつもりもあったが、一気呵成に書き上げるにあたって、省略してしまった。


 風邪が、絶望を運んで来てくれる。

 一体、いつになったら治るのだろうか。

 いつまで、絶望と戦わなければならないのだろうか。


 今、決定的に心を折られたら、生きていられる自信が無い。

 この文も、掲載して放置するつもりである。


 3年以上の勤務経験が無い。それだけで、仕事は極端に限られる。

 適性とか、色々考えたら、働ける仕事は無いのではないかと思っている。


 大体、ブラック企業に当たる可能性が高いと思っている。

 口実をつけて、仕事を適度にさせて、辞めさせるだろうと思っている。当然、給料は支払われないだろう。逆に、罰金の可能性もある。


 二度と働けないかも知れない。

 派遣も、条件が厳しくなったと聞いた。

 移行は、A型。B型と同様、利用するつもりは無い。というか、既にお世話になっている。

 協力を得るつもりは無いが、1人でも何も出来ないだろう。


 こんな私を知れば、『ざまぁみろ』と思う者が多いことが容易に想像出来る。


 大学の、最初の講義で思ったのだ。

 初日の最初の講義で遅刻した学生に、講師が『死ね』。

 私は、必修のその講義を取れない以上、卒業できないだろうと思っていた。

 だから、その時点で辞めるべきだったのだ。


 だが、今、言っても仕方が無い。


 中退はしたが、成績は『少し優秀』だったのだ。不可の単位が多すぎるが故に。不可は換算の対象外だったのだ。


 気にしなければ良かった?


 高校のトラウマ故に、それは出来なかった。


 何も、特出して優れた能力は持っていない。

 ただの器用貧乏なのだ。



 思えば、小1の時に、既に狂っていた。

 保育園での経験から、舐められないようにと無作為に背後にいた人物を殴ったら、女の子だったのだ。


 これだけでも、止めて欲しかった。

 他の後悔は、私もツラい思いをしたし、別に構わない。


 でも、その子にとっては、一生物のトラウマだろう。



 私など、最初から存在しなければ良かったのだ。


 絶対に、私が成功者になることはあり得ないだろう。

 さっさと消えたい。


 だが、母を1人で放置するわけにはいかない。


 母が生きている間は、生きる。

 でも、その後は分からない。


 最早、生きる価値無し。


 せめて、真っ当な仕事をしたいものだが、それもままならぬだろう。

 資格を活かす能力も無い。


 詰んだ。


 あとは、汚く盤面を荒らして生き残ることを考えるか。

 一手差?そんな甘い最後を迎えられる筈が無い。



 世の中には、もっと苦しい人が居ることも知っている。

 でも、それを助ける者は居るだろう。


 私は、全ての助けを振り切って、自分で生きる道を選ぼうと思っている。……母が生きている限り。

 しかし、そんな甘い職場は無いだろう。あったとしても、私が採用されるわけが無い。


 引きこもり。私は、そんな生活をすることを危惧している。

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