Vol.3 感謝知らずの男
https://www.youtube.com/watch?v=BpOCo3V16fA
3.
くだくだしいのは省いて簡潔に申し上げますと僕、尾崎心は、馬喰横山花京子という名前の長さも体重も倍以上の三十路女と定期的に肉体関係オーイェーを結ぶハメになったのです。敬語。
とネガティブな書き方をすると「彼女のことを憎からず思っていたんじゃないの?」と仰る向きもあるかと存じますが、実際、諭吉を五枚握らされてから相手の獣欲を受け止めるのは心がしんどいのだ。敬語もうやめ。
心だけではない、力が強いうえに、僕の倍ほど地球と仲良しなボデーで乱暴に腰やら顔面やらに乗っかってロデオする(隠語)ので、僕はへとへとに疲れてしまうのだ。「私がやめていいと言うまで舐めててほしい」「あなたが何回出せるか試してみたい」「今日はお互いこの野球のユニフォームを着てバッテリーになりきってしたい」など様々な要求をしてくるのだ。ちなみに横山さんがピッチャー役だったのが一番納得いかなかった。
定休日は必ず、多いときは週に三回ほど呼び出しをくらい、就活をする気力もなくなるほどの乱痴気騒ぎの連続でけっこうな非課税収入を得て懐がぬくまった僕は、この爛れた関係を断ち切ろうと固く決意、さあ今日こそ話を切り出そう、と自宅から徒歩十分のところにある横山さんの事務所があるマンションへと冬の曇天の下を歩いていた。住宅街を吹き抜ける風に凍えながら背中を丸めて歩いていると、何やら騒々しい音が聞こえてきた。パトカーや野次馬が往来している。マンションの前に着くと、救急車とパトカーが停まっている周りに人だかりができていた。オートロックのガラスドアが開くと、救急隊員が担架に毛布か何かを被せて、四人がかりでよたよた運んでいるのが遠くから見えた。
ダッシュしたり180度進路を変えるのはいかにも不自然だと思ったので、そのまま素通りすることにした。か、関わり合いになりたくねー、という一心でスタスタと、いつぞやの街コンの司会者に気持ちをシンクロさせて風のように通り抜けていった。
その日から横山さんからの連絡は途絶えた。一週間ほど経ってから、僕は再びマンションを訪れていた。オートロックの前で部屋番号をプッシュ。静かなロビーに鳴り響くベルの音。反応なし。ううむ、監視カメラに睨まれてる手前、あまり長いこと立ち止まっているわけにもいかないな。ドアの前で立往生していると、艶やかな黒髪を肩のあたりでピシッと切りそろえた背の高いパンツルックのスーツ姿の女性が歩いてきた。よし、この手は使いたくなかったが……。
女性が見てる前で、もう一度呼び鈴を鳴らす。やはり反応なし。ここで少し下がって女性に手の平でさっと場所を譲るジェスチャーをしてからスマホを起動、イヤホンを端子にぶっ刺して左右の耳に装着、誰かに電話をかける演技をしながら、女性に聞こえるような声量で「チッ、あいつ寝てやがんな……」と呟く。女性は感情の見えない銀縁のメガネの奥の瞳をちょっと動かしてこちらを一瞥、特に気にした様子も見せずに、お堅い印象とは裏腹に派手なピンクのエナメルポシェットから鍵を取り出し、プッシュボタン横の鍵穴に差し込んで回す。開くドア。女性がこちらをチラッ。
「おー、今着いたとこ。呼んでも出ないからさー……寝てた? うん、今からエレベーター乗るからすぐだよ、うん、顔でも洗ってろ(笑) じゃあな」
まるっきり出まかせの通話を切る演技をして、イヤホンをスマホにぐるぐる巻きつけてポケットにしまいながら女性のあとに続いて自動ドアを通り抜ける。いやーとても自然で女性も警戒してないみたいだ。よかったよかった。
抵抗はあったけど、女性とエレベーターにご一緒して、階数ボタンを押そうとする。しかし目的の階数が既に押されていたので、そのまま目的の階まで無言で待つ。
奥の壁に背中を預けながら、ボタンの前で行き先表示を見つめながらつっ立っている女性を後ろから見る。ヒールがほぼないぺったんこのエナメルパンプスは、ポシェットと同じで表面がツルッとした蛍光ピンクだ。それなのに僕より少し背が高くて、スーツの太ももやおしりのあたりはシュッと細く締まって見える。手は指が病的に細くて、横山さんのクリームパンみたいな手首とは違って、肉がまるでついてなくてごりごり硬そうだ。
おっと、じろじろ視すぎてしまった。横山さんの事務所のある階に着いた。女性が『開』ボタンを押して首を少しこちらに向けて、無言で「お先どうぞ」とインターホン前での僕のように手のひらで促すので「あ、ども」と言いながらすれ違いざまに会釈をして外に出る。
事務所のある部屋の前に行き、改めてインターホンを鳴らしてみる。やはり反応がない。スマホを取り出し、今度は本当に通話を試みる。呼び出し音は鳴るが、いつまで経っても出ない。一応、ドアノブを捻ってみたが、当然鍵がかかっている。
扉の前でやっきもっきと貧乏ゆすりをしていると、さきほどのスーツの女性が近くに立ってこちらを見ている。
「あの――」
おどおどとした態度で遠慮がちに話しかけてきたその声はかぼそくて弱々しかった。
「――京子さんのお知り合いの方ですか? それとも、お客さん?」
「え? ……え~と」
「あ、馬喰横山さんのことです……」
この人も目的地はここだったのか! しかし、なんと言ったものか。いや、ここは普通に「知り合いですが、最近連絡がつかなくなったので心配で訪ねてきました」と正直に話すべきか。肉体関係を匂わさないように慎重にいきたいぜ。
「あの、京子は……先日事故で亡くなったんですが……聞いてませんでしたか?」
「あ、やっ」ぱり。と言いかけてグッと飲み込んだ。上手に本音をごっくんできてえらいでちゅねー自分。
「そうなんですか。何度か会ったことのある友人? なんですが? 住所は知っていたので様子を見に来たのですが……残念です」
さも横山さんの死を悼んでます、といったような沈痛な面持ちで言った。まぁそうだろうな、と予想していたことだし、ハナからあの日から関係を断つつもりでいたので、実を言うとそこまで哀悼の意はないのだけど。
それどころか、今の自分の本音はというと、この女性、横山さんを下の名前で呼ぶほどの間柄の女性に事故前後のこと、横山さんとどこで会ってどんな話をしてきたのか、とかそういう話に発展するのは少し面倒だな、でもちょっとイカした人だしお近づきになりたいような……みたいな不埒も不埒、わりとサイテーなことを考えていたのだった。でもでもだって、胸はないしファッションもエキセントリックだけど、こんなにすらりとした涼しい顔の美女を前にしてちょっと仲良くなりたい、と思うのはもはや本能なので、誰が僕を責められようか、いや誰もいない。
反語法まで用いて内心で自己弁護をしながら眉をハの字にして沈痛な面持ち(の演技)をしていたら、あることに気付いた。
横山さんがなんらかの事故で死んだことを知っているこの人は、この鍵のかかった部屋に何をしに来たのだろうか。横山さんを京子と呼ぶ――。
「ご家族の方ですか?」
故郷がどことか家族構成がどうとかの話は一切したことがなかったのだけど、状況判断というか、まぁそれが妥当だろうなと思った。だとしたら、やはりさっき一階のインターホンの鍵穴に差していた鍵は――。
――ガチャリ。女性は取り出した鍵で開錠すると部屋に一歩踏み入れた。そして――。
「家族ではない……です……。尾崎さん、よかったら中で話しませんか……? 遺品の整理とかを頼まれてますが、急ぎではないので……。ふふ、その……京子から、いろいろと聞いてます……」
――なんとまだ名乗ってもいない僕の名前を言い当てたのだ。横山さんは僕との関係を、一体どこまでこの目の前の美女に話したのだろうか。途端に、横山さんとの乱痴気騒ぎの一幕が脳内でHD画質で再生され、少し顔が熱くなるのを感じる。
「ふ……ふふ…………オートロック……勝手に通ったら……ダメ……ですよ?」
不謹慎だが、頭の中に明朝体で「死にたい」と巨大な文字が浮かび上がって七色に明滅していた。死にたい。