Vol.2 小さな喫茶店(ドトール珈琲店)
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2.
二年後の夏、僕は職を失っていた。勤めていた会社が不渡りを出す、からの倒産というコンボを食らって従業員は退職金ももらえず東京ジャングルに放り出されてしまったのだ。
慰めの言葉をかけてきた友人は、なんといつの日か街コンで出会って二次会カラオケに行った婚活戦士とそのままゴールインしたらしく、それなりに幸せそうにしていた。
職を失って、日々インスタントラーメンで糊口を凌ぐ(誤用)自分としては、そんな友人の幸せを素直に言祝いで「ありがとう、僕もご健勝で頑張るから、これからのご活躍をお祈りしててくれよな」とはいかず、ただただ「同情するなら金をくれ」という言葉しか浮かばなかった。そしたら焼肉をおごってくれたので嬉しかった。いい奴。
転職、これを疾くせんければ、とスーツ姿で東奔西走。または私服姿でハロワ通い。
夏の日差しを黒いスーツが吸収して体を焦がす。うん、暑いというより熱いよね。(暗黒苦笑)
錦糸町駅前のカフェで涼みながら、履歴書を読み返す。資格、特技の欄が真っ白だ。こんなことなら、学生の間に普通自動車免許の一つでも取得しておくんだった、とほほ。覆水盆に返らず。
水……盆……頭の中に浮かんだ故事成語に、何か思い出しそうな、むずむずとした感触を感じたような感じを感じた。なんだっけな……。
二人掛けソファーにゆったり深く腰掛けていたのを、しゅしゅっと浅く座り直し、背筋をピンと張り伸ばして考える。テーブルの上の盆にのったアイスコーヒーのグラスの表面の結露がつーーーーっと重力に従い落ちていき、紙ナプキンに染み込んでいく。染みが広がるように、記憶がふぁーっとよみがえってきた。あ。
「あれ? 尾崎くん?」
頭で「あ」と思って、それが口から小さく漏れそうになったのと同時、唐突に背後から声をかけられた。「あ」は「あっ!」という音になって口から爆裂した。カフェの客が首を動かさず、目線だけこちらにチラとよこしてすぐにまた手元の文庫本やスマホや新聞に目線を戻す。恥ずかしっ。
「ごめんね、びっくりさせちゃった?」
「えっと……」
「馬喰横山、長いから横山でいいよ」
「ああ……」
いつぞやの非婚活戦士でした。敬語。
「久しぶりー。って言っても、一回しか会ったことないけど。ていうか、よく私顔覚えてたなぁ、名前も。名刺とかも何ももらってないのに、すごっ」
「おかわりないようで……」
「はは、相変わらずたまにタダメシ会に行ってるよ。尾崎くんはお仕事中? あ、隣座っても大丈夫?」
聞きながら、すでに尻を椅子にロックオンしてふるふるさせている。断る理由もないし、僕は無言で手のひらで「どうぞ」のゼスチュア。
「横山さんは、お休みですか?」
「うん、今日は久しぶりにお休み。って言っても、普段もそんなに忙しいことはないんだけどね」
いいなー、と素直に思った。なんとなく悔しいから口には出さないけど。
「なに、尾崎くんはノマドワーカー?」
「いや、その……」
自分の現状を、窮状を、言おうかどうか迷った。夢の話、宝くじの話と同じくらい、他人の仕事関係の不幸話はつまらないのだ。
横山さんは、特に詮索してくるでもなく、にこにことしている。まずい話振っちゃったなーと内心で思ってそうだけど、たぶん気を使って表情に出ないようにしてる。まずい現状ですいません。
「私はね、協会にはもう行ってないんだ。覚えてる?」
「ああ、えと……アイ…なんとかション・ボックス」
「アイソレーション・タンクね」
「あ、そうか」
「名前なんかどうでもいいけどね。で、そのなんとかション・ボックスを自分で買って、マンションの部屋借りて、そこで有償で貸出ししてるの?」
「はっ?」
「これがねー、ぼろ儲けでね……って、ごめんね、尾崎くんにこんな話をして」
求職活動中なのに金持ちが自慢話をしてごめんね、ということなのだろうか。謝罪をするなら金をくれ。
「でも申請とかしなくちゃいけないこととかすっ飛ばして内緒でやってるから、あんまり言っちゃダメなんだけどね。そして、だからこそ儲かってるんだけど」
クレイジー。いきなり犯罪まがいの話をしてきやがった。そんな話はすぐに切り上げて、友人があのときの街コンがきっかけで結婚した、とかそういうハッピーでピースな話をしようかな。
「で、どれくらい儲かったんですか?」
俗物の自分がうらめしい……。
「んー、例えば、月にお得意様が三人か四人、利用してくれれば、家賃はまずそれでペイできるくらいかな。今はね、定休日は週一で、それ以外の日はだいたい予約が入ってるよ。一日に二人利用者がいる日なんてがっぽりだよ」
「ほぅ……」
「いんやー、私にそんな商才があったなんてね」
よく見ると、記憶の中の横山さんよりも、さらにふくよかになっているような……。やっぱり儲かってる人はみんなふとっ――――ふくよかになるもんなんだなぁ。
「いやー、それにしても暑いよねー。デブにはちょっと辛い季節だよ、夏って」
「僕みたいに痩せてても、スーツだと日の光を吸うのか、すごい暑いですね」
「あ、自分は痩せてる、ってことは私のことはやっぱデブだと思ってるんだ」
「うぐ……いや、その……」
「あはは、悪いね。なんかこういうのちょっとおばちゃんくさいな」
からかわれているようだ。あるいは、おちょくられている。いい大人だというのに、うまい切り返しのひとつもできない自分が情けない。
「暑くてまいっちゃうから、お客さんがいないときは、水の温度を下げて、自分でタンクに入ったりしてるんだ。ぷかぷか浮いてると、本当に涼しいんだよね」
「へぇ」
「タダでいいから、よかったらこれからどう?
はじめは慣れないかもしれないけど、水に浮かんだまま眠ったりもできるんだよ」
「でも……」
冷たい水に浮かんでお昼寝。なんと心地よさそうなんだ。――しかし。
「あ、まだ協会の勧誘、とかそういうの心配してんの?」
「え、心を」
「読まないし読めないし……ってなんかデジャヴ。もともと、人脈を広げるためというか、お金儲けするのに利用させてもらうため、ってところがあったからね。そんなに愛着もないんだ」
人見知りを直してもらった、みたいな心温まるエピソード話してなかったか!?
「いやだね、年を取ると薄情になるのかな」
関係ないような……。
しかし、改めて見ると、年を取った、ふくよかさに磨きがかかった、とは言っても、横山さんの肌や髪はつやつやとしていて、自信に満ちた表情も相まって十分(なんて上から目線な言い方は失礼だが)綺麗だと思う。いったい今いくつなんだろうな。
「尾崎くんは今どこに住んでるの? 前はこういう話はしなかったよね」
「前に新宿で会ったときと同じで、ここ、錦糸町にずっと住んでますよ」
「あ、そうなんだ! さっき言った私の事務所もここからすぐなんだよ。へー、奇遇だね」
う、場所が離れていたらうまいこと言って断ろうと思ってたけど、近いと断りづらいな……。でももう協会とやらと関わっていない、ただのご厚意からの発言であれば、無碍に断るのもいかがなものか。そして、もし「ご好意」だったら……いやいや、そんな期待すんなよ自分。横山さんの豊満な胸を揉む妄想をするなよ自分。下心から少し揺らいでしまう自分が恥ずかしい。
「ああ、でも今尾崎くん忙しそうだもんね。久しぶりに仕事関係以外、お客さん以外と話せて嬉しくなっちゃって、三十路に突入したというのに、年甲斐なくはしゃいじゃった」
三十路に突入……おばさんとか言ってたけど、自分とそんなに変わらないじゃないか。あー、養ってほしいなー。金持ってるんだろうなー。
「あー、いいなー……」
やばっ、漏れてた。
「え、何が?」
「あ、いえ、その……儲かってて、うらやましいな、と……へへ」
「あーあーあー、なるほどね。尾崎くん今、もしかして転職活動してる?」
「ええ……会社が倒産して、転職……求職?活動? をしてますね……」
思わず面接官に対するみたいにしどろもどろになる。
「ええっ、それは大変だね。ウチはスタッフ取ってないけど、お手伝いは大歓迎だから、もし時間あるとき来てくれたら、少しお給料出るよ?」
優しいなぁ……。でもそんなお手伝いくらいのお賃金だったら、他にバイトなり探した方が――。
「そうだね、一日六時間……いや、五時間働いてくれたら五万円出そうか。困ってるんでしょ?」
「やらせてください」
愚か者の僕は深く考えずに甘い言葉にルパンダイブ(古)したのだった。