記憶の確かなうちに
大伯父から祖母へ
祖母から 私へと
包が届いた頃 と 同じ 時期に
私は パソコンに 向かい
私の本籍に当たる
近いけど距離は遠い親戚側になる人の
ホームページを 見つけた
そのホームページに書かれた言葉が
胸に突き刺さり 脳裏から離れなかったので
初めてホームページ見た日から
数ヶ月後 思い切って
遠い親戚が 当時 働いていた
大学病院へと
私には 有り得ない 文面で
メールとして 連絡し
2日後に 私宛に 大きな包が 届いた
届いた 大きな包に
私の名前に 丁寧に 様まで 付けてくださり
重く 大きな包の 紐を ゆっくりと 解き
中を 確認した
すると 当時の様子を 本に纏めたもの
医者の 方々の 詳細を記録した資料の他
私が 気になっていた
小説を 書かれていたが
自身も 大変な想いをしていたのに
私よりも 他の方々の 命の方が大切と
自身の 出血も 布で巻く程度で止血した
後に仮住まいとされる場所で
喪に服された 医者の方の
短くはあるが 大切な資料の他
ホームページにて 知った
私が つい二日前に
ハンドルを握り 車を走らせていた頃に
脳裏から浮かんだストーリー
ルクセンブルクでの ひととき
このモデルになった人の
戦時中の 悲惨な体験
過ちは繰り返しませぬからと広島で誓われたのに
現在 北の国では 25日の朝5時に
50発のミサイルが 南の国と 私たちの国に
飛ばされるという情報を
その日の 朝 4時30分に
スマートフォンで ググって知った
明け方から 読者の皆様が
晩御飯を 食べている頃は 私は
まだ仕事と時間に追われて居ます
その日の 朝方 仕事場へ 向う車から
東の方角の、 山や 雲が 見える
はるか 上空に
飛行機雲とは 違う
まるで 空に浮かんだ
巨大な 鉄の雨の 1本が
雲の尾を 引き連れて
飛んでいるかのように 見えた
その日の 1日は 本人は
仕事 所ではなく
合間を見ては 思い出し
合間を見ては、 朝方に 見た物体の
情報は、 無いものかと 必死にググった
さらにその数日前の情報では
鉄の雨の 発射実験に 失敗したとの
情報あり
アメリカが 守ってくれたんだと
思っていたが
後に 知る 情報で Orz
がっかり来たのである。
後編に 続く ?