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Hey!  作者: ヤナイ
1/6

Vol.1 Fat Bottomed A Girl

https://www.youtube.com/watch?v=VMnjF1O4eH0

1.

「夢の話と宝くじが当たったらどうするかって話、これって面白くなりようがないよね」

 アイスコーヒーの入ったグラスが汗をかいて盆に敷いた紙ナプキンを濡らしている。その様子をぼーっと眺めていたら、目の前に座る馬喰横山さんが唐突に話し始めた。

「まず夢の話。どんな突飛な、ありえないことを言われても『夢なんだし』で片付くし、そこにその人しか知らないような要素、家族とか友達とかが出てきたら、もう全然感情移入できないっていうか、もう退屈で退屈でしょうがないってなるよね。そこはもう『○○な夢を見て寝起きが悪くてね』みたいにスパッと短くまとめて、現実の話題にシフトするのがスマートだよね。次に宝くじの話。夢のある話だけど、基本的に相手の金銭感覚とか、普段の暮らしぶりがわからないとなんだかノリづらいっていうかー? やけに現実的なプラン、お金の使い道について語られても興味ないっていうかー? 思わず年甲斐もなくギャル口調になるくらいやっぱり退屈しちゃう」

 まぁ、わからなくはない。僕もこれらの話題を面白く話せる人に会ったことがない。でも、別に僕たち一般市民は常に面白い会話をしなくてもいいのだから、気にすることはないと思う。ただ、なんとなく会話のキャッチボールというか、その場の、その話題を扱っている全体の空気、アトモスフィアをお互いに共有して僕たちとりとめもないお喋りに興じて、本当に仲がよろしいよね、僕たちの友情はこういうくだらない時間の積み重ねがはぐくんできたんだよ、それはこれからも永遠だよ、つか腹減らね? 焼肉でもいかねっ? と『会話をすること』それ自体が目的なのだから、話芸を主にメシの種にする芸能人たちと同じ目線で会話、これをエンタメとしてなりたたせなくてもいいのだ。

 と、ここまで考えて、それでも僕は押し黙って盆の上のグラスの表面の結露を眺めていた。あ、結露どうしがくっついて大き目の水滴になって、重力に従い落下していく、グラスの底までつーーーーーっと滑り落ちて紙ナプキンに新しい染みを作っているよ。

「……やっぱり、私みたいなおばさん相手じゃ退屈だよね、尾崎くん」

「あ、いや、そういうわけじゃ……」

「ごめんね、私ばっかり話して」

「そ、別に、馬喰横山さんの話、全部聞いてるし、大丈夫……」

「横山、でいいってば」

 馬喰横山です、これでひとつの苗字です。長いから横山で覚えてくださいね、っと彼女の人生で何度も繰り返されたであろう名乗りはおぼろげに覚えているが、それ以外のことははっきり言ってほとんど覚えていない。友人に連れられて行った街コンの会場のカフェ、そこでロコモコとサラダがのったランチプレートを突きながら、初めて会った男女がぎこちない会話をしている。僕は友人にどうしても行ってみたいけど一人じゃ勇気が出ないから、と誘われて行ったけど、こういう場で恋人を作ったりというのは考えてなかったのと、あとはふつうに人見知りで(「ふつうに人見知り」ってなんだよ)あまり積極的に会話に参加することはなかった。

 男性陣に比べて、女性陣の真剣さはこれすさまじく、露骨には聞かないが、相手の仕事内容や勤続年数、普段の暮らしぶりからなんとか年収やだいたいの学歴を聞き出そうとしているのがわかった。気軽に遊んだりできる相手やもしくは恋人を作ったり、あわよくば性行為を通じて異性間で友情をはぐくんだりしてみてえな、みたいな浮ついた気持ちの男性陣とは温度差があった。女性陣は一言でいうと「パートナー」を探しに来ているという感じであった。要するに結婚相手、これを私は、わたくしは欲しているんですよほほほ、あなた御実家のご両親の年齢は? 先祖代々の墓の詳細とか聞いていい? てかLINEやってる?

 主催側から派遣されてきた司会の男はきっちり段取りを進めて「二時間ほどの会食を終えたらあとは各自二次会に行くなり、気に入った相手と宿泊施設で休憩するなりしてください、この後の段取り、スケジュール、プランについては当方はもう干渉しませんのでどうぞ随意にお過ごしください勤務時間が超過しておりますので私は本社へ戻ります」といった雰囲気をむんむんに発散させながら背筋を伸ばして早歩きで新宿の雑踏へと消えて行ってしまった。

 友人は二時間の会食の間に形成された四人の男女グループで連れだって二次会のカラオケに行ってしまった。誘われはしたけど、ちょっとそういう気分でなかったので断って、僕は特に未練もなく司会の男同様、背筋を伸ばしてその場を離れようとした。が、カフェに背を向けて歩きだそうとしたときに後ろから声をかけられた。馬喰横山……横山さんだった。

「お友達と一緒に行かないの?」

「あ、誘われて、来たけど、でももういいかなって。えと」

「横山だよ、尾崎くん」

「あ、そうです尾崎です」

「うん、尾崎くん」

「えと、横山さんは」

「うん?」

「今日は、一人で来たんですか?」

「そうだよ。女性側は無料で飲み食いできるからね、たまにおいしいもの食べに参加するんだ。でもここのは正直微妙だったな。司会の人もなんか事務的で、女性陣がガツガツしてて、雰囲気も微妙だったかも」

「たしかに」

「尾崎くん、今店出たばっかりだけど、暇ならおごるからお茶でもしない? 私はもうこのまま帰ろうと思ってたんだけど、なんか暇だし付き合ってよ」

「あ、全然いいです」

「そう? じゃあ店入ろっか」

 小さな二人がけのテーブル席にさっさと座り、ウェイターにアイスコーヒー二つだけを注文、そして了承してついてきちゃったけど年上の女性と何話していいのかさっぱりで、質問されたらちょちょっと返すけど、でも相手が話してる間はずっと黙って聞いてる、という実に気まずい時間を過ごすことになってしまったのだ。

「尾崎くんは友達に誘われて来たんだよね」

「はい」

「じゃあ、出会いとかにはあんま飢えてない感じなんだ。案外、もう彼女いたりして」

「いや、いない……ですね」

「そうなんだ、別に今はいらないかなーって感じ?」

「どうなんだろう……欲しくない……わけじゃないけど、別にそこまでって感じ……ですかね」

「うんうん、そんなもんだよね。私もそうかも」

 本当に、ただごはん食べに来ただけなんですねははは、と喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。相手の考えがよくわからないので下手なことを言うのはよしておこう。そして気にするあまり貝のように黙ってしまうのだった。

 大きな窓から新宿三丁目の裏通りの日常が見える。天気のいい平日だ、みんな忙しそうにたったかたったか歩いている。やっぱりスーツの人が多いな。 さよなら、さよなら! こんなに良いお天気の日に 仕事にゆくのかと思うとほんとに辛い とか考えてるのかな。

「恋人はそこまでだけど、なんだろうな、友達は欲しいかもね」

「そんなもんですかね」

「うん、私人見知りだから」

 出、出たー。自分のこと人見知りって言いながら全然そんなことない奴ー。とも思ったけど、たしかに会食のときは自己紹介以外のときは基本聞き役に徹して、あまり積極的に周りに話かけていなかったような。逆に、サシの方がリラックスして話せるタイプなのだろう。大勢の前では他に紛れて話しかけたり上手に笑ったりできるけど、サシになると黙ってしまう、そういうタイプもあるからね、一概に人見知りって言っても僕みたいなのと横山さんではタイプが違うだけで、人との距離感、間合いみたいなものの取り方が下手って点では似たり寄ったりかもね、はは、失礼なことばかり考えてしまう。頭の中ではこんなに饒舌なのに口から出るのは「えー」とかいう気の抜けた曖昧な相槌。

「昔はね、本当に人と話すのが苦手だったんだけど、今はなんとかこうやって尾崎くんと話すみたいに、お喋りもできるようになったんだよね。昔はさっきみたいに夢の話がどうとか宝くじがどうとか、そういうことを頭の中で考えたときにそのままいろいろ考えすぎちゃって、それがすごい量になっちゃって、口にするとあまりに長くなっちゃうからって黙っちゃってたんだけど、今はとにかく何も考えずに口に出しちゃって、話ながら考えればそれでいいかな、って思えるようになったなー。別に芸能人じゃないんだから、話が面白くなくてもいいじゃんって今は思うんだよね。会話すること、その雰囲気、アトモスフィア、ムード? なんとなくでいいじゃん気楽にコミュニケーションしていければって感じ」

「あー、わかります」

「そうだよね、会話に意味なんか、そんなないよね」

 横山さんと心がシンクロしたような、そんな気がした。案外気が合うのかもしれないな。僕たち友達になれるのかもしれないね、オーイェー下心はないからカラオケにでも行きませんか? なぜか暗い密室で二人きりになったりしてみたいもんだなーとか考えていた。

「一人じゃ気づけなかったかもしれないけど、みんなが気付かせてくれたんだ」

「みんな?」

「うん、協会のみんな。とても話し上手でね、私が口下手だったから、いろいろと気を使ってこうしたらどうだろう、それは考えすぎで喋れないのかもね、って仲良くしてくれた上に口下手まで解消してくれてねー」

「キョーカイ?」

「うん、資料があるから見てみる?」

 どさり、テーブルに置かれるパンフレットの束。横山さんの目はあくまでにこやか。オイオイオイ、これっていわゆるお宗教のお勧誘ってやつじゃないですかやだー。小銭をテーブルに叩きつけてダッシュで新宿二丁目のゲイバーに駆け込んでおかまの胸にかき抱かれておかま口調でいやんいやんいやんと泣き叫んですっきりしたいような気持になった。

「あはは、ゲイバーでムキムキのおかまに抱かれて何もかも忘れて泣いちゃいたい、みたいな暗い顔してるっ」

「え、心を」

「いやいや読んでない、ていうか冗談で言ったのにマジでそんなこと考えてたの?」

 いやんいやんいやん。横山さんの表情や雰囲気は変わってないのに、そんなお宗教のおパンフレットなんてきわどいアイテムを出されて、こっちは今まで通りの無垢でか弱い若者、みたいな面で黙っていられる精神状態ではいられなかった。さっきまでの、この人とカラオケでベロチューとかできたらちょっと気色がいいな、とか考えてた脳足りんな自分を激しく打擲したいような気持ちがむくむくと湧き上がってくる。そして今すぐここから去りたいよぼかぁ。

「ごめんごめん、そんな絶望顔しないでよ。引いた?」

「え、いやー、どうでしょうかね……」

「別に勧誘とかはしないから安心して。無理に連絡先聞いて、しつこく電話したり家に押し掛けたりとか、そういうことはしないから大丈夫」

 ほっ、なーんだよかたよかた。とはいきなりならない。

「協会の人に資料を押し付けられてさ、困ってるんだよね。ノルマとかそういうあからさまなのはないけど『できればあなたも私たちの活動にもっと積極的に参加して、よければお友達とか連れてきて仲間を増やしてくれると嬉しいんだよねー』みたいな空気は醸してくるけど」

 仲間、仲間ねー……。信者とは言わないのね。

「あ、協会とは言ったけど『教会』ではないよ、協力する会、で協会」

 同じようなもんでしょ。

「家族とか知り合いに話すと引かれるだろううから黙ってるんだけど、いやー、人に話したくてね」

「勧誘、ではないんですよね」

「全然?」

 みんな口ではそういうんだ。そして話を聞いていくうちに気づいたらマントラを唱えながら日曜礼拝に参加している自分に喜びを感じる肉体からだになってしまうんだ。

 テーブルの上に置かれたパンフレットの束をちらっと見る。怪しげな雰囲気というよりは、なんとなくスポーツクラブのパンフレットみたいな、そういう印象の、スポーティなムードを醸している表紙。

「押し付けられちゃってさ、早いとこ処理したいんだけどねー。駅のゴミ箱とかにポイしちゃいたいけどなんか怖くてね」

「協会? では何をするんですか……」

「なんかねー、箱の中に入って、素っ裸で塩辛い水にぷかぷか浮かんでいろいろ瞑想したりして、あ、アイソレーションタンクって言うんだけどね」

 しまった、語りだしてしまったぞ。いやんいやん。

「ごめんごめん、だからそんないやんいやんって叫びだしそうな顔しないでよ」

「え、心を」

「読んでないし読めないし」

「セッションの効果で集合的無意識に入り込んで僕の頭にハックできるように……」

「しないしできないし……。ほんとごめんね、もうこの話はおしまい」

 素っ裸で死海に浮かんで、今のような朗らかな表情で瞑想する横山さんを脳裏に描いた。

エロティックというよりは、なんだかミレーのオフィーリアみたいなちょっと絵画的な雰囲気を感じる。まぁあれは着衣だけど。じゃあ裸のマハ? あれは水に浮かんだりはしてないか。別に横山さんがふくよかな体つきだから豊満なマハを連想したとかそういうんじゃないんないんないん。

「これ、見てもいいですか?」

「うん、どうぞ」

パンフレットを開いてみる。丸みがかった宇宙船の脱出ポットみたいな形状のでかい容器の蓋がばかりと開き、中に青みがかった紫の光に照らされた水が張ってあって、ビキニ姿の女性がリラックスした表情で仰向けに浮かんでいる。いろいろと小難しいことも書いてあるが、どうやらこの蓋を閉じて、暗闇の中で水に浮かんだ状態で瞑想をするといろいろ良いぞ、ということなのだろう。

「あんまり日本ではメジャーじゃないんだけど、アメリカではスポーツ選手とかハリウッド俳優とかが自家用のタンクを持ってたりして、ちょっと有名らしいよ」

「へー」

「一時間から二時間、その中で水、正確には難しい名前の塩辛い液体に浮かんでるとなんかいろいろ捗るらしいよ」

「横山さんも、捗ったんですか?」

「なんか『捗る』がエロい意味の隠語みたい」

「いや、他意は……特に……」

「ごめんごめん。どうだろ、頭がすっきりして、人の言うことをそれまでより素直に理解できる、って感じかな。ちょっとかたいな……」

 やばい、ちょっと興味が湧いてきてしまった。でもそれを悟られたくなくて、僕は「ではそろそろ」と話を切り上げて、そそくさとカフェを出て、ゲイバーに行ったりはしないで錦糸町の我が家へ直帰した。

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