記憶の確かなうちに
初めての知覧に来たのに
滞在時間わずか40分程の中
名残惜しさからか
暗闇の中を 祈念館の方へと目を向けると
建物の街灯の近くに
茶色の特攻隊員の服を来た人が立っていた
ずっと こっちを見ているので
私も ずっと見ていた
近くに行き少しでも話をしたかったが
話をせずにその場を歩き
また振り返ったら 姿は消えていた
今となっては、話をしておけば良かったと
振り返ってばかりの過去である
その場を後に ナビに また騙され
通ったのは 伊集院町
島津の家紋の入った灯籠を見かけたり
町並みを見て 何故か急に 懐かしさを覚えた
親戚の家に辿りついたのは、夜中2時
車を停め 親戚が寝ている横を通り
1人 タバコを吸う為に 台所へ
台所の椅子に 腰掛けて タバコに 火をつけ
天井を見ると 蛍光灯の紐が 何故か
揺れていた
そして初めてあった親戚と話をして
虫の知らせを 受けて やってきたと話をした
どこの馬の骨かと 言われるのが嫌だから
鹿児島が私の魂の故郷だと 伝えた
そして最後の日
親戚の家を後にして
私の祖母である 油絵画家の先生に電話をかけ
宮崎市内にて 待ち合わせ
バス乗り場で 待っていたら バスが到着
10年ぶりの 祖母との再会である
祖母と 宮崎市内を歩き
祖母が好きな銀杏が
通りの路上で売られていた
あら 銀杏
後でまた 寄らせてもらうわと
子供の頃に初めて会った 祖母の声と変わらず
その声に懐かしさを 覚え
また 再び歩きだし
ちょっとお腹空いたでしょ?
ここの何階に食事するところがあるからと
食事する場所を探し歩く
途中 油絵を置いてある店で 祖母が
食事出来るところはどこですか?
と 聞いた
祖母が 話している横目に
あっこの店員は 私の祖母を知らないんだと
解釈した
食べ放題の自分で取りに行くスタイルの店を
見つけた
祖母に そこでいいの?と訪ね
そこでいいですよ
というので その店で 話をしながら
食事をした
祖母と懐かしい話をしたり
小学生の時に 貰った 家系図を
インターネットで 調べると
出てくる出てくる 系図の先祖の名前
その話で 盛り上がり
そして 祖母が 油絵を教えて貰っていた
油絵画家の 山田新一先生の話をした
今では 画伯と呼ばれているが
祖母が よく私の家に来ていた当時
京都の病院に 山田新一先生が 入院をし
お見舞いに行く途中に私の家に立ち寄ったり
山田新一先生と絵を書きにフランスへ
行った時に 描いた油絵を 私の家に
プレゼントしてくれた
元気な祖母であったが
その後 宮崎市内にて
美術館のオープンのテープカットの時に
気分が優れなくて 倒れた と
後々の 電話で知った。